蒼天のかけら  第十章  晦冥の牙


深い場所で


 頭蓋骨ほどの大きさもある水晶の中、濁った景色が映っている。
 久しく見ていない光景。
 光乏しい時刻であっても、その場所が里のどの位置かは正確に把握できていた。
 見回り部隊に配されて、最優先で求められるのは地理の把握。部隊から離れたと言えど、そう安々と頭から抜けはしない。

 風に乗り、薄められた真術が里を染めていく。
 水晶を注視しつつ、心で感嘆の声を漏らしていた。真術は強く放つより、弱く放つ方が技量を求められる。自身の気配を潰すほど弱く。それでいて一定の力を保って放たれている。
 なかなかできる芸当とは言えぬ。水晶から視線を移し、展開を支えている女を見た。意識を集中しているためか、瞼は閉じられている。
 額の真眼を除けば彫刻とも思える姿だ。

「手を引く頃合だ」
「わかっているわ。もう少しで全部だから……」
 女の返答を受けたジーノは、わずか肩を竦めた。
 夢中になると手に負えない。女が長く連れ添っている相棒は、よくぼやいている。暇を持て余している様子の男に問う。
「無駄ではないか」
「無駄、とは」
「里の上層にばれているのだろう。今夜はよくとも、明日には濯がれてしまう」
 一見して優男風の真導士は、それかと表情を緩めた。
「効果は消されるだろうな。だが、我々が求めているのは違うものだ」
 はぐらかした返答に追いかけるなと制された。
 新参者である己に作戦の全容は明かされておらず、このような対応を受けることも多い。
 主要な情報は長年の番が握っている。不満はあった。しかし、同志と呼ばれて日も浅い。逆の立場から見れば当たり前の対応と思えた。
 事を運ぶには、時として不条理が必要だ。信頼はじっくりと勝ち取っていけばいい。
「終わったわ」
 フィオラが言う。名残惜しむように閉じられた真眼から、最後の真力が放出され、空に散る。
 手際のよい始末を見届け。これは苦労すると、苦く思う。
 霧の件は優先事案だった。
 無論、第五部隊にも命が下されており調査を行っていた。種を見ずにどうやって真実へと到達するのか。幾度か頭で試行してみたものの、答えが出たことはなかった。

「ご苦労さん」
「簡単に言ってくれるわね。次は貴方がやる?」
「君にしかできないよ。……機嫌が悪いな。どうした」
「機嫌だって悪くなるわ。苦労して撒いてきた仕掛けの半分が潰されたのよ。ほんと、腹立たしいったら」
 この女は不満をよく漏らす。
 拠点に居座るようになって以降。会話の破片を集め、目論みを知る努力を重ねていた。目隠しをされているかのような状況では、フィオラの不満がありがたい恵みとなる。
「予想外だったな。ここまで長居をするとは」
「まったくよ。まさかずっと里にいるつもりじゃないでしょうね、あの男」
 腹部に熱が灯り、自然と手に力が入った。
「"鼠狩り"が動いているのか」
「ええ、そうよ。目障りでたまらない。呆れるほど緻密に調査しているんでしょうね。一つ見つかると、付近に撒いた仕掛けが全滅させられるの。……嫌な男だわ」
 不愉快そうに顔を顰め、指先の色を確かめている。
 フィオラが腹を立てている証拠だ。今夜はいま少し情報を漏らしてくれそうだと待ち構えておく。
「君達の所業が、余程堪えたようだ」
 軽く笑う男の言に、フィオラが反応した。
「まさか、あのお嬢ちゃんにそこまでご執心だったとわね。何がいいのかしら、あんな地味な娘」
「人の趣味とはわからんものだ」
 宥めるためだろう。
 ジーノは冷やしておいた酒を、フィオラのグラスに注いだ。
「趣味ねえ……」
 ぼやきながら赤を見つめていた瞳に、喜色が浮かぶ。
「――そうね。趣味なんてそうは変わらないでしょうし」
 妖艶な笑みを浮かべて言う。
 番の会話に割って入ろうか。そう考えた瞬間、大気が動いた。
 真眼が勝手に開きかけたのを気力だけで抑え込み、訪れを待つ。里の中心。中央棟からやってくる真術に、真導士の本能が引きずられる。
 それは、大地を音もなく駆けていく。
 水晶から覗く世界ゆえ、元より音は失われている。
 だが、知っていた。いま地表を駆け抜けている真術に音がないことを。幾度となく間近で触れてきた事実。安堵と畏怖をかき立てるその力。
「お見事」
 悔しさを微塵も出さず、ジーノが言った。
「慧師がいるのを知っていて、か」
「そうさ、消されることも織り込み済み。思っていたより動くのが早かったが、想定通りだ」
 ――何ゆえ。
 問いに答えは返らなかった。代わりに今日の仕事は終わりだと告げられ、己にグラスが差し出された。飲み下した酒は、渋みと苦味が強く、口腔内でしばらく尾を引くこととなる。






「すごい……」
 里のすべてを駆け抜けていっただろう真術に、度肝を抜かれた。
 森閑の気配が満ちたと同時に、濁った世界が吹き飛ばされてしまったのだ。いましがたまで漂っていた霧は、片鱗すら残されていない。
「想像以上だな」
 自分の頭上で、ローグが呆気にとられたような声を出した。
 振り仰いでみれば、彼の額が明るく光っている。同じように開かされた自分の額を撫でさすり、ゆっくりと呼気を整える。
 無意識に"共鳴"させられた。里の長の力に、逆らう余地は寸分もなかった。
「いまのは旋風ですよね」
「そうだな。それらしい気配がしていた」
 状況を分析して平静を取り戻したローグは、自分の目的を思い出したのか、また本をめくりはじめる。
「中央棟にある"真穴"の真力と旋風を絡めて、一気に放出したんだ。あの程度の真術ではひとたまりもない」
 呼吸が上手く整ってくれず辛い。
 背中がそわそわしていて、どうしても落ち着かなかった。
 苦心していると背中に大きな手が置かれた。触れた場所からじんわりと熱が沁みてくる。
「慧師は絶対の存在か……。確かにそうだろう。あれほどの力に逆らうのは難しい」
 置かれた手が、そっと動いた。
 動きにつられて隠されている羽が時を止めた。羽の動きが止まったことで、気力が徐々に整いはじめる。
「大丈夫か」
「ええ……。ありがとう、もう平気です」

 笑みを交わしてから、そろそろ休もうかとローグが言った。
 ランプの灯りを少し落として目を瞑り、無理にでも眠りの中へと落ちる。いまは、休息の時だと思い決めて。
 日々が流れていく中で、戦いは深く、静かに進んでいく。

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