蒼天のかけら 第九章 暗流の青史
夜の逃避行
闇の中で高く上がる、火柱の気配。
夜の大地を照らした炎を合図に、出窓を大きく開けた。身体をぐっと押し上げて、窓のへりを越えて、一目散に目の前の林道へと走った。
遠くで放たれた真術から、馴染んだ真力の気配がしていた。
先導するは白の獣。
張られた真っ白な尻尾を追いかけて、無心に走る。ジュジュはどこに向かっているのか。疑問抱く暇はどこにもない。
家の方で、また真術が展開された。四方八方に旋風が散っていく。
彼の真力が夜空を駆ける。
真術が走り抜けた軌跡に、愛らしい彼等が舞っていた。声のない彼等が歓喜をひたすらに叫んでいる。
いつもそうだ。
精霊達は、彼に使役されることを喜んでいるのだ。まるで遊びに夢中になっている子供達みたいに。
今夜はいつもよりさらに騒がしい。年に一度の祭りに参加しているかのよう。真術を収束させても彼等はそこで渦を巻き、きたる何かを待ち構えている。
その渦の最中に、飛び込んできた一つの影。
漆黒の髪を鮮やかに散らしたローグが、彼等の中心にあらわれた。待ちかねたとばかりにローグへ集中する。そうやって彼等をまとったローグが自分の手を強く握った。
「ジュジュ……!」
同時に、白の獣を呼ぶ。
呼ばれた獣は、近くに生えていた若木をばねに、彼の肩へと着地した。
「巻いてこれたのですかっ」
「ああ、ありったけの輝尚石をばら撒いてやった!」
またうちの相棒は、とんでもないことを仕出かしてきたらしい。
ローグが造り溜めていた輝尚石は、そうとうな数だったはず。周囲に延焼してはいないかとはらはらしてしまう。
飛びながら回転し、ローグが自分の体勢を整える。二人の間に隙間が生まれ、そこにジュジュがすっぽりと収まった。
「行こう――!」
空を翔る。
満点の夜空には輝く"二つ星"。星明りに照らされて。ただ、先へ先へと進んでいく。
「……やはり、正師ではなかったのですね」
手を引かれながら、獣道を行く。
「もちろんだ。簡単に引っかかってくれたから、少々物足りない」
前を行くローグは、藍色の服を着ている。
"迷いの森"を思い出させるその光景。変わったことと言えば、足元にジュジュがいることと、サガノトスから出ようとしていることくらい。
二人と一匹は夜闇に紛れて、道なき道を歩んでいる。
「本物の正師であれば、サキの話には引っかからない。昼間、元気にしているところは見ていたんだ。体調を崩したと知れば、驚くのが普通だろう」
やってきた"正師"は「事が事だった」と理解を示した。
それは昼間の出来事を知らないという確かな証拠。
……それに、本物の正師であれば、いまのローグに"気力を保て"とは言わない気がする。だから、あの"正師"は、偽者だと判断するのが妥当なのだ。
先導していた白の獣が立ち止まり、鼻をひくひくと動かした。
急いで手近な木陰に身を隠す。
間もなくやってきた白い二つの人影。
樹木の合間を見下ろして、ゆっくりと上空を旋回している。長いローブは高士の証。目を凝らし人相を把握しようとして……それに気がついた。
夜空から目を逸らし、木陰に小さく収まる。
あの者達のフードに赤い刺繍が見えた。その意味をサガノトスで知らぬ者はいない。
「……行ったな。サキ、あいつらに見覚えはあるか?」
「わかりません。ごめんなさい」
額がぱちんと弾かれた。
「抜けないな、それ」
弾いたばかりの額を、熱い指がぐりぐりとしてくる。そして、その仕草にやさしいぬくもりを感じた。
これのせいで抜けないのですと言いかけ、追撃の可能性を思い出す。
「まあいい、これではっきりとした。今夜中に里を抜けるぞ。見回り部隊まで出てきた以上、サガノトスにいるのは危険と判断するべきだ。もう何を言っても無駄だ。意地でもつれていくからな」
不承不承頷いた。
見回り部隊と言えば、里における中枢機関の代表格。真導士の安全を保障するための部隊だ。その部隊が自分達を追ってきている以上、サガノトスへの不振に拍車がかかるのも無理はない。
――でも。
「あの……」
どうにか事実の一端だけでもと思い、正しい言葉を捜しあぐねて結局は黙り込んだ。見回り部隊は自分達を探している。場所を移動した方がいい。そう促されて重たい気持ちを引きずり、また歩き出す。
夜空を見上げた。冴えて輝く二つの星が見える。
ローグは知らない。"出奔者"が"鼠"と呼ばれていることを。"鼠"を狩る者が存在していることを。
無事に聖都まで辿りつけるだろうか?
胸に過ぎる一抹の不安。暗闇色の気持ちを抱え、ローグの後を追っていく。
「……上の連中を呼び戻すか」
「いや、まだ隠れさせていろ。ここで警戒されては元も子もない」
木陰から上空を窺っていた二人が、ようやく歩きはじめたところだ。立ち止まられたら厄介。こちらの望みどおりに動いている彼奴等の動きを、ここで鈍らせてはまずい。
我々には時間がないのだ。
朝までにすべての決着をつけなければ、他の高士連に気づかれてしまう。
「外円に向かっている。里を抜けるつもりだ」
「そのようだ。……まんまと引っ掛かってくれた」
外円――慧師が描いている真円に向かうということは、里抜けを目論んでいるという何よりの証拠。
作戦は順調とみて問題なかろう。
「早めに手を打って正解だったな」
心なしか興奮している同僚に、うんざりとした気持ちを隠して応答した。
こいつらは頼りにならぬ。今夜のことは己のみの力で成すべきだろう。
決意を新たに、二つの影を追う。