蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


挑戦


 翌朝、早く。バトは家を出て行った。
 忙しい人だ。
 昨夜もずいぶん遅くに帰ってきた。食べる気も眠る気も出なかった自分は、帰宅したバトと少しだけ会話を持てた。

 井戸水に真術が籠められていた。
 色紐とまったく同じ真術で、気配の質も似通っている。同一人物の犯行として調査が行われている。
 ローグに掛かった真術は、対抗する真術でもって効果を消された。
 それならばもう大丈夫ではと再度帰宅を望んでみたのに、あっさり却下された。さらには状況をわかっているのかと叱られてしまい、ちょっとばかり落ち込んだ。
 もはや単純な嫌がらせと思えず。そして里の上層達が警戒を深めたため。許可が出るまでバトの家に住むことになるらしい。
 つまり隠れていろとのお達しなのだ。
 状況が状況だけに飲み込まざるを得ない。

 犯人や犯行の動機はいまだ調査中。
 とはいえ、被害が導士区域に集中し過ぎている。犯人がすぐに検挙できればいいけれど。自身に繋がる線は徹底的に消されている様子で、調査部隊も手を焼いている。
 まだ"青の奇跡"は知られていないだろう。知られていないとすれば、他の目的を探す必要が出てくる。目下、もっとも有力な理由として、思ってもみなかったことをバトは言った。
「ローグがですか?」
「他におらんだろう。今年の雛の中でもっとも注目を受けている。育つ前に潰そうとする奴なら、いくらでも思い当たる。潰そうとするならまだしも、己の手下として組み込もうと目論んでいる可能性もある。そうだとすれば、お前は確実に付き合わされる。下らぬ応酬をしているだけならいい。しかし、"青の奇跡"を嗅ぎつけられてはまずい」
 ううむと唸り、これではしばらく会えないのかと寂しく思った。
 ローグと顔を合わせない日は、サ記憶している限り一日とてなかったのだ。
 急にしおれた自分を、バトは奇妙な顔で見ていた。腹が痛いのかと聞いてきたので、まったく気が利かないと目を逸らしておいた。
 その後、一言二言会話を交わして、寝床に追い立てられたが全然眠れなかった。
 寝床の上でごろごろと転がり一夜を過ごしたのだ。

 ローグが狙われている。
 導士地区で井戸を使用している家は、五軒あったと聞いた。その中で、真術が籠められていた井戸は我が家だけ。狙われている前提で動いた方がいい。特に自分はローグへの影響が大きい。番の絆を利用しようとする可能性は高い。
 でも自分は自分で危ない位置にいるのだ。"青の奇跡"について漏れたら、それこそ……。
 考えたところで視界が歪んだ。真眼の中でぐるりと回った気配。
 ああ、またあの感じだ。
 いまのところ青の羽以外に目立った変化は起こっていない。それなのにどうしたことだろう。
 何者とも言えない自分の扱いに苦慮する。
 その時、何の気もなしに思い立った。

 外に出たい。

 外に出て、日の光を浴びて、風の中に身体を浸したい。
 気まぐれのように出てきた思いは、瞬く間に堪え難いと思える大きさに成長した。
 理屈らしい理屈はどこにも。もちろん感情に急かされたでもなく。
 糸に引かれるように歩き出した。
 ポケットには黙契の輝尚石。手の平にある凍えた気配を扉に当て、部屋からするりと流れ出た。
 居間は閑散としている。夕飯の名残すら掻き消えた場所を通る。
 間取りはどの家も同じだと聞いていたけれど、本当にそうなのだなと考え、そのまま扉へと進む。
 輝尚石を当てれば、音も立てずに扉が開いた。
 強い日差しが、視界を奪う。
 左手で顔の上に影を作り、まぶしさに目を細めた。
 明るさに慣れが出てきたので、周囲を見渡した。見渡す限りの緑、緑、緑……。
 芝生と言うには長い草を踏みしめて、さくりさくりと進んでいく。そうやって歩みを進めていると、緑色の風が吹いてきた。濃厚な草の匂いと、夏を含んだ風。
 気持ちいい。
 うれしくなって、自然と足が早くなる。身体が軽くて面白いほどだ。
 進む、進む。風と一緒に歩いていく。

