蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


妖花


 夕暮れより少し早い時刻。
 サロンの人影は、まだまばらだ。己等以外では店員がいる中央卓付近に、数名の客がいるだけ。
 無愛想な店員は酒を置いていったきり、いずこかへ姿を消していた。いつもながら態度が悪い。まあ、いまだけは都合がいい。

「このような事態になるとは……」
「仕方あるまい。誰が予想できたというのだ」
「戻ってきたと聞く。……抜かりはないのだろうな」
 何をいまさらと思い。
 相変わらず口だけの同僚達を内心で嘲笑う。
 いいさ、こいつらは所詮踏み台に過ぎぬ。部隊の連中との力量差を見せつけてやれば、第一部隊からの引き抜きも夢ではない。
「あるわけないだろう。あれの口はすでに塞いである」
 記憶を切り取り、塞いで、隠匿で覆った。
 すべては内側での行い。本人すら気づくことはない。もし何者かが気づいたとしても、内側で真術を弾けば最悪"暴発"を引き起こす。術者が手だれであればあるほど可能性も高くなる。
 "離隔の陣"とはそういうもの。
 逃れる道として、本人が弾くという手法がある。本人が弾けば"暴発"はしない。
 だが、例の娘では不可能。
 あの真力量では絶望的と言っていい。そう、だから抜かりはないのだ。

「こんにちは」
 突如、女の声が落ちてきた。
 鷹揚に振り返ってやれば、先日の女が笑みを浮かべて立っていた。
「奇遇ね。楽しそうだから混ぜてもらえるとうれしいわ」
「何、任務の下らぬ愚痴ゆえ、女性に聞かせる話ではない」
 婉曲に断りを述べたが、女は怯まなかった。
「いいじゃない。用が済んだらすぐに帰るから」
「……用?」
「ええ。貴方達にはとっても大事な話よ」
 動揺を見せるべき相手ではないというのに、同僚達は卓にわずか身を乗り出した。これだからいつまで経っても、第五部隊から動かされずにいるのだ。
「帰ってきたんでしょ。予防線は張っているのでしょうね」
「何を言っておられるのやら」
「私なら、離隔でも使うかしら。常ならそれで問題ないと思うけど」

 この女、蠱惑か。

「――でも、それだけじゃあ駄目でしょうね」
 横目でこちらを見やる。
 外で経験を積んでいるだけはある。話す相手を瞬時に見定めた。
「あの坊やが黙っていないと思うわよ」
「坊や? あの男のことか」
 違和感のある表現だ。言葉尻も自然きつくなる。
 卓の向こう側で女は眉を寄せる。不愉快だと言わんばかりの表情だ。
「違うわよ。あの男にそんなかわいい言葉が合うはずないでしょう」
「では誰の話をしている」
「……お嬢ちゃんの相棒」
 卓を囲んでいる同僚達からも、困惑の気配が出ている。その様を一瞥した女は、妖艶な笑みをこぼした。
「知らなかったの? 五つ目の真導士があらわれたって話くらい、聞いたことあるでしょう」
「な……」
 まさかと思った。
 話自体は聞いた覚えのある内容であった。
 "選定の儀"が終わってから一時、高士地区はその話題で持ちきりだった。真力が高いだけでは意味がないと批判する者もいた。兄徒制度が廃れたことを嘆く者もいた。あれが残っていれば、派閥に組み込むことが容易であったのにと、それは悔しがっていたものだ。

 だが、まさか。

 女に気取られぬよう歯をきつく噛み締めた。
 愚かしいことをしたものだ。一介の導士相手だと、完全に油断をしていた。
 "離隔の陣"は、相手の内で互いの真力を馴染ませれば……。相棒の真力なら弾くことも可能。
 何とも巡りの悪い。
 よりによって、噂の導士と娘が番であったとは。
 同僚達は女の話に釘付けとなっている。場の支配権を明け渡した連中を、内心で激しく罵る。
「ね、だから言ったでしょう。大事な話だって」
 女が微笑う。
 外でランプが灯された。妖花からの淡い光が、女の紅い唇を際立たせる。



 人生を狂わす大輪の花は、夕暮れのサガノトスで静かに咲く。
 闇夜でこそ美しく映えるのだと知っているように。
 美しい花弁と、甘い甘い香りを持つ花。その花の根には毒がある。人の命など簡単に摘んでしまえるほどの猛毒。
 人は、知恵と知識を得たことで安心しきってしまったのか。
 花に取り殺される者が、いまだ後を絶たない。

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