蒼天のかけら  第十一章  神籬の遺跡


喜びの再会


 中央棟の大階段前には、一枚の大きな絵が掛けられている。
 大戦を終わらせ、四大国に平和をもたらした伝説の正鵠を描いた絵だ。
 絵の中の正鵠は、決してこちらを振り向かない。何故ならば「彼は後ろを振り返らずに歩み続けた」と言われているからだ。
 彼は崖の上から女神の大地を見下ろしている。日を反射しているような白い外套。その背中は輝いているようだった。
 いつ頃を描いたのかは不明だったけれど、誰の目線から描かれたのかは想像ができた。
 この絵は、バティから見た彼の姿なのだろう。
 誰からも説明されたことがなかったから、自分は勝手にそうだと思い続けている。



 今日からはじまる合同実習。
 合同実習というだけあって、いつもの実習とは雰囲気が違う。
 そもそも同期が全員集合することなどほとんどない。ほとんどというか『選定の儀』以降、集まった記憶がない。
 真導士が五十人も集まればここまで息苦しいのか。集まってからずっと深呼吸ばかりしている。隣に立つローグの気配で多少楽になっているけれど、任務地へ移動する前にばててしまいそうだった。
 大階段には慧師と三人の正師が立っている。
 実習の説明をしているのはキクリ正師だ。
 半年も里にいるので、そろそろ親鳥達の役割もわかってきた。
 基本的に雛の世話はキクリ正師がする。例年ならキクリ正師だけで座学を行っているらしい。今年は豊作なので、ナナバ正師も受け持っているけれど、実習の引率ともなればキクリ正師主導で行われる。
 では、ナナバ正師は普段何をしているのか。
 これは、正師達の統率と慧師の補佐だという。正師の中でも在任期間が一番長いナナバ正師は、正師を育てるという役割も負っている。そして、史上最年少で就任した慧師の補佐も行っているのだそう。
 そして最後にムイ正師。
 彼女は内勤の高士達を束ね、慧師と繋ぐ役割を負っている。彼女も雛の世話に入ることがあるけれど、二人の都合が悪い時のみ。
 そういった事情から、今回の実習にはキクリ正師とナナバ正師だけが参加する。
 二人の正師の不仲は有名。でも、あまり心配しなくともいい。二人の不仲は本当に二人の間だけの話。
 周囲に影響を及ぼすことはない。

「今回の実習は、内勤の高士も多数参加する。負っている役割によりローブに入れられている刺繍の色が違う。これから説明を行うのでしっかりと覚えるように」
 外勤の高士は刺繍なしのローブを羽織っている。しかし、内勤の高士には所属部隊がある。
 この所属を表すのが刺繍での色分けなのだそうだ。
 有名なのが見回り部隊の赤い刺繍。つぎに医療部隊をあらわす緑の刺繍。補給部隊は橙……と、説明が続いていく。
 今回の実習は長期に渡る予定とのことで、主要な各部隊が派遣されてきている。
 任務地では連携が必要となるから、頭に入れておくようにと付け加えられた。

「これより実習地への転送を行う。私とナナバ正師は、陣の設営があるので場から離れる。引率高士の指示があるまで本陣前で待機しているように」
 ちなみに本陣とは、先駆けて現地入りしている高士達の陣営を指すのだそう。
「陣営付近には小さな町が一つだけある。基本的に、陣営と任務地の往復しかしない予定ではある。しかし、少ないながらも民の目があることは忘れないよう。陣営の外に一歩でも出たらフードを必ず被りなさい。……ほら、そこ。フードがずれているぞ。何度も言っているだろう。もしも顔を見られたら大変だ」
 "忘却の陣"が籠められている真導士のローブ。
 しかし羽織っているだけでは駄目で、フードを被ってはじめて効果を発揮する。
 準備が整ったことを確認したキクリ正師は、慧師に一礼した後、転送の真円を描いた。
 転送の時に、ふわりと浮くような感覚がする。
 これは聖都に下りる時も同じなので、さすがにもう慣れた。いつもと違うなと思ったのはふわりとしている時間が長いこと。
 時間の長さは、距離の遠さと比例する。
 ドルトラントは広い。今回はどのような土地に赴くのだろう。期待と好奇心が胸の中で膨らむ。
 長い転送を越え、降り立った場所で最初に目にしたのは雲一つない空だった。
 期待しながら周囲を見渡して、勢いを失う。
 本陣には真術で構築されている建物が並んでいる。近くに林も見えるけれど、その周りには白い幕が張られていた。
 民の目を気にしてのことなのだろう。でも、これでは世界が見渡せない。
 密やかに抱いた不満は、口を尖らすだけで圧し留めておいた。



