蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


闇夜に問う


 ナナバ正師の真術によって、バトの家に戻ってきてから。食卓でずっと考えごとをしていた。
 バトは外に出たままだ。
 時間を存分に使い、今日の出来事と一人で向き合うことにした。

 あの娘の夢は二度目だ。
 しかも、祭壇で見た時よりもずっと鮮明な夢だった。隣にいて、一緒に並んでいるようだった。
 今回の夢の中では、彼女の上にいなかったから、どんな風に感じ、どんな風に考えているかまでは追えなかった。
 ああでも、追う必要はなかっただろう。彼女は十分なほど心を表に出していた。
 自分が見る夢は、三種類あるらしい。
 人の上に乗る夢と、そうじゃない夢と、自分自身が見る本当の夢。
 鮮明さが強化されたのは、羽のせいと考えられる。
 羽についての考察を深めようとしたのに、ざわめく気持ちを塞いでおくことができなかった。

 いま、本当に考えたいのはあの娘のことなのだ。
 十二年前のサガノトスにいたであろう天水の導士。繋げようとしなくても勝手に繋がっていく断片の数々を、思考の風に乗せて浮かべる。
 夢の中で乗った時。どこかで聞いたことがある声だと思った。今日また夢を見て、それがいつのことだったかを思い出すことができた。
 "張りぼての町"で聞いた声だ。
 青銀の真導士が血を流すたび、悲しげな声で叫んでいたあの声だったのだ。
 苦しそうにバトを呼び、"役立たず"だと嘆いていた声。あの声をどうして忘れていたのだろう。
 あの娘は十二年前の導士。同じく十二年前は導士であった青銀の真導士。
 がらんどうの家を見渡した。
 真導士になったと同時に与えられる家は、令師の元で修行する期間だけ里に返す。
 令師の元で修行をするのは数ヶ月あまり。修行期間が明ければ里に戻ってきて、高士地区に住まう。高士になればどこに居住しても許される。ただ、里に戻ってくるのが大半だと聞いた。
 そうやって戻ってきた者達は、里に返していた家で再び暮らす。
 だから真導士の家は、どれも同じだ。
 三人番になるか。家族を呼び寄せるかすれば、大きな家を与えてもらえるらしい。でも、そうでもなければ全部同じなのだ。
 自分の後ろにある扉を見た。
 バトの部屋の向かいにある、もう一つの扉の存在。
 自分以外は誰もいない家。
 そして、金の獣が言っていたバトにつけられているもう一つの通称――"片翼"。

 薄々感づいていた。
 真導士には必ず相棒がいる。相棒が追放されたら、三人番に組み直しが行われるから、相棒がいない者は存在しない。
 サガノトスの選定は、相棒を組むためのもの。"迷いの森"を共に抜けてきた者がいる。いなければおかしい。
 それでも、バトは一人なのだ。
 夢の中で娘は言っていた。迎えにきてくれたのかと。

 迎えにくる。
 それは誰に使う言葉か。ティピアなら、ユーリなら、自分なら……。
 そう、自分ならローグに使う。実際よく言っている。倉庫まできてくれた時に使っている。
 胸がつきつきと痛みを出す。
(ねえ、バトさん……)

 彼女はいつも花壇にいたのですか。
 貴方はそれを知っていたのですね。知っていたから迎えに行ったのでしょう。
 "闇の鐘"が鳴れば夜はすぐにやってくるから。夜がくる前にと、迎えに行ったのでしょう。

 すぐに背を向けてしまっていたけど、彼女はすごく、すごく喜んでいた。
 我慢ができず、涙を一粒零す。
 すっかり泣き虫になってしまった自分を認めて、閉ざされたままの扉を見つめる。
 青銀の真導士はじきに帰ってくるだろう。花壇に寄らず、帰ってくるだろう。家の扉が開かれた時、あの背中の向こうから足音がすることはない。
 小走りに追いかけてくる娘は、きっともうどこにもいないのだ。






