蒼天のかけら 第九章 暗流の青史
夜襲
問題の導士は、かなり人目を惹く男だとかで。情報を仕入れるのが楽であった。
系統と容貌についても難なく知ることができた。真導士の里で唯一の黒目と黒髪。ドルトラントではめずらしい色ゆえ、間違える危険はないとみいい。
木の陰に隠れ、物音を立てぬよう進む。
裏手に回る数人が、合図を出して散開していった。
何、大騒ぎする必要もない。
相手は雛だ。燠火とはいえ捻りつぶすのに苦労はないだろう。
五つ目まであるという真力だけは警戒するべきだが、導士であれば扱う真術も限られている。冬を越していない以上、転送も使えぬはず。
まずは、身柄を押さえてしまえばいい。
身柄さえ確保すれば後はどうとでもなる。娘も同時に押さえられれば理想的と言える。
あの娘の真力は低い。"共鳴"を狙うにはもってこいだ。
先日の件は、永久に闇へ沈める。そのためにはより強力な術を、雛達に施す必要があった。里が警戒をしている中で動くのは、危険を伴う。
しかし後手に回るわけにはいかぬ。そして何としても成し遂げなければならぬのだ。
目の前には一軒の家。
導士地区のはずれに建つ家から、ランプの灯りが漏れている。
その淡い光が暗く陰るのを見た。
人が動いている。獲物の気配を感知して、口の端を上げた。右手を振り、後方へ合図を流す。
ようやくつかんだ先への道だ。――振り落とされてなるものか。
皿を持ったまま彼女が静止した。
琥珀が大きく開かれている。
どうしたと問う直前に、勘が警告を発した。彼女が見つめている外へと目を向ける。窓掛けは下ろしていた。こちらからでは外の世界が窺えない。
ランプを消す。
もはや無人をよそおうのは不可能。だとすれば、こちらの警戒を見せつけてやるのがいい。この家は強固な真術に守られている。閉め切っていれば大丈夫なはずだ。
「――サキ、部屋は?」
手に持った皿をそっと食卓に戻したサキは、自室に走り、ジュジュを抱えてすぐに戻ってきた。
「開けていません」
彼女の返事に、ジュジュの鳴き声が被さった。
甲高い音。
外敵への警告をしているかのような鋭い鳴き声が、夕闇にこだまする。
逃げ場はない。
忍び足で寄ってきたサキを、腕の中へ誘う。
肩が緊張で強張っている。けれども震えてはいない。しゃんと顔を上げ、向こう側を見据えている。いつの間にここまでの気力を育んだのかと驚いて、苦笑いをする。
彼女と比べて、いまの自分は何とも頼りない。
頭痛はさすがに消えている。問題は一向に改善しない真力と、乱れた気力。こんな時にと悔やんでみても、状況を好転させる助けにはならないだろう。
深呼吸を一つ。
香るリテリラを大きく吸い込んで、肺を満たす。
扉の向こうを見据えているサキの腕に、白い獣。警戒の態勢をとっていた獣が、ちらと自分を見た。
無言のまま視線だけ返し、扉の向こうにある気配を探る。
あれから。
この不思議な獣とは、何の話もしていない。
サキの前では、すっかり普通のイタチのふりをしている。サキもサキで、"青の奇跡"以外に大きな変化が見られない。あの幼い"サキ"に、もっと聞きたいことがあったのだけど……。幼かろうが何だろうが、彼女は相変わらず儘ならないらしい。
(まあ、いいさ)
振り回されるなら、いっそ盛大に振り回されてやろう。
そう思って彼女の添え髪を一房手にし、口付けを贈る。すると、きょとんとした琥珀がこちらを見た。
どうしたんだろうと小首を傾げる。その様を見て、ついつい残念だなという気持ちを抱く。飲み込みが早いのはいいけども、もう少しだけ恥らう様子を見ていたかった。
「怖いか」
不思議そうにしていた瞳が、真剣味を取り戻す。
「いいえ――」
いつの間にか風が止んでいる。草木の擦れる音すらしない。
再び、ジュジュから警告が放たれる。
連続した高い音は、闇に潜む者達にも聞こえていることだろう。強固な砦と化した真術の家の中、息を潜めて次に起こる事象を待つ。
狙いはサキだ。
口を塞ぎにきたのだ。
記憶を削るだけでは飽き足らず、何かを成しにきたのだ。
やはり、真導士の里は信用ならないと怒りが湧いてくる。しかし頭のどこかで、違うことを主張する場所がある。相反する二つの主張が、乱れた気力を激しくゆさぶる。
この状況下でいま以上に混乱するわけにいくか。
二つの勢力の片方に集中し、頭の中を一色に塗り替える。激しい感情であれば、勢力を拡大するのも容易だ。
「……きます」
「ああ」
家の周囲に何かがいる。
武芸の達人よりも圧倒的に優れている真導士の勘。だが、"第三の地 サガノトス"で活動している以上、相手も真導士だ。こちらが察知していることぐらいは理解している。
さあ、どう出る――。
まだ真力の気配をつかみとれていない。
攻撃の意思がないのか。それとも機を窺っているだけか。
焦りは禁物。
余りある時間を存分に使えばいい。用があるのはあちら。夜のうちに事を成そうとしているのは、外で潜んでいる者達だ。
ぴたりと閉まった扉。
扉の向こうにある道から、ぱきりと乾いた音がした。誤って小枝でも踏んだのか。それすらもわざとか。少しずつ疑心暗鬼が強くなる。
窓が大きく鳴った。腕の中で彼女がびくりと反応する。
目的は明らか。
だが手段が読めない。
状況がこのまま膠着するかと思った時、白の輝きが生まれた。
窓の合間から視える真術の輝き。複数の見知らぬ真力。重なった真術の質は、かなり強い。そうとうな力が窓に掛かっていると想像できた。
動かない身体に、思わず腹が立つ。
「大丈夫」
唐突に腕の中のサキが言った。真術に照らされた。白いその肌が、さらに白く闇の中で映えている。
「大丈夫ですよ、きっと」
目元が柔らかに緩められる。彼女は右手だけでジュジュを抱え直して、空いた左手を伸ばしてくる。
頬に触れたささやかなぬくもり。
また、いつの間にと無意味に思った。
「わたしが貴方を守る。貴方がわたしを守ってくれる」
琥珀が煌く。
白く輝いたサキは「それに」と笑顔で付け加えた。
「何があっても、迎えにきてくれるのでしょう」
この自分を、彼女はまだ信じてくれている。何度も傷つけて、何度も守りきれず手を離した。彼女自身が、一番知っていることだろうに。
「……サキは、疑うことを知らないのか」
いま、どういう表情をサキに向けているのだろう。きっと情けない顔のはずだ。
それでも彼女は笑んだまま。
何を言っているのかと、やさしく笑いかけてくる。
「"信じるか"って聞いたのは、ローグです」
咄嗟に言葉が出なかった。
ただ頬にある手に自分の手を重ねて、強く握った。
成長著しい相棒。
自分に与えられた奔放な翼。
唯一だと言い切れる彼女の唇に、自分の想いをしっかり重ねた。