 転送を終えたキクリ正師から、待機の指示が飛ぶ。
 引率高士が来るまでは大人しく。当初はそう思っていたのだが、長いこと待ってもそれらしき人がやってこなかった。
 成人したとは言えまだまだ元気一杯の雛達は、誰もこないならと緊張を解いて、思い思いにくつろぎだす。わいわいがやがやと、さえずりはじめた雛の様子を、高士達が遠巻きに見ている。中には、ちょっと腹を立ててそうな者もいたけれど、特に何も言いには来ない。
 高士達の中には実習の担当をした者もいるようだ。彼らは知っている雛を見つけるや、声をかけに来る。
 偉そうにしている者もいれば、にこやかにやってくる者もいる。
 呼び出しが繰り返されている内に隊列が崩れ、いまや元の形がわからない状態だ。
 もう大丈夫だろうと思ったユーリが、自分達のところまでやってきた。しばらく四人で語らっていたけれど、立っているのが馬鹿馬鹿しいと言い出したお嬢様が、林の木陰に一人歩いて行った。
 お嬢様は大変気ままに動く。止めることは不可能と聞いていたので、三人だけで立ち話をしていた。
 そんな自分達のところに、思いがけない訪問者がやってきた。

 とんとんと肩を叩かれたのは、自分とティピア。
 誰だろうと三人で振り返り、ユーリが真っ先に黄色い歓声を出す。自分の口からも同じような声が出た上に、あちらも似たような音を出したので、周囲が娘色に染まる。
「アナベル高士!」
 お久しぶりですと挨拶して、再会できたことを喜び合う。
「よかったぁ。あれから忙しくて連絡できなかったの。皆、元気だった?」
 親しみやすいお姉さん高士は、どうも自分達を気にしてくれていたようだ。
 それが素直にありがたかった。
「また、同じ実習ですね。よろしくお願いします」
「こちらこそ。本当によかった。わたしの同期って女の子が少ないから。会えてうれしいわ」
 娘色の花を咲かせていたら、相棒達が様子に気づいて手を振ってきた。
「彼らも元気そうね。……ねえ、その後どうなったの?」
 ひそひそと耳元で聞かれて、思わず頬に熱を出す。
「ふっふっふー……。それを聞いてしまいますか、アナベル高士」
「聞いたら大変。すごく大変」
 ユーリはともかく、ティピアまでほそほそと報告をする。
 大変とは何かと、問いただしたくなるというものだ。
「あら、あらあら。上手くいったのかしら?」
 気がついたら周囲の娘達が耳をすましている。恥ずかしいけれど、誤魔化せる雰囲気ではない。
 それにもう同期の面々にはすっかり露呈している。
「……お、お付き合いしています」
 わあっと声が上がり、注目度も一段と上がる。
「おめでとう! いいわね、素敵な恋人で。何かあったら相談に乗るから、いつでも遊びにきてね」
 そう言って、ポケットから紙切れを取り出した。
 お姉さん高士は、再会を期待してあらかじめ地図を書いてきてくれていたらしい。
 それぞれの手に紙が渡り、切れかけていた繋がりがきつく結び直されたのを実感した。

「アナベル」
 話し込んでいたらお姉さん高士を呼ぶ声がした。三人で声のした方へ振り返って、わずかに戸惑う。
 振り返った場所に一人の男が立っていた。
 ぼさぼさの髪をうなじで括っているのだが。髪や瞳の色よりも、その独特な装飾具に目が奪われた。
 顔に見慣れぬ物が掛かっている。
 真眼と同じくらいの硝子が、両目の前に壁を作っているのだ。鼻と耳で調整されている様子の装飾具は、自分の中のどこにも記憶されていない。
「ジョーイ、紹介するわ。前に話したでしょう。仲良くなった導士の女の子達」
 アナベルが言うと「ああ」と納得の笑顔を出してきた。
「皆にも紹介するわね。彼はジョーイ。わたしの相棒よ」
 よろしくお願いします。相棒だったのですねと答えて、三人同時に気がついた。
「あの……、アナベル高士。もう一人の」
 "あれ"は来ていますかとユーリが聞いた。名前すら出したくないらしい。
 気持ちは理解できた。理解というか完全に同意ができた。名前どころか顔も思い浮かべたくない。
 ユーリの質問に、お姉さん高士がつやつやとした笑顔を浮かべた。言いたくて言いたくて堪らなかったという表情だ。
「相棒を解消したの」
「ええっ!?」
 事情を詳しく聞いたけれど、彼女自身あまり詳細には知らされていないと言う。
 夏の間にセルゲイとの相棒解消。そして部署異動の通達が来た。いまは解読部と呼ばれる、古文書の管理や、遺跡の発掘を行う部署に在籍しているらしい。
 見やれば英知を表す黒い刺繍が、二人のフードに入れられていた。
「清々したわ! あれから一度も会ってないし最高の気分よ。ね、ジョーイ」
「アナベルは、セルゲイが苦手だったからね。まあ、僕も彼のうっかりで眼鏡を壊されなくなったから助かったよ」
 ジョーイが顔につけているものは、どうも眼鏡というらしい。
 うっかりで壊されると言っているけれど、隣でアナベルが「違うってば」という顔をしている。
 きっとジョーイには嫌がらせを受けていた自覚がないだけだ。あのやりように気づかないなら、かなり鈍い人なのだろうか。
 ある意味、平和でいいことだと思える。

 話し込んでいたら集合の号令が出た。「それでは、また」と挨拶して、手を振りながら別れる。
 実習初日の思わぬ再会に胸を躍らせた。
 このまま終わってくれたなら、いい一日と言えただろう。
 願いも虚しく、思い通りの一日にはならなかった。ならなかったと肩を落としたのは、すぐ後のことである。

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