蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


春を待つ


 逃げもせず。隠れもせず。青銀の真導士が目覚めるのを待った。

 目を覚ましたら何から話そう。
 考えがまとまらない内に、青銀の真導士の瞼に動きが出た。
 長い前髪の隙間から冴えた色があらわれる。青銀の輝きの上には幻が漂っている。この人特有の色の上、慰撫するようにただよう淡い光。
 口が名前を形作ろうとする。
 だからあえて、その音を遮った。
「バトさん」
 違うのですと伝えるために。
 その間違いは悲しい。貴方にとって辛過ぎるから。
「バトさんは、"バト"さんではなかったのですね」
 色々悩んだ挙句、自分はこれしか言えなかった。情けないほど口下手である。
 バトは緩慢な動きで前髪を払う。
 次いで、口元に皮肉な笑みが浮かんだ。普段どおりの冷笑を刻んだバトに、いびつな笑顔で応じる。
「まったくお前は……どういう奴なのだ」
 平坦な感想。
 でも、声がとても疲れている。長旅から戻ってきたかのように。
「自分でもわかりません」

 ――本当にごめんなさい。



 着替えろと指示が出された。
 ボトルを片づけますと主張したのだが、他の酒も割るつもりかと凄まれ、すごすごと引き下がることになった。
 バトは至って平静。
 割れたボトルとこぼした酒を転送で飛ばして。棚から新しい酒を持ち出しグラスを手にする。気配も夢を視る前と一緒。身支度を整え、居間に戻ってきてもそれは変わらずだった。
 晩酌をしているバトの傍で、お茶をすする。
 長い沈黙は驚くほど居心地がよかった。しんしんと、夜が静かに降り積もっていく。

「北に行ったことはあるか」
 真夜中の気配をまとったバトが聞く。北どころか村から出た記憶がないので、素直にいいえと答えておく。
「わたしの村は、ずっと東の方でしたから」
「東か。あちらは食うに困らぬ土地だ。北は大地の加護が薄い。山間部ならば生きやすいと聞くが、大半は荒れた大地だ」

 バトは北の出身だと言った。
 山沿いの豊かな地域から、遠く離れた町に生まれて育った。目ぼしい特産品もなく。大地が痩せていて実りも期待できず。そのため人心が荒んでいて、親が子を売るのはめずらしくなかったのだと。
「俺の父親も、例に漏れずろくでなしでな。生まれた子を片っ端から売って、酒代に替えていた」
 兄弟は多かった。
 多かったが名前すら記憶していない。母親は子が売られていくたびに泣いていた。それでも父親を止めず、売られてしまう子を産み落としていた。その中で、バトだけは手元に残されていたらしい。
「たまたま町に来た真導士が、真力を見抜いたのだ。いずれ金に化けるからと売らずにおいたのだろう」
 子を売られ続け、泣き暮らすだけだった母親。
 その母親が、ある日いきなり町を出た。娘が生まれたからだとバトは言う。
 男より女の方が値が高い。生まれた子が娘だと知った父親が、大喜びで人買いを呼びつけ……その次の日には、生まれたての妹ともども姿を消していたらしい。

「娘が生まれればと、甘い幻想を抱いていたのやもな」
 母親とはそれきり会っていない。父親とも里に来て以降、顔を会わせていない。
「酒で身体を崩していた。とっくに死んでいるだろう」
「他の兄弟は……」
「探しておらぬ。顔も名も覚えておらんのをどう探す。どの道、あの地で子供が生きるのは難しい。東の者には想像ができんだろうが、全員死んでいても不思議とは思わぬ」
 真導士の里にきたバトは名を変えた。
 知己がいない場所だから、名を変えてしまえば父親が訪ねてくることもなくなる。故郷にまつわるすべてを捨て、一人で生きるつもりでそれまでの名を捨てた。
 淡々と過去を紡ぐバトから、感情は得られなかった。気配にもゆらぎがない。任務の話をしているかのように、情報を適切にまとめて語る。
「名前はどう決めたのです」
 聞けば、わずかな振動が伝わってきた。
 卓に渡った振動から気を逸らそうと、また一口だけ茶を含んだ。
「"迷いの森"で……決めたのだったか」
 自身の過去を手繰っていたのか。
 忘れていたことをいまになって思い出したと、そんな顔をした。
「神話か小説だろう。思いついた名前を延々と出してきて……。数の多さにうんざりして、途中で出てきた短い名を選んだ」
 影に隠れていってしまった言葉を探す。
 この人に何を言えばいいか。うっかり大事な領域を踏み荒らした自分を恥じた。
 そんな自分にバトは問う。
「相手は誰だと聞かぬのか。……聞かぬでもわかるか。"迷いの森"はそのための場所ゆえ」
 いつもの冷笑を浮かべて、薄い琥珀の酒を見ているバト。
 青銀の上にただよう光が強くなっている。
「"選定の儀"が行われる二月前から、国中に禁術が展開される」

