蒼天のかけら 第十章 晦冥の牙
もっと力を
ごめんなさい。
――ごめんなさい。
寝言でも謝罪を続けている。
うわ言を聞きながらランプの灯りを少し下げた。
魘されている彼女を、ゆるく抱いてその背を擦る。拭っても拭っても目尻に涙を溜める。その悲しみようが痛ましい。
件の真相は、目覚めたサキがすべて伝えてくれた。……そして、真相と共に彼女が抱えた苦悩も。
――わたしは人じゃない。
彼女が罪だと信じている事実は、鋭利な刃で自身を傷つけ続けている。力不足な自分は、今日もまた恋人に涙を流させた。
助けたかった。
友達だから助けたかったのに、恐ろしいことをしようとした。
全部覚えている。自分の行いは隅から隅まで記憶している。だから、友人を屠ろうとしたことも覚えている。
もう、合わせる顔がない。
女神にも許してもらえないだろう。それでも、一緒に帰ることを望んで精霊の力を得た。
罪深い。……恐ろしい。
――人じゃないから。自分が化け物だからだ。
青を憎み。恐れて遠ざけようとしては、また泣く。
罪から目を逸らそうとしてしまった。逃れようとしてしまったと苦悩を深めて。
言葉はかけなかった。
何を言っても受け入れまい。
ランプの炎のか細い踊りを眺める。秋の気配を含んだ夏の夜。日の入りが早くなったせいで、夜が伸びてきた。
(どういうことだ)
思案に耽る。
サキの有する"青の奇跡"。何度も目にしてきた力は、常に自分達を守るものだった。
記憶がはっきりと残っているのは、一つになった影響だろう。
幼い"サキ"と、サキが一つになった。だからこそ真の力が解放され、羽が生まれたのだ。まさかあの"サキ"が、邪悪な存在だったというのか。
(違う)
もう一人の"サキ"は、母を恋しがって泣くあどけない子供だった。
あの小さな娘が、サキの言う罪深き化け物だとは思えない。
"サキ"を邪悪と呼ぶには無理がある。何しろまるきり普通の幼子だった。上手く混ざれていないと言っていた。そちらの影響だろうか。
(どこだ )
ジュジュを探す。
かの獣なら知っていることがある。しかし、期待はすぐに落胆となる。部屋の隅に白の毛玉を見つけたからだ。ジュジュはすでに眠っていた。
叩き起こしてやろうにも、身動きすれば彼女が目を覚ましてしまいそうだ。
無念と思いつつ、今夜は見送ろうと決める。
途端、目の前で転がっていった涙があった。
人差し指ですくい、手の甲で頬を撫ぜる。拾った涙を、枕元に置いていた手布に吸わせ、乾いた手をランプの灯りに浸す。
大きさだけは兄達と同じになった身体。
残念なことに、中身はまだ半人前。今日の実習では思い知らされた。雛と呼ばれるの致し方ない。
(力が欲しい)
強くなりたい。自分には力が必要だ。生き抜くためにも。彼女と共に在るためにも。
友人達との修行もいい。しかし、それだけでは不満足だろう。
(もっと、強く―― )
そうでなければ、守りきれないだろうから。
夜半を過ぎて、セルゲイがやってきた。
「ジーノ高士がお呼びです」
この雛上がりは、あの二人と相棒を組んでいる。
経緯不明の組み合わせ。相棒というより下男といった風情すらある。
「お急ぎを。大事なお話だそうですよ」
時折、優位性を示そうとしてくるところが鼻につく。
同志と呼ぶことすら煩わしい男だが、相手をしておいてやろう。児戯に等しい行為の果てに、目的がある。
地中に隠された巣は、真脈の影にある。
薄い展開で支えられている場は、真力の流れに合わせ移動しているせいもあり、発見される可能性は薄い。
巣には通常、三人の番と己のみ。
首領はいずこにおられるか不明。ただ一度の遭逢以来、姿を見せてくださらぬ。
その巣に、新たな気配がある。
まだ、同志がいたのか。己の信頼は依然として薄いようだ。
「やあ、来てくれたね」
ジーノの歓迎はどこまで本心であろう。この優男は食わせ者だ。
「紹介しよう。我々の新しい同志だ」
三人の後ろで、足を組み座っている人影がある。
「……なっ!?」
己が出した驚嘆を、フィオラがひどく喜んだ。
「そうよねえ、ドミニク。貴方達にとっては、忘れたくとも忘れられない相手。見回り部隊にとって、これ以上の大物なんていないでしょうね」
何故、この場にいるのだ。
隠れ家と言えどここはサガノトス。真導士の里に、何ゆえこの者がいる。
「まったく、無粋だねぇ」
この者の人相書きは、嫌というほど叩き込まれた。
年齢を重ねた姿。変装していた場合の姿。幾通りもの人相書きすべてを覚え込まされていた。
「里の連中は、無粋な輩ばかりで。辟易とする。同志とは何て陳腐な言葉だろう」
許し難いものだと続けた男は、苦労して覚え込まされた人相書きのどれとも似ていない。
しかし、当人だ。
「これは失礼。気に障ったのなら謝罪しよう。我々には貴方の協力が必要なのだ」
色とりどりの頭髪。
長く伸ばされた先にある白い一房を弄んでいた男は、獣のような瞳を満足そうに細めた。