 家から少し離れた場所に渡り、周囲を確認してから歩く。
 厄介ごとに巻き込まれた。里に呼び戻しておいて、次の任務がこれとは。
 慧師は理解し難い時がある。為政者の気まぐれとも言える。件の調査は継続中。導士にかまけている場合とは思えぬ。絶対の指示と言えど、優先順位が違うだろう。
 山積している課題。解決の手はずを考えながら家に入り、ランプに火を灯す。
 そこで息を吐いた。ランプの下に白金を見つけたためだ。
「お前な」
 寝床で丸まっていればいいものを。何を思ったか食卓の上で寝息を立てている。いくら子犬とあっても、寝床くらいは覚えるべきだ。寝入ったまま微動だにしない子犬は、夢の中で散歩でもしているようだ。
「……まったく、手間隙のかかる」
 一体、どのような神経をしているのか。
 珍妙な娘だと呆れつつも寝床へと運ぶ。存外に軽い娘ゆえ運ぶのは易い。
 難なく運び、寝床へ下ろす。そのまま部屋を出ることもできたが、布を掛けてやることにした。
 芸を仕込むどころか躾すらできておらず、これで風邪でもひかれたらなお厄介。
 実に、手間隙のかかる犬だ。
 どうやって忠犬に仕立て上げるか。こちらも課題が山積している。
 息つく間もないとはこのことだろう。こちらの気も知らず、呑気に夢で遊んでいる子犬は、掛けたばかりの布を巻き込み、横へ寝返りを打った。
 寝返りの拍子に、白金の髪が散る。
 薄い輝きが、忘れていた過去を呼び寄せていく。

 あの日の光景が闇に浮かぶ。
 一房ずつ垂らした添え髪をゆらし。雪が降りそうだと空を見上げ。寒いから暖かくしていけと小うるさく騒ぎ。
 気をつけてと笑う姿。

 帰還せよと指令を受け取った時、まだ時期が早いと考えた。
 実際は違う。あの年が遅かっただけだ。国王との謁見は夏のはじめとされている。あの年だけ、国側の都合で日がずれていた。
 日か時期か。
 巡ってきた年の内、どちらが真実の時か慧師も計りかねていた。二つの可能性があり、結局そのどちらも対処すると決定した様子だった。
 馬車に乗り込む四羽の雛を見守りながら「同じだな」と呟いたことを思い出す。
 やってきた"二つ星"。数多く生まれた真導士。その中に含まれている、例年と比べられぬほど飛びぬけた真力を持つ導士。
 そう、状況はあまりに酷似していた。
 馬車が走り去っていくのを見送った後、数多くの高士が里の各所に配された。
 執務室から出た足で向かったのは、里の東。
 あの場所だった。
 真力を高ぶらせ、はじまりを待っていた。待てども待てども動きがなく。今日ではなかったのかと結論を出しかけていた時、一つの報せが飛び込んできた。

 行方不明者一名。
 髪は金、瞳は琥珀。
 系統は天水。
 娘の導士。

 報せを聞いた足で、かの家に向かった。
 案の定、何をするでもなく家にいた。あの時の苛立ちは、どう表現すべきだろう。何も知らず、何が起きているかも理解せず、呆けた顔をさらしていた導士に対する怒り。
 はじまった捜索も、過去をなぞらえる様だった。
 小雪交じりの雨が降っていれば、同じと言っていい。泥をかき分け、四方八方に足を伸ばす。
 捜索の最中、例の導士を見つけた。翼を求めてさまよい歩く雛の手には"碧落の陣"。かつてこの手にもあった輝尚石を持ち、一縷の望みを掛けて真術を飛ばしていた。
 激情があふれた。
 憎たらしさのあまり、殺意すら芽生えた。
 立場を忘れ、問いかけてやろうとすら考えた。

 お前は知っているのか。娘が戻ってこないことを。
 手に大事に抱えている水晶は、娘を探す道具ではないということを。
 その真術は何も成しはしない。
 与えられた膨大な真力を消費するための真術。有望な導士を潰さずにおくための施策。望みに応えるよう見せかけて、"暴発"を阻止するべく、真力を減らされているだけだというのに。

 我慢がならず導士を蹴りつけ、目の前から消え失せろと里に飛ばした。
 果たしてあの怒りは、導士にぶつけるべきだったのか。いまはもう判然としない。

 寝床に腰を下ろし、丸まって眠る娘の髪を撫でつけた。
 発見。そして帰還の報せを受け取った時は、"暴走"を止め、姿を見た時と同じ種類の驚愕を受けた。
「もはや、戻らぬと思ったが……」
 あらゆる理屈を曲げて、奇跡を演じる天水の導士。
 この年にあって、どういう目を出すか予測がつかない。
「お前は帰ってきたか」
 何が違った。
 ここまで同じで、何ゆえ結果が分かれた。
 白金の髪。琥珀の瞳。飾り気なく垂らされた添え髪。顔かたちはさすがに違えど、とても似ている。
 系統とて天水だ。
 同じだと思える。
 それでも道は分かたれた。
 何が違う。一体、何が足りなかったというのか。
 答えは十二年経ったいまも、地底深くに沈められている。
 窓の向こうで、"二つ星"が輝いている。日ではなく時期が重要だと判明した以上、いずれ巡ってくる時に答えを得るだろう。

「よく、戻った……」
 胸元がわずかぬくもった。
 "二つ星"の光を遮るよう窓掛けを下ろし、部屋を後にする。

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