蒼天のかけら  第十章  晦冥の牙


カテンの実


 聖都は、相変わらず祭りのような賑わいを見せていた。
 空は抜けるように青く。夏らしい雲が白く大きく膨れている。
 さすがに聖都に下りてくれば虫の声は聞こえない。虫の合唱に代わり、人々の声が鳴り響いている。
 朝早くなのに、そこかしこから焦がしたソースのおいしそうな匂いがただよってきている。朝市帰りの客を見込んでいるのだろう。朝食はしっかりとってきたのに、店の中へ入りたくなってしまう。

 いつも通りの聖都。
 しかし、どうも勝手が違うと感じるのは黒髪の相棒がいないせいだろう。
 歩く時に握られている手が、すうすうと涼しく感じる。先行くクルトと自分の間に人が入ってこようとするたび、手を伸ばしては引っ込めるを繰り返している。どうにもやりずらい。
「あのなあ……、手は握ってやれねえから裾でもつかんでろよ」
 手を引っ込めること三度目で、とうとうこんなことを言われてしまった。
 恥ずかしくて耳が熱くなる。

 このことでは、友人達によくからかわれている。
 黒髪の相棒は、同じ男から見ても過保護らしい。はっきり言って自覚はなかった。何せ村を出て初めてあったのがローグなのだ。
 いまさら変だと言われても困るというもの。

 数歩前を歩いているクルトは、時折何かを確認していた。少し歩みがゆるんだ隙に追いつく格好になっている。
 クルトは歩きでも足が速いようだ。
「初めて行くお店なのですか?」
「ああ。家に帰った時に、親父から教えてもらった。聖都にはガルヤ産を称している品は多いけど、偽物も多いからな。実家の隣が品を卸している店なんだ。そこの取引先だって言うから確実だ」
「魔除けも大変ですね」
 まあなといいながら、大通りを左に曲がった。
 この道はたまに通る。ちょっと行ったところに行きつけの青果店がある。
「うちの町の男は、成人する前から一通りの知識を叩き込まれる。これがすんげえ面倒なんだ。ま、女は女で子供の頃から呪いを避けるように仕込まれるから、あっちの方が大変かもな」
 言って、首にかけている布で汗を拭った。
 クルトの背はローグよりも低い。けれど、自分よりは高いのでやはり見上げる形になる。
「ユーリの怖がりはそのせいだ。寄り合いがあるたびに何か聞かされてたらしくて、いっつもべそかいてた」
 天真爛漫な友人の弱点は、故郷ゆかりのものだったようだ。
「わざわざ怖がらせるのはかわいそうですね……」
「かもな。とはいえ町の女が何も知らないのもまずいさ」
 断言するような口調だったので、口元がうずうずとした。
「クルトさんも信じているのですか?」
 うずうずが我慢できず。聞いては悪いと思いつつ、疑問が出た。
 赤毛の友人は、怪談だの"おまじない"だのを女子供の遊びと捉えている節があった。
 けれども、故郷の話になると別人のような対応をする。
 ちょっと変だなと思った。
「あんまり聞くなって。あの町の出身だってのもなるべく隠した方がいいくらいだ」
 聞いたらすぐに軽い口ぶりで拒否が返ってきた。駄目だったかと肩を落とす。
「あとはこの道を曲がって……。あった、あった」
 そうこうしている内に、目的地までやってきていたようだ。
 しょんぼりと落としていた肩を張り、クルトが指し示した店を見やる。
「あ……」
 大通りから外れた道に建つ一軒の店。
 見覚えのある軒先に"星花屋"と彫られた看板が下がっている。
「邪魔するぜ」
 呼びかけるより先に、クルトが店に入っていってしまう。
 遅れまいと入った店には、相も変わらずところ狭しと商品が並べられていた。
 以前きた時よりも棚の木が新しくなっている。檜のいい香りが鼻腔をくすぐった。一足早く店に入っていたクルトは、棚の下から椅子を取り出そうしているところだった。

