蒼天のかけら  第十章  晦冥の牙


潜入


 縄を引かれて、でこぼことした通路を歩く。
 人の気配が遠い。
 あれだけいた灰泥達は、すでに引き上げていないようだ。
 自分を競り落とした男は、例の場所を出てから何も言わず。淡々と縄を引き、前を歩いている。

「どこに行くのですか……」
 喉が渇いていたためにかすれた声が出た。
 淡々と歩いていた男は、足を止めて興味深そうな表情をした。
「いいとこだよ」
 にやりと笑った顔は、人の悪そうな印象を受ける。でも、あの男達とは何かが違った。
「解いてもらえませんか」
「その年で甘え上手か。先々が思いやられる」
「あの……」
 続けての言葉は、衝撃の中に消えた。
 襟首を掴まれ、引き上げられたのだ。左足が少し上がった格好で視線が絡む。
「自分の立場をわかってんのか」

(――簡単な嘘の見抜き方がある)

 前にも増して商売について語ることが多くなった相棒が、話のついでに教えてくれたことがあった。
 言葉というのは嘘をつくのも簡単。
 だからこそ言葉だけで嘘を見抜くのは不可能に近い。

(相手の行動を見ればいい。大概は言葉より行動が本音なんだ)

 引き上げられた身体に掛かっているのは、自分の重み、ただそれだけだ。
 痛みを伴わない脅しと騒がない勘。
 絡んだ先にある翡翠の瞳。

 ――奥にある白い光。

 確信を得た自分は、次の行動を待った。察知したのか呆れたのか、ついに男は本音をこぼす。
「娘っこだけで、歩き回るからこうなる」
 そうして言葉とは裏腹に愉快そうな笑みを浮かべた。
 まったくぶれない精神。
 あまりに整った所作。場慣れしている有様。
 そして、奥にただよっている白の光から答えを引く。
「高士の方ですね」
「……報告書通りといったところか。かなりの勘だな。この状態で見抜かれたのは初めてだ。……ああ、礼はいらん。高士とも口にするな。見つかったらまずい」
 くいと額の布を右の親指で指し示した。
「隠匿の奥が追えるのは便利だな。その才能を分けて欲しいものだ」
「灰泥を捕まえる任務でしょうか」
 途端、男がぎょっとした顔となり、慌てたように聞いてきた。
「おいおい、どこでそんな言葉を習った。川筋の娘か」
「川筋?」
「知らんのか。では、違うな。灰泥なんて言葉を使うのは、商売人くらいだ」
「相棒が商人なのです」
「なるほど、そういうことか」

 四大国の交易は、海沿い川沿いを中心に栄えてきた。
 そのため、商売人を川筋と呼ぶこともあるのだと教えてくれた。

 言いながら、ポケットから紙を掲げて見せてくる。
 神鳥の透かしが入った紙には、難しい文字が並んでいる。ずらずらと書かれた中から、どうにか"警護"という単語を拾い出した。
「わたしの……?」
「まあな。ついでにこっちもある」
 笑いながら取り出した紙には"誘拐"という文字が躍っていた。
「差し込みがあったから、一時保留にしていた。オレはついている。一気に片付けられそうだ」
 砕けた口調からも、話す内容からも安心していい相手だとわかった。わかったはいいものの、緊張で抑え込んでいた不安が一気に噴出する。
「では、すぐにでも助けに行かないと!」
 男達に連れて行かれた娘も、サガノトスの導士なのだと続けて訴える。
 勢いのあまり前のめりになる。その姿勢を正すように、両肩を押さえられた。
「あー、わかっとる、わかっとる。ちゃんと助けてやるから落ち着くことだ。娘っこの声ってのは、自身が思っているより響く。まずはその口を閉じて、この場に座れ。あと、もうちょい離れろ。あんまり引っついてくるといかがわしい気分になる」
 発言を受けて即座に座った。
 急いでいるのに、頬と耳が熱くなる。
「……冗談にしてはひどいです」。
「娘っこの癖に無防備過ぎる。今後、余計なことに巻き込まれんように釘が必要だろう」
 警護に就いたのがやさしいお兄さんでよかったなと、また笑った。
 やさしいお兄さんかどうかはさておき。とにもかくにもユーリの救出を急がねばならない。

