蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


視えない兆し


 ――本当にごめんなさい。

 恐縮しきりで謝り続けていたサキちゃんは、長いこと自分達を見送っていた。
 角を曲がる時。家の前に立ち続けている姿が、まだ見えていた。大きく手を振って挨拶すれば、ぺこりと頭を下げた。
 彼女が悪いわけじゃない。気に病んでいなければいいけど。

「正師。……どうでしょう」
「どう、とは?」
「ローグですよ。ありゃ完全におかしい」
 敵意をむき出しにして威嚇してきた様は、まるきり手負いの獣だ。あの日も少し思うところはあったけど、状況が状況だと納得できていた。
 でも、今日のあれはさすがに……。
「気力が乱れているようだ」
「それはわかっていますって」
「真力も少ない」
「正師、ちゃんと答える気がないでしょう……?」
 肩をがくんと落とした。
 いい人そうに見えるけど、キクリ正師は蠱惑の真導士。やっぱり蠱惑は癖が強いんだなと、声に出さずにぼやいてやる。
「すぐに答えを出しては、考える力を養ってやれぬからな」
 にっと笑う正師へ、じっとりとした視線を送る。
 静かな道を連れ立って歩く。
 日差しに辟易として、首筋に流れてきた汗を拭う。今日はまた一段を暑い。今夜は寝づらくなりそうだ。
「どうしちゃったんだろうなー、あいつ」
 空を見上げて疑問を投げた。

 ローグの在り様は、誰がどう見ても異常だ。
 怒らせると怖い奴だけど、普段は温厚と言っても差し障りない性格をしている。ああ見えて礼儀もわきまえているし、情も厚い。
 心配してきたオレや正師を、声を荒げて追い返すなんて、普段のあいつからは想像もつかない。
 せっかく雨雲も去ってくれたんだから、広がる青空に合わせて、気分もすっきりしてくれればいいのに。
「慧師の言われた通りであったな」
 空から視線を落とした。
 関係ないけど、正師には二つもつむじがある。
「無為に触れれば、ローグレストは真実を覆ってしまう。商人はただでさえ口が固いものだが、それに輪をかけて口を閉ざす」
「そうですね」
 彼女が目を覚ましたと、誰にも伝えにこなかった。
 あれだけ皆が心配していたのに、ローグは行動を起こそうとしなかった。体調が悪いのもあっただろう。それでも、いつものあいつなら絶対に伝えにきていたはず。ローグが口を閉ざした理由。それは容易に想像がついた。
「サキを害そうなどと、思っておらんのだがなあ……」
 がっかりした様子で正師が言った。
 どうもキクリ正師は、教え子に信じてもらえなかったのを気にしているらしい。
 琥珀の友人が持つ、慧師すら知りえなかった奇跡の力。
 彼女に張りつけられた不名誉を甘受してまで、ひたすら隠し守ってきた秘密。その秘密が暴かれたことで、ローグはひどく過敏になっている。
 恋人を守ろうとする気持ちは理解できる。
 しかし、どう考えてもあの様相は異常だと思えた。

「正師。一つだけ聞いてもいいですか」
 うん? と正師が眉を上げる。
 正師は導士からすれば、かなり上位にいる相手だ。とは言っても毎日顔を合わせて、話をしていれば気安くなっていく。
 正師達もそういうものだと了解しているようだ。
「真力が多いと、回復にも時間がかかるものですか」
 サキちゃんによれば、ローグは休息をとっていた。だというのにあの真力。とてもじゃないが回復していると言いがたい。
「回復速度に差はない。どの真導士も、一晩しっかりと休めば真力は回復する」
「ローグは回復していませんね……」
「あれもローグレストの異変の内だろう。気力も乱れ。真力も乱れ。体力も落ちている。正常な思考を保てとは、とても言えぬ状態だな」
「治りますか」
「医者が聞くか」
「病や怪我ならどうにか対処します。でも真力は範疇にありませんからねー」
 言えば、それもそうかと笑ってもらえた。
 キクリ正師は話しやすくて本当に助かる。
「明日また訪ねてみよう。明日も同じような状態であれば、あの番の処遇について、慧師から指示を仰いだ方がよい。ローグレストの状態はかなり悪い。サキを連れていった者も判然としていない。本来なら、すでに保護しているべきなのだ」

