蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


報告遅滞について


 一通り吠え盛って、乱れた呼吸を整えたところで食事が出てきた。

 ほかほかと湯気を出している本物の食事だ。
 真導士でなければ、腰を抜かしていたことだろう。
「バトさん、これは」
 これと指したのは食事ではなく輝尚石。正確に言うと、輝尚石に籠められている真術のことだ。
「"格納の陣"。描いた真円の大きさまでなら物を仕舞える」
 ……ほほう。
 何と便利な真術だろうか。ずっと謎に思っていたけれど。バトがたくさんの輝尚石を持っていたのは、真術の中に仕舞っていたからのようだ。
「真術には、系統に縛られない無類の術がある。転送と黙契と格納は、無類の中でも代表的な真術だ」
「わたしでも使えますか?」
「大半の真導士は導士の内に習得する。しかし、お前が覚えるにはまだ早い。学舎では教えぬから令師の元で覚える。これを覚えるより"浄化"を覚える方が先だ」
 修行はしているのだろうなと問われ、ぎくりとして固まった。
 風向きが悪くなったせいもあり、呼吸が止まりそうになる。
「……人の忠告を何だと思っている」
 こめかみ付近から汗が出た。
 また、機嫌を急落させたバトに、とりあえずごめんなさいと謝っておく。
「修行もせず、何をしているかと思えば"里抜け"か?」
 今度こそ呼吸が止まった。
 こめかみで留まっていた汗が、つつ……と頬を滑る。
「狩りに連れていったのだから、抜けた者がどうなるか知っていただろう。里を一歩でも出た時点で例外なく"抜け鼠"だ。俺は一匹たりとて逃がしはしない。例えまだ満足に羽ばたけもしない雛であってもだ。その上――」
 青銀が一際強く輝いた。
 刃を思わせる光に、身が竦む。

「"青の奇跡"については、報告を受けておらんな」

 心臓が凍りつきそうだ。青銀の光は鋭さを増すばかり。顔に、手に、背中に汗がびっしりと浮いてくる。
 万事休す、である。
「真力の低さには釣り合わぬ現象ゆえ、おかしいとは思っていた。常識外れと括るのは容易い。容易いが、結論を放り投げて終わりとするわけにはいかぬ」
 そう言って、底冷えのする笑いを浮かべたバトは、格納の輝尚石から一本のボトルを取り出した。
「腹が減っているのだろう。好きなだけ食えばいい。欲しいというなら果実酒でも取り寄せてやろう。それとも装飾具がいいか。衣装でも何でも、望むように用意してやる」
 ……何故だろう。
 語られる甘やかしとは裏腹に、声が氷のように冷たくなっている。
 汗が止まらない。
 動悸も止まらない。
 心臓だけはいまにも止まりそうだ。

「さあ、報告を聞こうか」

 死の宣告を思わせる言葉を受けて、深く深く頭を垂れた。



 しょんぼりと肩を落としてお茶をすする。
 果実酒はさすがに辞退した。心は大いにゆれ動いたけれど、怖くてとても頼めなかった。
「実感は湧いていません。全然……自分でもわからなくて」
 人じゃない。
 あの時、知ってしまった真実。
 忘れることはもはや不可能。それでも、なるべく思い出さないようにしてきた。きっと心配をさせてしまうから……。日常の下に隠して、出てこないようにしてきたつもりだ。
 がんばって隠していたのに。バトは遠慮もなく無理やり引き剥がしてくるので堪らない。
 鼻の奥につんとした熱さを感じている。何となく意地になって、泣くものかと心に決めておく。
「術具は外してみたか」
「はい……。やっぱり駄目でした。鎮成がないと真円を描くのが精一杯で」
「そうか」
 バトは、グラス中にある氷を指でゆっくりとかき混ぜている。
 今日の沈黙は、いつもよりも格段に居心地が悪い。
 罪悪感が胃の中で石のように固まり、重みを主張している。
 青く塗れた長い前髪の隙間から、青銀の静かな輝きが見える。放たれている気配も、いつのまにか時刻と足を揃えている。
 しんしんと積もる夜の中で、無言のまま向かい合う。
 伝えたいことは伝えたつもりだ。けれど聞きたいことは、まだ半分も聞けていない。
 どうにか聞けたのは、うちの相棒が無事であることと、見回り部隊が処罰されたこと。それから襲撃に至った原因。

 ……まさか不機嫌な真導士への腹いせだったとは。

 呆れてものが言えないとはこのことだろうか。文句を言うよりもぽかんとしてしまって、何だか一気に力が抜けた。
「帰ってはまずいのでしょうか」
「当然だ。まず誘操の出所が発見されていない。送付物は破棄していたようだが、他にも術具があるのは確実。突き止めて破棄する必要がある。流入経路の封鎖、さらには実行犯のあぶり出し。問題は山ほど残されている」
「ローグが真術に掛かっていたなら、わたしも掛かっているのではないですか?」
「それはない。お前は隠匿を追える。真術の気配がしたら気づくだろう。口にしようとしたら尚更だ」
「……でも。わたし達、ずっと同じものを食べていました」
「食堂でもか」
「食堂は利用してません。料理は全部わたしが作っていました」
「酒は」
 質問に対して、首を振った。
「たまに飲むこともあります。でも、同じものを飲んでいましたし……」
「薬はどうだ」
「置いてある薬は、いつもヤクスさんが作ってくれるのです。作ってもらった薬は、正鵠の真円を通して渡してくれますから」
 袋や紐に細工があったら大変だ、と。長身の友人は目の前で真円を描いてくれる。触れただけではわからないけど、真円を通せば真術が掛かっているかどうかがわかると言っていた。真術を飛ばす時、最初に引っ掛かるような感じがするのだそうな。
「貰い物はしたか。よく思い出せ。真術の掛かりようから見て、日は経っておらん。その上、幾度も重ねられた形跡がある。近頃、頻繁に口にしていたものがあるだろう」
「そう……言われましても」
 頭に旬の食材達を並べ立てる。
 夏野菜の数は多く、思い出すのも一苦労。その上、二人して好き嫌いをしないこともあり、怪しい何かが浮かんでこないのだ。
「夏氷は」
「夏氷……。サガノトスで食べられるのですか?」
「喫茶室でも出ている。倉庫にもあると思った」
 知らなかった。
 夏氷があるなら、ぜひとも今度もらってこよう。何せうちの相棒は大の暑がり。夏バテを起こす前に、手を打ちたいと思っていた。
 夏氷があると教えてあげれば、水ばかり飲むことも――。

「……井戸」

「何?」
「家の裏に井戸があります。わたしは飲んでいませんでしたけど、ローグは毎日のようにあの水を飲んでいて」
 冷たくていいと口にしていた。
 思えば、自分が井戸から水を汲んだことは一度もない。井戸にある桶が大きいものだったので、サキはやらなくていいと言われていた。
 だから、自分が井戸水に触れたことも……ない。
 伝えた途端、バトが立ち上がる。
 すぐに戻るとだけ言い残し、冷たい気配と共に掻き消えてしまった。ぽつねんと残された自分は、食卓の木目に視線を落とし、唇を噛む。

 気づいてあげられなかった。

 一人苦しんでいたローグの幻が見える。
 自分は、誰よりも気配が敏いのではなかったか。それなのに何故、彼の異常を見逃したのか。罪悪感と後悔と、味わったことのない苦い感情が口いっぱいに広がる。
 とても食事の続きをする気が起きず。
 バトが戻ってくるまで、ただそうして苦味に耐え続けていた。

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