 男物も女物も交じり合って置かれている装飾具の店。ここは確か――。

「いらっしゃい」
 奥から出てきた愛想がない店主は、クルトを眺めてから自分を見つけ、わずかに目を瞠った。
「こ、こんにちは」
 へどもどと挨拶をすれば、赤毛の友人がびっくりしたようにこちらを見た。
「知っている店か?」
「ええ、ローグと一緒に買いにきたことがありまして」
「じゃあ安心だ。あいつが選んだ店なら確かだろ」
 自分達の会話を聞き流していた店主は、ここでようやく笑みらしきものを浮かべた。
「今日は、兄ちゃんと一緒じゃないのかい」
「無理言って借りてきたんだ。手鏡を持ってきてくれねえか」
 話しながら、クルトが懐から木札を取り出して渡す。
 取り出された木札は、神殿で配られている守護札に似ている。古めかしいこげ茶の札には、黄色い染め具で紋が描かれていた。
 これは何だろう。
「……そういうことかい。ちょいと座っててくんな。おとつい届いたばかりの品がある。いや、付き添いでよかった。せっかくの上客を逃すところだったよ」
 からかいらしき台詞を置いて、店主が奥へと引っ込んでいった。
 付き添いでよかったのはこちらの方だ。危うくここの店主にも悪女扱いされるところであった。

 再び店主が戻ってきた時、大きな木箱を抱えていた。
 中には大量の手鏡。
 成人前の子供向けから、お婆さんが好んで使いそうな装飾のものまで、幅広く揃えられていた。
「今回は、どういう品をお探しで」
 丁寧な口調の無愛想な声がクルトに聞く。聞きながらも品を棚に置いていく。
「どういうって言ってもなあ……。さっぱりわかんねえや。おい、サキ。選んでくれよ」
 思案しているせいか、口が変な風に曲がっている。
 頼ってくれるのはうれしい。けれども、本質的に間違っているように感じたので、口が勝手にとんがった。
「それは駄目ですよ。割ってしまったのはクルトさんでしょう。ちゃんと選んで、ユーリに謝らないと」
「つっても……。女物なんてどう選べばいいのか」
 ユーリのことになると不貞腐れたようになるのは幼馴染としての甘えか、もしくは慣習か。
 困った人だと思いつつ、手鏡を一つ一つ検分する。

「ユーリは花の模様が好きでしたよね」
 天真爛漫で娘らしい彼女は、可愛いものが大好き。小さな動物や、宝玉。中でも花をこよなく愛する。
 レニーからの土産も、花柄の窓掛けを受け取っていたはずだ。
「あいつの部屋、花だらけだぜ」
 部屋だけでなく、最近は居間にも花が侵食してきているとだるそうに語る。
 当たり前に言ってきたものだから聞き逃しそうになってしまった。いつもからかわれっぱなしだったので、ここらで一つ反撃してみようか。
「ユーリの部屋、ですよね」
 聞けば頬に赤味が差してきた。
「文句でもあるか? 餓鬼の時から行ったりきたりしてるから、もう何とも思ってねえよ」
 ……ほほう、そうきたか。
 まあ、自分も人のことは言えない立場だし、と。飛び火が来ない内に目的へと立ち戻った。
「この手鏡はどうでしょう。縁の花柄が細かくて、とても丁寧に彫られています」
「そいつは駄目だ。あまり手が込んでない。装飾は立派だけど」
 細やかな柄なのにどうしてなのか。頭の上に疑問が踊る。
「一応な。相手に対応した物を選らばねえと。それは、清めの印が薄い。町から出た女の娘が使う分にはいい。だけど、ユーリは生粋の町の出だ。両親も町の出だから、印が濃くて強い物がいい」
「難しいです……」
「しかも十五だから、一番濃い奴がいい」
「年齢が関係あるのですか?」
 これには無言が返された。
「娘さん。あの町は色々と難しい」
 ずっと黙っていた店主が、茶を差し出しつつ苦言を呈してきた。思わず両手で口を押さえる。
「ごめんなさい」
「いい。気になるのは当然だ。……あ、これがいいか」
 クルトが選んだ手鏡は、店主に差し出した木札と同じ印が彫られているものだ。
 濃く大きい印は力強くも感じる。
 周囲には見たことがない花の図柄が彫られていた。つい、めずらしさから図柄に見入る。
「カテンの花だ。美味い実が生る。ほらここに実も描かれてる」
「もうっ、食い意地で選んでいませんか」
「いいだろ花だけよりは。こいつにする、包んでくれ」
 さっさと決めてしまったクルトが財布を出すと、店内に「へい、毎度」と景気のいい声が染み渡った。

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