蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


首輪付


 同時に放たれたいくつもの真術。
 自分の真眼は強い気配を真正面から浴びてしまい、一時その機能を失った。
 周囲から声が漏れる。何かが激しくぶつかり合う音がした。
 現状を見定めようと瞼をこする。そこで自分に掛けられていた拘束が、すべて解けていると気づいた。はっとして霞む両目で手の平を見る。ぼやけた手を確かめている時、前触れもなく身体が空を舞った。
 息を飲んだ自分の眼下には、複数の高士達。
 驚きの表情となった彼等は、自分を視線だけで追ってきた。瞠目した彼等の瞳に、動揺の色が見え隠れしている。

「両者とも動くな」

 自分を囲む気配と、絶望の場に響き渡った声。
 自分にとって。ローグにとって。自分達導士にとって、あまりに馴染みのある声がした。
 空を舞いながら、ぼろぼろと涙を落とし。懸命に声の主を探した。そして滲む視界にその姿を見つける。
 倒れ伏している相棒の傍。
 巣から落ちた雛を守り立つ、親鳥の姿がそこに在った。

「――キクリ正師!」

 赤茶けた髪の年若い正師は、自分を空に留めると同時に、ローグの周囲に結界を張っている。
 知らない真術の気配。
 どのような名で呼ばれているかも自分にはわからない。でも、その真術がローグを守っていることだけは、ちゃんとわかった。
 しかと張られた真術の壁は、すべての刃をはじき返していた。強固な壁に阻まれ道を失った刃が、大地にばらばらと落ちている。
 紺碧がこちらを見た。
 やさしい色の瞳が細められる。ちらと浮かんだ笑顔は、心配するなと語っていた。

「真力を収めよ。これ以降の交戦は控えるよう」
 張りのある声が、混戦の場を平たく均していく。
 見回り部隊の男達から、真力の気配が失せた。消沈したように真眼を閉じた男達の表情は、やや強張っている。中にはあからさまに肩を落としている者もいた。
 正師は、階級で言えば高士よりも上。
 真導士の里において階級は絶対的なもの。逆らうことは決して許されない。
「如何なる事情か、この場で問うことはせぬ。後日、場を設け、そこで存分に語ってもらうとしようか。各々、この場から早急に去るがいい」
 お待ちを、と声が挙がった。
「この者たちは、我らが確保したのです。通例どおり本部へ輸送を――」
「去れ、と言った」
 怯む男たちの中、ローグに攻撃した男だけが気配を滾らせている。殺気とも思える気配を滲ませている男に、正師の視線が向かう。
「逆らうことは許さぬ。中央より連絡があるまで貴殿達には待機を命ずる」
 キクリ正師が真力を放出した。導師達の前では隠していたその実力が、明らかとなる。
 緊迫した時間。
 ふいに夜風が流れた。それが合図だったのだろうか。男達が正師に向かって一礼をし、転送していく。
 残ったのは親鳥と雛鳥、そして裁定者のみ。危機は……去った。

 風が頬と肩を撫でていった。
 平静を取り戻した自分は、ずり下がっていた布地をようやく元の位置に戻した。急転をし続けていた状況により、乱された気力を整えるべく深呼吸をする。
 涙が辛くて呼吸しにくいけれど、丹念に丹念に呼吸を重ねた。
「貴方もだ。バト高士」
 すっかり、事態が終わったと思っていた。だから、キクリ正師の言葉に目を丸くした。
「雛達の世話は、私が受けましょう。こと導士の処遇については正師に裁量権がある。二人とも私が保護するのが筋。後日、こちらより連絡をしますので、この場は任せて頂きましょうか」
 正師の気配はいまだ高ぶったまま。
 相対するバトの気配もまた、強く放たれ続けている。
 疑問の渦に巻かれかけ、本能がそれを押し留めた。早くと叫んでいる本能が、途切れていた願いを思い出させる。
「正師、下ろしてくださいっ」
 紺碧と青銀が自分を見た。
「早く治さないと……」
 正師が一つ頷いた。
 頷いた際に見せた笑顔には、いつかのようにからかいが浮いていた。
 きゅっと唇を引き結ぶ。キクリ正師がこの様子なら、ローグはまだ大丈夫だ。とにかく早く癒しをかけて、今度こそ正師に相談しよう。
 今夜のことで身に沁みてわかった。真力の回復は、彼の安全に欠かせないのだ。あの影も、早い内に退治しないと。

 大地に足が着く。
 自由になった身体。強く強く一歩を踏み出し、彼の元へと向かう。

 だが、次の一歩は出せなかった。
 大地に辿り着かなかった足先を、呆然とした心地で眺める。伸ばした手の向こうに、大地に散った漆黒の髪。
「あ……」
 人差し指と中指の間から見えるローグの姿が、見る見る内に小さくなっていく。
「バト高士……!」
 緩い拘束。
 腰に回された腕と、背中に感じる硬い胸板の感触。青銀の真導士に捕らわれたのだと知るのに、ある程度の時間が必要だった。
「何をなさるか!」
 顔を見なくても、バトがどんな表情をしているのかわかった。
「俺に命令できる人間は慧師のみ。如何に正師と言えど、命に服する必要もない」
 見上げた先には、想像していたのと寸分変わらぬ冷笑。
 その冷たい表情が浮かんでいるバトの額が、まばゆく輝いた。真円が描かれる。素早く描かれた円から、見知った真術の気配がしている。
「貴方が雛の世話をするとでも」
「雛の世話なら任せよう。そこに落ちているのを持ち帰ればいい」
「何を考えておられる。サキをお返し頂きたい」
 サキも雛だろうと言外に滲ませた正師の言葉を、バトは一笑に伏した。
「――悪いが、こいつは首輪付だ」
 止める間もあればこそ。
 最後に見たのは、呼び止めようとしているキクリ正師と、血に濡れた漆黒の髪。

 最後にもう一度だけ、名前を呼んでみたけれど。
 彼が顔をあげることは、ついになかった。

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