蒼天のかけら 第九章 暗流の青史
季節の足音
「――ねえ」
無邪気な声が近くで響く。白金が風に巻かれて散っている。
「今度は上手くいきそうなの。明日には咲くと思う」
声が弾む。
顔を見なくとも、どのような表情を浮かべているのかは知れた。
「ねえ、聞いてる?」
ここまで近くにいれば、聞こえてるに決まっているだろう。
いちいち確認してくることが理解できなかった。返事をしないでいれば顔を覗き込んでくる。この行為もまったく理解できなかった。
しかし、眼前に入ってきた相手を無視はできない。当然の如く視線が絡まる。視線の先に、勝ち誇ったような笑顔。うっすらと琥珀が細められている。
「上手くいったら、ちゃんと約束を守ってね」
勝手な奴だ。
了承した記憶もない約束。そんなものを義務だと押しつけてくる。
呆れ混じりの溜息を一つ。
それでも笑顔を浮かべたままの相手に背を向け、帰宅の途についた。
「……あ、待って」
小走りに追いかけてくる足音を背負う。
どうせ同じ家に帰ることになる。いずれは合流するのだ。わざわざ歩みを揃えずともいい。
だが相手は諦めない。
意地でも共に帰ろうとする。
これもまた、理解できないと思っていた。
「ねえ。ねえってば」
――待ってよ、バト。
闇が広がっている。
夢だ。
そう、夢だ……。
視野に入る前髪を払い、寝台の上で虚空を睨む。
里に帰るといつもこれだ。
心臓の辺りに不愉快な気配が溜まっている。
気力を整えようとして、濃密な血の臭気を吸い込んだ。任務中に羽織っていたローブを床に落としたままにしていた。
苛立ちが強くよみがえる。
よみがえった苛立ちに任せ、汚れたローブを焼き払う。
部屋にただよう焦げた匂いは、血臭よりましだと思えた。煙がただよう部屋で、ゆっくりと呼気を整える。
里に戻るたびに、夢を見る。
夢を見た後は、ぶつけようもない感情が沸き出でる。もう眠れはしないだろう。何か飲むかと立ち上がり、窓越しに夜空を見上げた。
夜に縫い止められた二つの星が見える。
十二年に一度。姿を見せる運命の光は、日に日に輝きを増していっている。
春、夏、秋と進んで、冬の入口でその輝きが頂点に達する。時は、確実に近づいている。
まだ夏かと思う。もう夏かとも思う。
里の外に出ていると時の巡りに鈍くなる。
サガノトスにいる時だけ、季節の存在を思い出す。夢が現世と歩幅を揃えるためだ。巡る季節を二度も味わうはめになる。それがわずらわしく、ひどく腹立たしい。
サガノトスの夏は長い。
されど、秋の足は早いもの。夏さえ越せば冬はすぐに訪れる。
冬になればすべてが終わる。
二つ星の輝きも。吉凶の因縁も――すべてが。
そして、時期がくればこの夢も消える。
これは毎年のこと。
もう慣れた。