蒼天のかけら  第十章  晦冥の牙


ガルヤの民


(清めの首飾りを受けたのなら、伝えておかねばね)

 巫女様の集い。
 怖い話ばかりで行きたくないと駄々をこねたこともあった。
 清めの首飾りをもらったあの日。自分だけ残されて、不安で不安でたまらなかった。

(清めの首飾りはガルヤの娘に与えられた祝福。形は各々違うものだ)

 ただの丸に見えていた木の飾りは、わたしだけに与えられたもの。
 巫女様の神殿にいる職人が、一つ一つ違うように作る。

(対の飾りは、まずお前の父上が持つ。父上から頼まれれば、あと二つまで作ることができる)

 兄弟がいれば家を継ぐ者にもう一つ持たせる。
 家の娘は、まず家の者が守る。それはガルヤのしきたりの一つ。

(清めの首飾りには三つの意味がある。一つは祝福により魔を退ける。一つは響きをもって盾を成す。最後に――)

 集いは嫌いだった。
 いつも怖い話を聞かされるから。
 あの日も終わりには泣いてしまって、周りの大人を困らせた。

(また、泣いてんのか)

 泣きながら表に出ると、いじわるなことを言われて。
 でも、結局はいつもと同じように口を尖らせて、手が伸べられた。



 息を吸って、また唇を押し当てる。
 ガルヤの清めの首飾り。
 清めの印が彫られた、わたしだけのもの。
 木の飾りには特別な細工がされていて、決められた通りに動かすと笛になる。音が出ない笛。誰にも聞こえない響き。
 こうやって吹いていても、吐息ぐらいしか聞こえない。で
 も、確かに響いている。響いてるって言っていた。

 吹く数は決められている。これもしきたり。守らなければ駄目で――。

(ユーリをよろしく頼む)

 嫌だった。
 勝手に決められるのは本当に嫌だった。

(ごめんなさい。でも、どうかお願いね)

 やめてって言ったけど、聞いてはもらえなくて。
 お父さんとお母さんに頼まれたら、断ることが無理になる。これもしきたり。しきたりは本当に嫌いだった。
 答えは一つ。
 一つしか用意されてない。だからこのしきたりは一番嫌いだった。



 吹き終わり、時を数える。数え終わったらもう一度吹く。
 あと三回。

 ぱらぱらと上から粉が降ってきた。
 袖に黒い粉がつく。はたき落としてから天井を見上げる。
 がつんと音がした。慌てて出口を見る。
 気づかれたらどうしよう。見つかったらどうしよう。
 さっきよりも一段と大きな音がして、首を縮めた。盛大に埃が降り注いでくるからたまらない。口と鼻を覆うのが遅過ぎた。埃で咳き込んでいると目が熱くなってきた。

「……ったく、またかよ。しょうがねえなー」

 違うもん。
 泣いてたんじゃなくて、喉が痛いだけだもん。
 喉が詰まって声が出ない。人がこんなに苦しんでるのに、わざとらしい吐息が聞こえた。
 出していた首飾りが、手から離れる。
 細工を元に戻しているんだ。最後の一つまで届かないように――。
「もう、七回吹いた」
「聞こえてるっつの」
「遅いよ……」
 また、鼻が熱くなってきた。やっと元に戻ったのに、赤くなるのは恥ずかしい。
「お前が悪いんだ。ちっとは反省しろ」
「いじわる。クルトのばかぁ……」
 両手の縄が外された。すれていた場所に大気が染みてひりひりする。
 それから目の前に手が出された。
「帰るぞ」
 いつも通りの言い方で。
 結局のところ、町にいた時から何も変わっていないんだと塩辛い気分で自覚した。






「少し落ち着きな。慌てたって無駄だ」
 ティートーンと名乗った高士は、奥の小部屋に通されてからこっち、一人で紙と睨み合いをしていた。二人が危ないのではと浮き足立ってしまっている自分を尻目に、長閑な雰囲気すら出してきている。
「でも……」
「大丈夫だ、あの小僧っこの腕前は確かだったぞ。奴もガルヤの出だろう。棒術に癖があったからな」
 そう、意外な発見だった。
 クルトがあれほどの技術を持っていたとは。
 里でも実習でも素振りすら見せなかった。しがらみを気にして隠していたらしい。一見して町を特定されてしまうほど特異なものなのだろう。
「何をしているのですか」
 里の階級は絶対。
 高士の問いや許しがなければ、導士は口をつぐんでいなければならない。
 かつて座学で習った事柄だったけれど、さらに自分はここ数ヶ月で現実を学んだ。
 時と場合と相手によりけりであると。
「脱出経路の確認。……聖都には大戦時に作られた王族貴族用の地下通路がある。ここもその一部だ」
 顎で示されたのは白楼岩。
 白楼岩を使っての建築は難しいと聞く。
 難しいがゆえに、国に許可を与えられた人々だけが扱える。
 大戦時まで王都であったこの地には、こういった遺産がいくつも残されているという。
「街中を通り抜けるのは無理。他に仲間が潜んでいることも考えられるし、顔を見られてる。神殿が里と繋がっていることは秘密ってことになってるが、実際は結構な範囲に知られちまってる。オレ達が真導士であると知られるのは何よりもまずい。こういう時は、煙に巻いて跡形もなく消えるってのが定石だ」
 複数の大通りに面しているパルシュナ神殿。
 昼間から神殿へ駆け込めば、多くの人々に目撃される。中には、真導士と感づく者がいるだろう。

 真導士の存在は大きい。
 だからこそ、伝説の外へ出るわけにいかない。

「ガルヤの者がいるとは運がいい。奴らは町の女を全力で奪還する。このまま煙に巻けば勝手に筋を書いてもらえるだろう。悟られずに里へ帰るだけ。任務としては楽なもんだ」
「そうでしょうか」
「あん?」
 気になっている。
 どうしても気をとられてしまう。そんな気配がする。
 だって、額の奥がずっと疼いている。
「隠匿の気配でもするのか」
「いえ……。いいえ、そうではなくて。何と言ったらいいのか」
 はっきりとしない。
 感じたことがあるような、ないような……。
 靄がかかったあちら側。いまにも姿が見えてきそうなのに、どうにも手が届かない。
「すみません」

 駄目だ。
 真眼を開けないから予感が薄い。

 明確なことを伝えられず、半端になってしまった。
 もどかしさに埋もれながら謝罪した相手は、自分から視線を外さぬまま顎鬚を撫でている。
「いいさ、いまはわからんということだ。……しかしなんだ、金糸雀みたいなお嬢ちゃんだな」
 ティートーンは「便利でありがたい」と言い、また紙に視線を落とした。
 その相手に向かって、まなじりを吊り上げた。
 猫、犬ときて今度は鳥とは……。ましになった気もするけれど、やはり願いとはほど遠い。
「そろそろ動きがある頃合だ。息を整えておけ。縄ももう取っていいぞ」
 指示通り、緩められて巻いているだけになっていた縄を外す。
 ついでに革靴の紐を結び直し、帽子の位置を整えた。
 こちらの準備が整ったのを見届けたティートーンは、紙を仕舞い、大きく腰を反らしてから一つの輝尚石を取り出した。
「おい、小僧っこ聞こえているな。迎えに行ってやるからせいぜい踏ん張ってろよ」
 数拍の後、ティートーンの手の平から光があふれた。
 光の向こうから渡ってきた声は、息の乱れも含んでいた。
 けれど、思わず笑ってしまった。

 返ってきた台詞が「とっとと来いよ、くそ高士」だったからである。

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