 早く、さあ早く。

 焦った気配が届いたのか、男が少しばかり真面目な顔つきに戻った。
「言われんでも救出に向かう。十五になったガルヤの娘。おあつらえ向きだからな。上客に売りつけるつもりだろうよ。奴さん達の捕縛より優先事項だ」
 語りながらまたまた紙を出してきた。
 この人、それぞれのポケットに指令書を仕舞っているのだろうか?
 とても不便な気がする。
 しかし、次に出てきたのは指令書ではなく見取り図だった。
 とても簡素な線がいくつか並んでいて、地下施設の大枠が描かれている。
「現在地はここだ。出口はこっち。そんで、もう一人の娘っこはここいらにいるだろう」
 言って、出口とはもっとも離れた場所を示す。
 自分達がいまいる場所は、出口に近い。もしかして自分だけ外に出されてしまうかもと考えた。
 それは困る。
 ユーリが心配だし、赤毛の友人に任されていたという自負がある。いざとなったら隠匿が追えるこの鋭敏な勘を盾に、同行を申し出よう。
 そんなことを一人画策していたら、呆気ないほどの口調で指示が出た。

「出口は目の前だけど、お嬢ちゃんにはオレと同行してもらう」
「いいのですか?」
「いい。というより、同行してもらわなきゃ困る。里に戻るまでの間、目の届く場所にいてもらった方が安心していられるさ。任務での基本だ。」
 声を潜めつつ紙を仕舞った男は、なおも続けて言う。
「そもそも単独行動は原則として禁じられている。真導士は力の質が偏っているものだからな。許可なく単独行動が可能なのは、正師以上の階級。オレだって特別な指令書が届かない限り、相棒と行動を共にしている。余程のことがなけりゃ単独行動は認められんのよ。わかったか?」
「はい」
「ん、いい返事だ。わかったんならそいつを取ってやろう。ほれ、腕を出しな」
 そこで両腕に縄がついていることを思い出す。
 言われるがまま腕を高士に預けると、固く縛られた結び目を少しずつ緩めていく。不思議に思い、首を傾げた。
「真術は使わないのですか」
 例えば旋風なら、大げさに真力を出さずとも切れるのではないか。
 何でわざわざ面倒なことをするのだろう。
「街中では真術の使用を控える。特に隠密行動中は使用禁止だと思え。どこに誰がいるかわからんのに、ほいほい真眼を開くもんじゃない」

 だからか。
 男が真眼をふさいでいるのは真力を消すためだ。
 男の人は便利でいい。額飾りに見えるようなものを巻いていれば、真眼を隠せる。
 つらつらと思考を流していて、はたと聞いておくべきことを発見した。
「あの……」
 聞き返してきた男と視線があったその時。出口側に近い通路の天井が、唐突に崩れ落ちた。
 男の動きは素早かった。
 自分を背にかばい、体勢を立て直して侵入者と向かい合った。
 
 盛大に上がった埃の煙幕の向こうに、見知った色がある。色を視認した同時に腕が動いた。
 縄がついたままの手で男の上着をつかみ、全力で引く。
「おい、動きづらいだろう」
 落ちてきた叱責には、いままで男から感じたことがない鋭さが混じっていた。
「待ってください、彼は……!」
 煙幕が晴れていくにつれ、人影が明らかになる。口元に布を巻いているが、その髪は地下の薄暗さでもよく目立つ。

「誰だてめえ! そいつから離れろ!!」

 布に吸われ、いつもよりくぐもっているけれど、間違いなく赤毛の友人の声だった。

Next  >>


Back  |  NovelTop  |  SiteTop
inserted by FC2 system