蒼天のかけら 第十章 晦冥の牙
来訪者多数
第一報を受けたのは夕刻。
とうに帳が降りている。待てども未だ続報が届かず、酒の量ばかりが目減りしている。
無事とだけ聞いた。
不満足な報告を持ってきた相手を、出直してこいと叩き出してから虫の音のみが響いている。
やはり、行動は控えさせねば。
慧師は過小評価している。あの犬の珍妙ぶりは、想像の枠を壊すというのに。
空いたグラスに褐色の酒を注いでいる最中、虫の音が止んだ。扉の向こうで転送が開き、収束する。
思わず舌打ちをした。
面倒な相手がやってきた。
招かれざる客だ。誰だ、奴に続報を持たせたのは。
「開けろよ。お待ちかねの大事なお知らせだ」
自ら中央に乗り込むべきだった。失策を打ったものだと、己の愚鈍さに苛立ちが出る。
風を放ち、扉を開ける。
ついでに刻めればとの思惑は不発に終わった。
「危ないねえ。この端正な顔に傷がついたらどうしてくれる。お婿に行けなくなるだろうが」
腐った物言いをする相手への追撃は堪えておこう。胴体ごと報告書を刻んでしまいかねない。
「何故、貴様がくる」
「お前が怖くて行きたくないっていうから、やさしいオレが代役を買って出たんだ。心栄えの素晴らしさを褒めていいぜ。できれば拍手つきで頼む」
報告書ごとで構わぬか。もう一枚、作らせればいい。
「……いま、不穏なこと考えたな? 怖い怖い」
無駄口を叩く男は、薦めもしていない酒と椅子を勝手に得た。
グラスを棚から召喚し、人のグラスにも酒を注ぎ、これでいいだろうと幕を引く。
「帰れ」
「そう怖い顔をしなさんな。土産を持ってきてやったんだ」
転がして寄こしてきたのは六つの水晶。
「屑を土産と称するか」
形が不揃いな水晶は、里の関与を自ら否定している。片生からの押収物など、いまさらめずらしくもない。
「急くなよ。今日の大活劇について、じっくりと語ってやろう」
無駄口ばかりの相手の話を、仕方なしに黙って聞いてやる。話途中でようやく渡してきた報告書には、簡潔になった同じ事柄が記載されていた。
失策だったと重ねて思う。
いい加減、紐をつける必要があるようだ。
「聖都に"魔獣"とは抜かったもの」
「"魔獣"と言っても小者さ。こいつに納まるくらいのな」
手にした水晶は、円とは程遠い形状。
中に塵すら浮いている。小者程度しか籠められぬ質と判じた。
「すり抜けられた愚か者どもに、回収させればいい」
「そりゃ必要ない、すべて回収済みだ。抜けられたのは不手際。でもな、方々で奴さん達が活性化してきている。冬まではこの調子で増えていくだろうよ。処罰するより慰めと気合の入れ直しが優先さ。守りが薄いのは承知の上だからな」
長々と語り、疲労で無駄口が減ったようだ。
「数が増やせれば解決する。不可能なら薄くもなる。増強する方法があればとうにシュタインが動いている」
先日から感じられるようになった懐かしさが、また蘇る。
禁を破り、慧師の名を呼んだ男は、かつて荒んだ気配をしていた。
「信が置ける相手の数は知れているさ。見回り部隊すらこの様だ。どこにだって反旗の志が潜んでいる。こちらの手を読まれちゃかなわん。ここが限界だ。いま以上の数は増やせない」
ゆえに多少の犠牲は折りこみ済み。里の中だけで済めばよしとする。
他の方策など、得ようもなかった。
「いまになって時間が惜しい。せめてあと三年。贅沢を言わずとも一年あれば、それなりに育てることができた奴もいる」
「意味がなかろう。同じだけ反旗が上がる」
こちらの手数が育つなら、あちらにも数が育つ。
そもそもが虚しい仮定だ。
進み出した時は決して戻らぬ。
「そうか……。言う通りかもな」
空けたグラスを傾け、確かめる仕草をした。
硝子越しに翡翠が光る。十二年前から変わらぬ色だ。