 ―― 十五を迎えた者は聖都ダールへ。十五になった者を聖都ダールへ。

 国中の者が、禁術の影響を受ける。
 "選定の儀"に向かうことが至上の命題とされる。命題を果たすべく聖都に集まってきたら、さらに禁術が重ねられる。
「お前は不思議に思わなかったか。国中の者達が選定を受けるにしては、終わるのが早いだろう」
「……ええ」
「聖都ダールに展開される禁術は、真導士になれそうな者にのみ行動を促す。初日の朝の内に、選定を受けにくるよう仕向けるのだ。昼以降にやってきた者達は真力が低い。ゆえに、初日の朝方だけ慧師と正師が選定に出向き、昼以降は神官が選定を行う。真導士が出ない儀式を、延々と真導士が執り行う必要はない」
 実際の"選定の儀"は、数日間執り行われている。
 しかし、真導士が生まれるのは初日の朝方のみと決まっているらしい。
「砂金を探すようなものだ。砂と泥を洗い流し、残った粒がその年の雛。あの年は豊作で六十の雛が生まれた」
 数の多さに目を瞠った。
「わたしたちよりも多い……」
「ああ。真力が高い者も多かった。四つ目はそうそう生まれぬが、あの年は六人出た。国王との謁見も、例年なら一人か二人のところ四人が選抜された」
 淡々と落とされる符号。
「数が多かったせいか、雛の気性が荒いと評判だった。悶着が起こるのは日常。どいつもこいつも妙に浮き足立って徒党を組み、かと思えば卑屈に怯えて隠れ暮らす。妙な噂に振り回されるのもあったか。やれお告げがどうだ、"呪い"がどうだと煩わしい話が満載だった」
 鼓動が跳ねる。
「"おまじない"も……」
「今年は組み紐らしいな。あの時はとんぼ玉だった。……実に下らぬ」
「真術は掛かっていたのですか」
 青銀の真導士が瞑目する。
 悼んでいるようにも見える仕草で。
「恐らくと答えよう。調べようにも手に入らぬゆえ仕方あるまい」
 背中が疼いた。
 先に進めば痛みを覚える。臆病な本能が自分に撤退を唆している。
 でも、もう遅い。自分は踏み込んでしまったのだ。絡められた運命の糸は、しっかりと手首に巻きついている。
 先へと向かうしかない。
「全部なくなったのですか」
「ああ」
「……どうしてです?」
 バトが閉じていた目を開けて、自分を見た。しかと視線を合わせて答えを待つ。
「着けていた奴が、残らず死んだ」
 一瞬、娘の幻が視えた。
 夕暮れの花壇でとんぼ玉の腕輪を擦る姿が、ふいに現れ、瞬きで掻き消されてしまう。
「全員、ですか」
「お前には視えたのだろう。サガノトスは過去に一度壊滅している。お前達が、"生贄の祭壇"と呼んでいる里の東で変事が起きた。十二年前まで、あの場所は導士地区。里全体が壊滅的な被害を受けたのだ。導士地区の状況は言わずともわかるな」
「でも、この家は無事です」
 皮肉な笑みが作られた。
「家だけ無事だった、と言う。外れに建てたせいもあるが、真術で守られてもいたゆえ」
 この家も含め、形を保っていた家はあった。
 だが住人達は皆死んでしまった。
 何故なら――。
「全員が全員して家にいなかったのだ。どうしてとは聞くな。俺も知らぬ」
 荒れた雛達。
 不安と不満を抱えていた十二年前の導士達は、揃って家を空けていた。家にいれば無事だっただろう。その可能性もあるにはあった。
 不運と呼ぶべきか。
 それだけで片づけていいかと問われれば、答えは否だろう。
 遺体が残っていれば幸運。五体が揃っていた者はいなかった。ついに遺体が発見されていない導士も多い。
「事態は収束をしたが、被害は甚大。正師にも高士にも死者が出た。事態の収束をみて、すぐに調査が行われた。しかし真相は藪の中。それも当然のこと。真相を知れるほどの距離にいた者は死んでいる。結果、十二年たったいまでも調査は継続されている」

 平坦な口調で過去を紡ぎ終えたバトは、どうだと聞いてきた。
「似ていると思わぬか」
「はい。……バトさんは今年も変事が起こると」
「十二年前を知っている者は、口にせずとも思っている。状況を見比べる時は過ぎた。シュタイン慧師はすでに同じと想定して動いている」
 十二年前。
 バトと同じく導士だった白銀の慧師。懸命に命を救おうとしていた、あの日の導士。
 慧師は里を守ろうとしている。
 やはり、あの人こそがこのサガノトスの長なのだ。
「あとは"その時"がいつ来るかだった。考えられる筋は二つ。"謁見の日"か、"風渡りの日"か」

