蒼天のかけら 第十一章 神籬の遺跡
つぎはぎの再会
馬車の姿が見えてきたのと同時に、正師達から騒がず静かにしているようと指示が出た。
被せるように大隊長殿からも「突っ立ってるだけでいいぞ」と飛んでくる。
"二の鐘の部"と"三の鐘の部"の間に、空白の道が敷かれる。敷かれた道は、停車場らしき場所から一直線に大扉まで繋がった。
馬車が到着する直前、導士と見回り部隊の間に光輝隊が入ってくる。
"監視隊"との渾名が付けられた彼等は、使命を果たすべく目を光らせはじめた。見回り部隊から剣呑な気配が出たのを、副隊長殿が号令で止める。規律の取れた動きを目の当たりにして、導士達にも緊張が走った。
ひりひりと焼けつくような大気の中、突っ立ってるだけを目指して地面を見る。
全員が同じようにフードをしている影は、どことなく不気味だ。背丈の高低だけを示した影色の絵を、視界に納めて頭を垂れる。
足音がしてきた。
ゆっくりとした足音だった。音の間隔もばらばら。歩いては止まりを繰り返している。
光輝隊が心配していた通り、手がかりとなっている人物は高齢なのだろう。
付き添いがいるのか。「ゆっくり歩いてください」との声がしている。
馬車から進んでくる二人の気配は、まったくと言っていいほど視えない。
真導士でなくとも人には気配がある。しかし、これだけの真導士が揃っていては自分の真眼ですら拾えない。
大隊長殿の目論見はこれだ。
数の暴力という表現は、的を射ている。
真導士の気配は大きい。そして自分達は数も多い。真力の守りを持たない民にとって、いるだけで強い圧迫となる。
砂利まじりの大地を踏みしめる音が、近くまできた。
フードの影絵の合間に、古びた靴が見える。次の動きに入りかけた靴が、縫いつけられたように動きを止めた。
視線を感じる。
自分の額辺りをじっと見ているような視線。
不快感はしなかった。でも、視線が注がれ続けている。
あれと思った。
フードをしている以上、真導士の顔は曖昧にしか見えないはず。明日にはきれいさっぱり忘れ去られてしまうほど、ぼんやりと映っているはずなのに。
顔を上げてみようと思ったのは、それなりに理由がある。
懐かしい匂いがしたのだ。懐かしく、けれども秋になれば当たり前になる匂いが、鼻をくすぐったからだ。
喉にやさしいテヘラの匂い。
毎年、秋になると村中でこの匂いがしていた。皆して口々に言っていたものだ。喉風邪にやられると長引くからねと。
長生きするには、テヘラのお茶を飲むのが一番だと言っていたのだ。でも、季節が巡れば他のお茶に手を伸ばして似たような話をする。長生きするには何某のお茶が……と。毎年毎年、そうやって過ごしてきた。
顔を上げてその人と目を合わせる。
視線で感じていた通り、自分を見ていた人物としっかり目が合った。
しかし、出会った視線はすぐに塞がれる。
ぼやけた視界でその人が沈んで消えたから。湧き水のようにあふれてきた涙が、自分達の間に立ち塞がる。
規則正しい列から飛び出し、その人のところへ駆け寄った。
怒声がした。
構わずに駆け寄って、胸に飛び込んだ。
肺いっぱいに息を吸う。テヘラの匂いが全身に届き渡るよう思いっきり吸う。
「何をしているか!」
またやってきた怒声の中で、古びた上着にしがみついた。
肩に手を置かれたからよりいっそうの力でしがみついて、剥がされるものかと抵抗する。
「ティートーン殿、話と違うではないか! 中止だ。即刻中止していただこう!」
立てと両肩をつかまれた時、その声が聞こえた。
「――お待ちくだされ」
ああ、と吐息が漏れた。
我慢できない涙が次から次から止め処もなくあふれて、古びた上着に流れる。
ぼやけた視界で、つぎはぎを見つけた。何度見ても不揃いな縫い目だった。それでも、この上着をいつも大事に着てくれていた。初めて針を習った時につけたつぎはぎだ。幼い手仕事だったから上手く縫えていないのに、秋になると必ず出して着てくれるのだ。
「翁よ、我々はそなたに害を加えられるのを看過できぬ。怪我はないか。すぐに戻れるよう手配を……」
「違います。どうぞお待ちくだされ。わたくしに害などござりませぬ」
嗚咽が出た。
止めるなんて到底無理だった。だって、よく知っている声がする。
「どうぞ……、どうぞお放しください。この子に手荒な真似はなさらないでくださりませ」
背中の方で、たくさんの気配がゆれている。
「しかし……」
「親愛なる国王陛下は、春先の大火を悲劇だとおっしゃり、村の民すべてに慈悲を与えてくださいました。その慈悲は、本来この子にも与えられてしかるべきもの。この子は……我が村の娘にございます」
ざわりと声が波打った。
「わたくしの養い子にございます。どうか等しく慈悲をお与えください」
頭がテヘラに包まれた。
「……おお、女神パルシュナよ。感謝いたします」
嗚咽が止まらない。
「よく……。よく元気で」
頭を軽く叩かれた。ぽん、ぽんと緩やかな調子で。
繰り返される甘やかしが、密かに溜め込んでいた寂しさを涙ごと洗い流していく。
「どれ、顔を見せておくれ」
しわしわの手が、頬にあてられる。
袖からもテヘラが香っていて、大粒の涙がぱらぱらと散った。
再び視線を合わせた時。垂れ下がった瞼の奥にも涙があることを知る。
「サキや」
喉が焼き切れんばかりに熱かった。
「……村長」
うん、うんと頷いた村長は、また女神に祈りを捧げた。
その胸に、もう一度飛び込んでしがみつく。
次に出た言葉はずっと昔に呼んでいたもの。十になった時、大人になる準備だからと説得されて記憶に仕舞った言葉。
「会いたかった、おじいちゃん……」
――すごく、会いたかった。