蒼天のかけら  第十章  晦冥の牙


調査続行


 窓から入ってくる風が冷たくなった。
 夕立がくる。
 夏の天気は変わりやすい。これは故郷でも聖都でも大差ない。
 窓越しに窺った空の色は、暖炉の灰をぶちまけたかのよう。いまから帰路に着くよりも、手元にある本を読みきった方がよさそうだ。

 歴史。
 ご大層な言葉だが、毎日の繰り返しが重なった結果。時間を固めた挙句、出来上がっただけの代物。
 連綿と続いていたごく普通の日々の流れ。
 そんな毎日の中に、時折鋭い針が隠れている。見逃してしまうほど小さい、ごく些細な針。
 目を覆いたくなるような陰惨な出来事にも、女神を疑いたくなるような悲惨な事件にも、必ずそれがある。些細過ぎて誰も気づかない。それこそ、日々の食事に少しずつ毒を盛られていくようなもの。
 昨日より、わずか身体がだるく感じる程度の変化。
 後から見れば、それが前兆だったのだと気づくのだろう。すべてが壊されてから前兆だったと気づかされて、当時を知る者はどのような思いを抱いたのか。
 まとめられた書物の空白を、ただ見つめる。
 深く刻まれた嘆きが自分の中へと入り込んできている。すっかり固まってしまっている背中をぐいと伸ばし、大きく息を吸った。

 十二年前の"風渡りの日"に、サガノトスは崩壊の危機に直面した。

 歴史とは、少なくとも三つに大別されている。自分はそのように学んだ。
 大戦以降。大戦以前。そして古代。
 大戦以前と古代の境界は不明だ。
 そもそも大戦以前にどのような歴史が刻まれていたのか。一介の商人であり、最下級の真導士である自分が知れる領域は狭い。多くを知っている者がいるとすれば、王族や貴族。もしくは神官や一部の知識人だけだろう。
 大戦以降。つまりここ百年程度の歴史は、やたらと刻みつけられている。喪失されたものを穴埋めしようとする、悲しい努力の成果だ。
 それは、"第三の地 サガノトス"でも同じ。
 なくしてしまった時間を取り戻そうとするのは、もはや人の本能なのか。
 つい考えてしまうほど、大量に刻まれている書物。おかげで読み解くのに苦労する。それでも文字から目が離せない。何しろ前兆は呆気なく通り過ぎていく。前兆がどういう形をしているのか、知っておかねば確実に後悔する。
 夏が過ぎたら秋がくる。秋になってしまったら冬までは駆け足だ。

 ……ああ、まずい。
 気がそれてきた。寄り道をしてしまった。

 情報の濁流に、意識が押されてきている。
 もう一度大きく息を吸い、両手を上げて背中を伸ばした。
 そこで右手にくすぐったい感触を覚える。彼女の気配を刻んでいる組み紐。取り戻した色彩を視界に納め、左手で撫でつける。
 その途端、胸元が引きつれたようになった。
 記憶のない時間に植えられた傷跡は、時々存在を主張する。背が伸び続けていた時期は痒くて仕方なかった。一時のことだったので、すっかり忘れていたというのに。……最近とみに気になる。
 傷跡には真力が染みると聞いた。
 真力は血に乗って体内を巡っている。ささいな傷なら気にかけるような結果は生まない。しかし大怪我をした傷跡は、真眼のように真力を出すこともある。
 大地を巡る"真脈"と"真穴"。そして人の中を巡る"血脈"と"真眼"は、限りなく近しい。
 だからこそ。
 そう、だからこそ血の流れた場には、真力が刻まれる。気力と呼ばれている力が、血と混ざり合って"呪い"となる。

 古代から"呪い"が刻まれ、重ねられていった場所。

 知らなかったとはいえ、よくあそこに行けたものだ。いや、知らなかったからこそ行けたのか。
 かつての里の上層達は、よくあの場の上に導士達を住まわせたものだ。
 まさか、知らなかったのか?
 知らなかった可能性もあるだろう。何せ古代の話だ。その上、大戦以前は王家の土地だったのだ。知らなくてもおかしくはない。

 ――だとしたら。
 当時の里の上層すら知らなかったとしたら、誰があの場を開いたのだろう。

 疑問の上に、疑問が生まれ続けている。
 終わりの見えぬ時間の中で、ひたすらに頁をめくっていく。



 自分には、やるべきことがある。

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