 ――"風渡りの日"。
 真夜中に嵐を思わせる荒天となり、明くる朝から急激に大気が冷える。雪になることもよくある。
 冬が訪れた初日を指す言葉だ。

「どうやら本命は"風渡りの日"だ。十二年経ってようやくこれだけは判明した」
 皮肉に歪められた青銀を見つめる。
「対策はとるが、何が起こるかまでは予期できぬ。これから里は荒れる。過去を知る者の中には、"出奔"を目論む者も出るだろう。逆に好機と睨み、慧師を狙う輩も生まれよう。里の上層達は、十二年前より事態が悪化すると読んでいる。……お前は、冬が来るまでに里を下りろ」
 幻の光がゆれる。やさしい光を視ていた自分は、真夜中に春の気配が埋もれていると気がついた。
「一人で、ですか」
「そうだ」
「バトさんは?」
「俺は前線だ」
 皮肉な冷笑が深くなった。
「大丈夫なのですか」
「さてな」
 春が吹く。
「もとより死んでいたはずの命だ。身軽で丁度いいだろう」
 気配の主は、青銀の真導士の言葉を悲しんでいる。
 バトからあふれているようにも感じる気配は、当人が放棄した命をひたすらに案じている。
 女神の試練は続いていたようだ。
 この夜に、自分が成すべきことが残っている。

「一人で下りるつもりはありません」
「"黒いの"は連れて行けん。禁術をもってしても、精霊が嫌う毒を真眼に混ぜるのみ。真術は封じれるが真力は無理だ。開いた真眼は二度と塞げん。五つ目まである者が、街中で"暴発"を起こせば大事。真力高き者を里から出すことはできぬ。奴には真導士として生きるより道はない」
「ローグが残るなら、わたしも残ります。それに友人達もいますから。彼らを置き去りにはできません」
 バトの表情が苦く染まった。
「強情な」
「ええ、そうですね」
「あれが、どれだけの真導士を摘んでいったか。"青の奇跡"が役立つとは限らぬ」
「"役立たず"と呼ばれるのは慣れています」
 青銀が少しだけ見開かれる。
「"役立たず"で結構です。自分にやれることをしようと思っています。宿命の道がどこにあるか、まだ知りません。そもそも人でないわたしに、宿命の道があるかもわかりません」
 言葉を切って、息を吸い。
 残酷な言葉を紡ぐ覚悟をした。
「決めたのです。きっとふさわしい番になると。彼に似合う、強い翼になりたいのです」
 よせ。
 バトが言葉に抵抗を示した。卓の上にグラスを置き、席を立とうとする。
「待ってください」
 いましかない。
 天啓の形をした直感が、腕を動かしてバトの袖をつかむ。
「わたし、まだ報告していないことがあります。眠りの病を患っていた時、生贄の夢に紛れて過去のサガノトスの夢を視ました。……白いマーディエルが咲いた、花壇の夢です」
 苛立ちをもった背中が、跳ねた。
「天水の導士が、花の種に真術を籠めていました。期待をいっぱいしていて、ちょっとだけ不安そうで――」
「黙れ」
「花が咲くのを楽しみにしていました。今度は上手くいくといいなって」
「……やめろ」
「彼女の夢は初めてでした。でも、わたしは彼女の声を聞いたことがあったんです。"張りぼて"の町で、バトさんが戦っている時に」
 苛立ち、怒り。激情を乗せている白い背中に語って聞かせる。
「心配していました。すごく悲しそうでした。どうして何もできないんだろう、と」
 彼女の気持ちは、よくわかる。
「だって支えたい。力になりたい。血が流れていれば癒したい」
 伝えよう。
 いまこそ、彼女の気持ちを。
「運命に導かれた絆を持つのは自分だと、胸を張りたいんです」
 心臓が張り裂けそうだった。かつて一度重なった気持ちが、痛くて痛くて苦しい。
 つかんだ袖を強く引いて、深呼吸をする。
 そして、彼女の気持ちを心を凍らせた人に手渡した。
「――"わたしが貴方の相棒なんだ"って」



 悲痛な沈黙が流れ、唐突に確約を求められた。
 たった一言だけ。
 忘れろ、と。

 返事をする前に、荒々しく抱き締められた。
 青く塗れた色が視界を埋める。
 真夜中の気配と、確かな体温に包まれながら闇夜を覗く。天高くに輝く"二つ星"。寄り添っているのに、決して交わらない二つの輝きを見つめる。
 突然のきつい拘束。互いの身体の合間で、自分の腕が挟まれている。わずかに位置をずらした自分の手が、何かをつかんだ。
 シャツの下に隠されていたそれ。
 首飾りの先端に下げられている包みの中に、あの娘が『いた』。
 荒く、苦痛を吐き出すよう繰り返される呼吸が聞こえる。自分はそこに在ることだけに集中していた。バトと春の気配に埋もれて、静かに立ち尽くす。神殿にあるパルシュナの神像の如く。女神と等しく在れるよう、瞬きすらも封じて、立つ。
(この人は……)
 冷血とはほど遠い。
 あふれる感情が、身の内に眠っている。こんなにもたくさん……残っているではないか。
 凝ってしまった硬い心は、春を待っている。
 ずっと、ずっと待っているのだ。

 強く抱かれながら目を閉じた。目を閉じた後に、耳が音を拾う。
 固く結ばれていた唇が、その名をこぼして落としたのだ。

 確約通り。



 すべてを忘れることにした。

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