蒼天のかけら  第十章  晦冥の牙


歓声


「――サキちゃん。しっかりして!!」



 どっと心臓から血が流れた。
 膝から崩れ落ちた。砕けた体を、どうにか両手で支える。

 何を……しようとしたのか。

 冷たい汗が鼻梁を通る。
 呆然としたままユーリの顔を見た。
 青ざめ、大きく目を見開いている彼女。きっと自分も同じような顔をしているのだろう。
 三つ編みを震わせた彼女が、自分に両手を伸ばしてきた。頬に触れた赤と黄色の指先は、まるで氷のよう。

「サキちゃん……だよね?」

 彼女の手から血が香る。
 視界に青と白が入り混じった。
 自分の中で、自分の声をした誰かが呼ばわる。その声には応えなかった。
 応えることが、とても恐ろしかった。
「ユー、リ。……わたし」
 ほっとしたように笑う彼女。その笑顔がまぶしくて、消えてしまいたくなった。

 同族を屠られたことで、"魔獣"が怒り狂っている。
 膨れ上がった怒りと共に、激烈な火炎がきた。赤く、赤く、視界が染まる。
 近くでひびが入る音がした。
 緊迫していく場。命の危機が間近に迫っている最中、呆然としたまま頬を包んでいる氷の指先に触れた。
 そこで、あまりにも薄い。でも、どこかで触れたことのある気配を感知した。

「ごめんね」
「え……?」

 近づいてわかった。ユーリの歯の根が合っていない。
 かちかちと小さく打ち鳴らす音がしている。
「……ごめんね、サキちゃん。わたしが悪いんだ。しきたりを守らなかったから。言うことを聞かなかったから……魔を呼んじゃった。あんなに言われていたのに。いっぱい心配してくれてたのに、わたしが……」
「ユーリ」
「ごめんね……」
「ユーリ!」
 強く手を握った。
 知っている。この気配は覚えている。――"魔獣"が避けた黄色の粉の正体に、やっと辿りついた。
「諦めないで。一緒に帰りましょう!」
 心からの言葉は苦い罪の味がした。
 そんなこと言えるのかと、罵っている声がする。内側から湧いてきた声を振り切って、決死の覚悟で"魔獣"と相対した。
 敵と向かい合うことで、現実から逃げようとしたのかもしれない。
 いや、そうに違いない。だから「罪滅ぼしのつもりか」と声が追いかけてきた時、心臓が刺し貫かれたかのように思った。

(――不可思議な力にのぼせ、己の価値を見誤っておらぬか)
 本当に愚かなことをした。
 言われたことだったのに。いつの間にか芽生えていた慢心が、とんでもない現実を生んだ。

 青は使えない。使ってはいけなかった。
 呼んでも無駄だ。応えたりしない。もう二度と、その力を求めたりするものか。
 (あなたは、わたしじゃない――!)



 たゆたっていた青の残滓を、白の奥に仕舞い込む。瓶の中に詰め込こんで、きつくきつく蓋を閉める。
 青をすべて仕舞ってから真眼を見開き、精霊を呼ぶ。
 真力に惹かれて、場にあらわれた彼等に語りかける。力を貸して。一緒に戦って欲しいと強く念じた。

 丸く描いた真円が、六匹の"魔獣"を囲んだ。気力の乱れが円に出ている。境目がぶれているのを見て、不安が増幅した。
 罪と不安を振り払いたくて、真力を全力で放出した。
 愛らしい彼等が真円の周囲を舞っている。
 深呼吸を一つ。
 そして懺悔するように、真術を展開した。
 白が輝く。
 円から光が放出され、帯の壁を成して立ち昇る。……奇跡の光は美しい。最初から、この力を求めるべきだったのだ。
 すべての"魔獣"を取り囲み、期待とともに膨らんだ光。もっと、もっとと願った奇跡の光は、思いとは裏腹に突如として散った。

「何で……」

 何故なのか。
 ここにいて真力を求めているのに、どうして力を貸してくれないのか。
 弾けた真円の上で、次の機会を待っている彼等。そう、次を願っているのは彼等なのだ。
 再びの展開。
 力強く描けた真円に、さらなる祈りを込めて言霊を叫ぶ。
 さっきよりも上手くいっているように思えた真術の展開は、やはり途中で潰れて消えた。