 保護。

 言葉に反応してしまう。
 オレの中にも、どこか里を信じ切れていない部分があるからだな。
 里というか真導士。慧師や正師は信じられると思う。だけど、それ以外の真導士はどうか。同期の面々を見渡しただけでも、すべてを信じるのが難しい。
 さらに高士も含めるとなれば……推して知るべし、だな。
「……"青の奇跡"を、どうされるおつもりですか?」
 無意識に問いが口から落ちた。
「どうもせぬよ」
 正師はすっかり信用を失ってしまったと、力なく笑った。
 正師を疑っているわけじゃないですよと言うべきか悩んだけど。いまは何も言わなくていいと決めつけて、押し黙る。
「"青の奇跡"だろうが何だろうが、我がサガノトスの同胞であり大切な雛だ。我らの役目は、お前達をしっかり育て上げること。力に溺れぬよう。道を違えぬよう。知恵と知識を授ける。サキの力は特別なものだろうがな。それでも我らの役目が変わることはないのだ」
「正師達はそうかもしれませんけど……」
「お前が言いたいこともわかっているつもりだ。サキを……導士を任務に連れていった者は、道を外れてしまっている。どのような理由があったかは知らぬし、いまのところ把握もできぬ。とはいえ通すべき筋を通さず、雛をむざむざ危険に放りこんだのだ。許されざる行いであり、厳罰を下す必要がある」
 間が空いた。
 何かを言い淀んでいる正師の言葉を、空を眺めてただ待った。
「言いたくはないが、里は一つにまとまっていない。真導士として在るべき姿を見失っている者も数多い」
 ついで出た言葉は、オレの中に、そしてローグの中にある疑念そのものだった。
 正師がそんなことを言っていいのかと、ちょっと焦って……。オレ達の不安を和らげようと、あえて口に上らせたのだと悟った。
「あの番は極端だ。ゆえに目をつけられやすいのもわかっている。お前達はサキのことばかり案じているようだが、実際の風あたりはローグレストの方がきつかろう」
 あっと思った。
 知らない内に落としていた視点。正師をまじまじと見てから、完全に埋没していた視点を大慌てで拾い上げた。
「史上最大の真力。しかも燠火の真導士。これで天水や蠱惑であれば、まだ話は違ってきていた……」
 真導士の系統に優劣はない。
 少なくとも階級のように、明確な区分けはされていない。けれど、実際の扱いには差がある。その差はここ数カ月、里の中で過ごして肌で感じ取っていた。

 最も重宝され。実力者として認められているのは、どう足掻いても"燠火の真導士"。
 天水は戦力と数えること自体が少ない。燠火とともに、戦力と数えられるのは蠱惑のみ。そうは言っても、やはり燠火の真術は強力。だから、蠱惑を燠火の補佐と捉えている者も多い。
 正鵠は出ること自体が稀な上。実際どういう真術が使えるのか、本人達でも把握できないものだから、そういう区分けはされていない。気楽でいいと思う反面、なんだかなと思うこともある。
「強大な力は祝福の証。あれだけの覇気も有している。ローグレストなら、与えられた力を上手く使いこなせるようになろう。……しかし残念なことに、そうなって欲しくないと思う輩も生まれてくる。実際にはもう生まれているだろう。己以外の者が強大な力を有していると聞けば、嫉妬に狂う者が出る。……そして脅威に思う者も、必ず出てくるのだ」

 ――ようやく。

 ローグが常々言っていた言葉の意味が、腑に落ちてくれた。
 ああ、しまった。
 どれだけのんびりしていたのかと後悔する。
 "青の奇跡"を知る者は少ない。その力が、琥珀の友人のものだと知っているのはオレ達だけ。他の者は勘違いを続けている。数日前の正師達と同じように。"青の奇跡"は、ローグレストが有しているのだと、いまも思っている。
 歩いてきた道を、意味もなく振り返った。
 史上最大の真力を持つ、燠火の真導士。類を見ないほどの加護を与えられた男に、新たな祝福が下ってしまった。



 道を見る。
 歩んできた道の上に、標が浮き出ることを願った。
 しかし、日に照らされ乾ききった大地に、輝く光は見えなかった。

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