 自分は何も考えていなかった。風と一緒に歩いていきたかっただけなのだ。
 本当に、それだけだったのだ。






「無茶だよ……」

 これで何度目か。
 さんざん同じ言葉を垂れ流して、まだ足りないらしい。ある意味、辛抱強い奴だなと半ば感心している。
 浅い空色の髪を上から眺めつつ、きたる時に備える。
 キクリ正師に伝えた願いは、返事を丸二日も待たされた。
 昨夜、返事を持ち帰ってきた正師に、気持ちは変わらぬなと確認を取られ――。そして今日、待ち望んだ機会が巡ってきた。
「なー、やっぱり無茶だよ。いまからでも遅くないから撤回を」
「誰がするか」
「でも……」
「嫌なら帰れ。俺一人でもやる」
 というかヤクスに頼んだ覚えがない。
 面倒見がいいのか、首を突っ込みたい性質なのか、ただの心配性か。……何か全部混ざっていそうな風だ。なかなか大変な性格をしている。
「ローグ一人にしていると、収集がつかなくなりそうだしなー……」
 どんな想像をしているのか。それでも帰る気はなさそうだ。

 夏の真昼間。
 木陰で体力を温存しながら待っている。くると聞いたけれど、正直あやしいと思っている。
 実現の確立は四割。……もしかしたら三割程度かもしれん。
 話を聞いてもらえただけでも驚きだ。里の上層達にも、人の心らしきものがあるようだ。誘操が抜けたいまも、あまり里にいい印象を抱けていない。これは里に来た頃から変化がない部分だ。
 正師はよくしてくれている。しかし、サガノトス全体となるとそう簡単に信用できない。
 だからこれは賭けでもある。
 いわば真導士の里に対する挑戦。一介の導士の挑戦を、サガノトスが快諾したのは意外だった。しかし、口に出した以上は、何としてでもやり遂げるつもりだ。

 ……しかし暑い。

 こういう日はきんと冷えた水を飲みたい。けれど、井戸水は禁じられてしまった。
 真相を知った時、長身の友人は「だから飲むなって言ったのに」とひとしきりぶつくさ言っていた。
 我が家の井戸には"誘操の陣"が籠められていたという。ご丁寧にも隠匿で覆われていたらしい。手口は霧や色紐と同じ。同一犯と見て間違いない。
 心底嫌になる。
 ねちっこい遣り方に、思わず反吐が出そうになっている。
 いやな気分になる反面、安心した部分もある。サキは井戸水を飲んでいないから、彼女だけは無事だ。真術を経口摂取したと聞かされた時から、ずっと心配していた。彼女が無事ならそれでいい。
 どうも"青の奇跡"の正体が明らかになった日から、情緒が不安定になっている。
 元気なふりをしていても、見ていればすぐわかる。本当に嘘が苦手な娘だ。あの素朴で素直な娘を、一人にしておいてはいけないと改めて思う。
「鼻の下、伸びてるぞ」
「……うるさい」
「サキちゃんのことでも考えてたんだろ」
「放っておけ」
「あー、もうあつくて堪んないね」
 あつい、あついと連呼する友人に辟易する。

 下らないやり取りとしていると、真術の気配が流れてきた。
 気配の質を確かめる。相手を把握したところで座り込んでいたヤクスを促し、姿勢を正して待つ。
 転送の真円を描き、渡ってきたのはキクリ正師。
 里の中だというのにフードをしている。日除けだろうか。
「考えは変わっていないようだな」
「ええ、もちろんです」
 きっぱりと答えた自分の横で「考え直せって言ったんですけどね」と、しつこく言い募っているヤクスを、横目で睨んで黙らせる。
「はっきり言って、難しいとは思うぞ。……と言っても、諦めそうにないな」
「はい」
 またも歯切れよく返事をする。
 止めても無駄だと理解したのか、キクリ正師はもう何も言うまいと決めたようだった。

「慧師よりの返答を伝える。お前が願った三つの事項の内、二つまでは認められた。ただし、昨夜も伝えたように実現するにあたり、一部条件を設けることとする」
 一つ目から順に話そう。
 正師は言いながらフードを深く被りなおした。
 その仕草を見て、ただの日除けではないと勘がささやく。
「まず、お前達の安全。これは無条件で認める。認めるというより、いままで以上に導士地区への対応を厚くする。各所で発生している隠匿を含んだ一連の事件。慧師も大変案じられており、内勤の高士の他、普段は外で任務に就いている高士を幾人か呼び戻し、対処させることを決定した」

 当然だ。

 当然だが、決定した事実を確認することに意味があった。導士は知らぬままでいいと、里の様々な情報から隔離されていた身にとっては大きな前進だ。
「次に、サキを家に戻す件。状況が落ち着けば戻すと伝えたが……どうあっても急ぎたいのだな」
「もちろんです」
「ならばこちらの願いも飲もう。……繰り返すがそうとう無茶な条件だ。それでもやるか?」
 言わんとしている内容は知っている。
 無茶は承知の上。だから迷わず是と返した。
 返答を聞いたキクリ正師は、ふうと大きく息を吐く。吐息に乗ってわずかに内心が漏れ出てきた。
 それも束の間のこと。
 手の平の上で、小さな真円を描いた正師はどこかへと言葉を発する。
 聞きなれない音に戸惑っていると、空気が変わった。
 肌に突き刺さる気配。
 不愉快な強い気配を受け、身体が勝手に張り詰めた。