「どうして……!?」

 自分の周囲を舞う光の帯に、どうしようもない憤りを叩きつけた。
 愚かさを嘲笑う遠吠えと熱が、ぼろぼろになった光の壁を侵食している。
 ぎりぎりで拮抗している力。その力はもうすぐ終わりを迎える。だから。だから新たに力を生まなければならないのに。どうして力を貸してくれないのか。
 もはや感情を留めておくのは不可能だった。
 恐怖と絶望と、自分への憎しみがない交ぜとなって、身体を勝手に動かす。がむしゃらに真円を描いては、破裂させ。また描いては真力を散失させる。
 きっと誰が見ても滑稽だと笑っただろう。
 何もかもが上手くいかず、虚しさだけがただ積み上がっていく。
 錯乱しかけた憐れな自分が、また一つ真円を生んだ時。輝尚石が軋んだ音を立て、ついに破裂した。
 真正面から、すべてを焼き尽くす熱の塊が去来する。
 炎の大きさに竦んだ身体と心は、とうとう終わりがきたと力を抜きかけた。

「――放てえ!」
 炎が目前で捻じ曲がる。
 展開された守護が、視力を潰すほどの強さで輝きを放つ。
 後方から来た真力。
 いつからか流れていた涙と共に、後ろを振り返る。相棒の手を握り、祈りを捧げるような姿で、力いっぱいの展開を一人支えている彼女。
 ユーリの真力は枯渇しかけていた。みるみる減っていく真力は、惜しむことなく大気に放出され続けている。
「助けて」
 涙声が聞こえた。
「……怖いよぉ。クルト」
 こんな時にも、彼女が縋るのは彼だった。女神ではなく。巫女でもなく。ただ自身の翼だけを頼るのだ。
 腰が床に落ちた。
 二人を助けたい。
 友達だ。大切な人達だ。でも、自分はどうしたって無力だった。
 青を持つのは。奇跡を有しているのは自分ではない。自分ではない恐ろしい存在だ。自分の内側に巣食っている、他の何かなのだ。
 自分は外側の……器だけなのだろう。
 中身はからっぽで。だから、やっぱり自分はどこまでも"役立たず"で――。

(ねえ、ローグ)

 強く握られた二人の手が、目に焼きついて離れない。

(怖いよ)

 手をかざした。
 駄目だとしても、がんばっていれば近づけるように思えて……。
 諦めなければ近くに来てくれそうだと、そんな夢を描く。

(助けて)

 描いたのは先ほどよりもずっと小さい真円。
 "魔獣"を一匹ようやく囲めるくらいの。それこそ最初に描いた真円ほどの小さな円。
 ぼやけた視界に気高く鮮やかな色が見えた。
 もう一度、弱音を零して展開する。

(お願い、助けて)

 弱く光った真円。
 全力で張られ続けている守護の向こう側で生まれた、輝いているのかも曖昧な光。
 その光に包まれていた"魔獣"に、思いもよらない異変が起きた。
 突如として苦しみ出したのだ。
 犬のような高い悲鳴を放ちながら苦しみ、大きく暴れる。そして何故か地面を掘るような動きをして、重い音を出しながら倒れる。
 横になったまま前足で空を掻き、ついに動きが止まる。
 停止した身体が、煤を吐き出して小さくなる。ついには水晶だけになって、壁の方へと転がっていった。
 信じられない現実を前に、声を出すことすら思いつかなかった。

(成功……した)

 "浄化の陣"が成功した。
 喜びより先に疑問が浮かんだ。
 理由を求めて、仕事を終えたばかりの彼等を探す。楽しげに。満足そうに舞い踊る精霊の渦。声を持たぬ彼らの喝采が聞こえた気がした。
「助けてくれたのですか……?」

 助けて欲しいと願ったから。

 ここにきて真実を手にした。
 天水に懐く精霊は、何も戦いを望んでいないのだ。
 そう、彼がしたいのは。彼らが欲しているのは別のもの。
 涙が頬を滑っていった。ころころと落ちていく感触を味わい、座ったまま両手を組む。
「……もう一度、力を貸して」
 宙を流れる光の粒へ心を飛ばす。
 脳裏に描くは二人の友。そして、傍らで笑っている自分の姿。

「お願い、どうかわたし達を助けて――!」

 喉奥に罪の痛みが残っているけれど、どうにか最後まで言霊を出し切った。
 描いた真円は、かつてない大きさ。"魔獣"と自分達をすべて包んで、いっそ苛烈とも思える光を放つ。



 白く、白く立ち昇った愛しい奇跡の光。
 光の中で、意識を手放した。
 目を閉じた自分の側。楽しげな笑い声が、いつまでもいつまでも続いているようだった。

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