「やっと来たか」
扉を振り返った相手は、やってきた気配を呼ぶ。
「開けてくれ。冬前に顔合わせをさせたかったんだ」
「いらぬ。貴様も帰れ」
「今後、伝達をやってもらうつもりだ。知っておけ。人嫌いも大概にしろよ」
腹立たしさが沸いてきた。しかし、こいつと顔を合わせるより、伝達相手の方が手早く済むだろう。
思惑をもって新たな来訪者に扉を開く。
「よう、グレッグ。遅いぞ」
どこかで聞いた名だと考え、相手を見る。
含んでいた酒が、熱く喉でたわみ落ちていった。
「お初にお目にかかります」
開かれた扉が、夏の蒸した匂いを運ぶ。記憶の中から埋もれていた名が浮かんできた。
フードの奥にいた男は、相好を崩す。
「どうでしょう。やはり似ていますか」
片手でフードを外し、髪色をさらす。
「昔はよく言われていました。年の差ゆえに、間違われることはありませんでしたが」
目礼をした相手は、記憶の中に留めていた姿より年嵩だ。
相手の正体に思い至り、あり得ると腑に落とす。
「驚いただろ。オレはもっと驚いたぜ。化けて出たのかと思ってな」
腹を抱えて笑う相手は、どこまでも腹立たしい。
「兄はそういった性分ではありません。貴方とは違います」
新たな来訪者は腹立たしい男に指令書を差し出し、転送でローブを召喚した。
「兄弟揃って容赦ねえな。……お、ついに終わったか」
「お戻りください。止めていた仕事が山積みです」
「何だ、そっちの掃除はしてくれなかったのか。あの別嬪さんは、情けがないねえ」
「懲罰ものですよ。巻き込まれるのは御免ですから、先に帰還します。寄り道をなさらぬよう」
下げていたフードを被り直した来訪者は、上役を置いて帰還した。
持っていけば楽だったが、面倒を厭うたようだ。
「……お小言っぷりが、ますます似てきた。奇縁だろ。オレもまさかとは思ったさ。いくら兄弟で真力の質が近いと言っても、相棒になるほどだとは」
「兄弟揃って、貴様と縁を得るとは。不運なものだな」
「祝いの言葉にしては、飾り気がない。……なあバト、お前ももう気づいているよな」
召喚されたローブを羽織り、ボトルに手を伸ばした。
「そっくりだ。何もかも」
残りわずかなボトルから酒を注ぎ、空になったそれをランプで透かして眺めている。
「わざとなのかねえ。それともパルシュナの思し召しか」
「どちらでも同じだ」
そう、同じだ。あの日に起こった出来事は闇の中。
「行け。二度とくるな」
「冷たい奴だ。あのお嬢ちゃんには今度言っておこう。バトの代わりに素敵なお兄さんが、やさしく丁寧に保護してあげるってな。……っと、危ない」
風が扉を開く。
ついでに用済みの胴体の始末ができればと思ったが、腹立たしい。
「バト、導士達から目を離すなよ」
「見回りは貴様の職分だ」
「そうじゃねえよ。お前だってわかってるはず。奴らの計画の鍵は導士だ。あの時のオレ等がそうだったようにな」
赤く縁取られたフードの奥、翡翠が強く色を出している。
「たまたまだ。オレ達が生きているのは偶然。女神の気まぐれが無けりゃいまごろ土の中」
紛れもない事実。
同じように死にそびれた男は、本性をあらわにして明けてきた夜を睨み据える。
「近く、また動くだろう。あの年もそうだった」
秋に最も活性化し、最も荒れる。
「ま、こっちもやれるだけやってみるさ。死んで元々だ。こいつは借りていくぜ。今度返しにくる」
高々とグラスを掲げ、残りの酒とともに表に出たティートーンは、入り口で足を止めた。
めずらしいと発声した同期が、半身を朝日に晒し、笑う。
「おい、お前に客だ」
「客――?」
樹木の合間に白い人影が立っている。
相手の色を確かめ、椅子から立つ。
サガノトスの長い夜が明けた。
巡ろうとしている季節の足音を、止める者はいない。