「――馬鹿馬鹿しい」

 高い位置から落ちてきたあの男の声。見上げれば、上空に長いローブがはためいている。
「まさか、力量差がわからぬほど愚かだったとは」
 飛んできたのは男一人。
 他に人影が見えぬことに、落胆と安堵が入り混じった。
「ご足労いただきまして」
 さらりと言った正師を、男が見た。
 位だけなら正師の方が上であるのに、やや丁寧な対応だと感じた。それはそのまま男の特殊性を浮き彫りにする。
 里の上層ですら口出しがし辛い相手ということだ。
「さて、ローグレストよ。サキを家に戻したいと言うお前の希望。これは条件付きで認める」
 昨夜と同じ言を片耳で受け止めながら、上空の男と対峙する。
「サキは異能の娘。……正鵠が唐突に生まれた時のように。また唐突に生まれた、新たな真導士である可能性が高い。不心得者から守り、正しく導いていかねばならない」
 新たな真導士。里はそのように判断した。
 そうとしか言えぬのか。
 自分の中にある考えとは違うようだ。まあ、どちらの仮説が有力であろうと、いまは結論に辿り着かないだろう。
 彼女の謎はどこまでも深い。
「サキを守るというお前の覚悟に嘘はなかろう。しかし、まだ導士の身。力が不足していると判断する。それでも共に在りたいと言うのなら、己の力量を証明してみせよ」
 里の上層達に。
 そして里の頂点に君臨する男に、自分の力を証明する。
「勝てとは言わぬ。相手はサガノトスに在籍している高士の中でも精鋭中の精鋭」

 ゆえに、一撃でいい――。

「一撃でも当てられたら、一般の高士と変わらぬ力を有していると認めよう。せめて高士程度の力すらなければ、サキを守るなど言えぬしな。しかもお前は、昨今の真導士の中でも有数の真力量を誇っている。危険に晒し、有望な雛を潰すわけにもいかぬ」
 これ以上の譲歩はない。
「ただし。導士の助力であれば、これを認める。……お前は少し、頼ることを覚えなさい」
 そういうことかと嘆息した。
 おかしいと思ったのだ。
 ヤクスが意地を張っているのかと思いきや、どうも正師の差し金だったようだ。
 余計なお世話だと思い。それもそうかとも思う。
 わだかまった感情は、自分の手の中にある。どう転がすのも自分の意思次第。そうやって、自分を自分の支配下における気分のよさを味わう。
 久方ぶりの感覚だ。

 慎重に呼吸を整え。
 上空に留まり続けている男と視線を合わせる。

 強い真力だ。
 真力量はやはりクルトと同程度。
 それでも威圧感がある。残念ながら力量差ぐらいは理解している。この男に、いまの自分が勝てる見込みは零。
「ローグレストよ。準備は良いか」
「……その前に、一つだけ聞かせていただきたい。最後の願いはどうなっていますか」
 上空から男が降りてきた。
 大地に降り立った男から、また強烈な真力が放出される。
 横でヤクスが情けない声を出した。
 完全に怯んでしまっている友を放置し、キクリ正師に返答を求める。
「この条件を越えられたら、だな」
 検討すらされていないということか。それだけ確度が低いと見られている。
 結構なことだ。
 ふつふつと沸いてきたやりがいを腹に仕舞い込み、真眼を見開く。

「バト高士も、準備はよろしいか」
 問いに、せせら笑いが返ってくる。
「里での手合わせのため、生死に関わる場合は介入する。期限や回数の上限は設けていない。一撃が入ればローグレストの勝利とする。継続不可能とみなした時点で、これもまた介入する。介入があった場合は、すべて仕切りなおし。降参の意思を示さなければ、何度でも挑戦が可能。ゆえに己の意思で挑み、己の意思で退くよう」
 条件の確認に、一つ頷く。
「慧師の指令ですので、否やはございませんな」
「随分と甘い判断をされたようだ」
 面倒だといわんばかりの台詞。
 それすらも、いまは気力を高める要素となる。

 高らかな号令と共に、白がまばゆく煌いた。
 わずか高揚した心地で、凍える真力を受け止める。

(欲を張るなら、張り通せ)
 長兄から言い聞かされてきた家訓を頭に浮かべ、やってやるさと口元に笑みを刻んだ。

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