蒼天のかけら  第十一章  神籬の遺跡


出立


 窓を開けて、夜風を入れる。
 長く浴びていれば寒気が出てくるようになった夜の気配。開けた窓から居間に入れて、こもった熱を冷ます。
 このままでは熱気で酔ってしまいそうだった。

 会合が終わり、腰が回復した旦那さんの料理を皆で食べた。様子がおかしかったろうに、楽しく夕食を過ごさせてくれた。
 たぶん、旦那さんも知っていたのだ。村長が呼び出されていた理由を。
 そして、村長が決意を固めたこともわかっていただろう。食事中、自分を心配そうに見ていた。大丈夫かいと言いたげにしていたから、そうなのだろう。
 永く守られていた村で、大切に包まれていた自分。
 幼かった自分は何も知らなかった。人が出て行ってしまって、村の人が減っていたのも疑問に思わなかった。
 いつか出て行く時のためと、身の回りの手仕事を教わっていたのに……。

「風邪を引くぞ」

 低い声にはっとなる。
 居間に戻ってきたローグの気配を感じなかった。注意が散漫になっていると乾いた笑いが出た。
 夜風を浴びていた身体が、熱い腕に抱かれる。
「明日は早い。休まないと疲れが取れない」
 はいと答えども、身体が動かなかった。
 すると、ふわりと身体が舞った。風に運ばれて長椅子へ向かう。
 いつもの場所に二人並んで座る。熱の親指が目の下を柔くこすった。
「泣いていませんよ」
 そのようだと響いた肩に、頭を乗せた。
「寝付けないのだろう」
「はい」
「無理もない。調査の日を延ばしてもらおうか」
 首を振った。
 延ばしても同じだと思えたから。

 明日、故郷へと帰る。
 村長は同行ができない。三回目の儀式を終えてしまっているから、お山に行けないと言っていた。
 調査隊として選ばれたのは大隊長殿と副隊長殿。自分の監視役でもある青銀の真導士。そして相棒であるローグ。
 今夜中に同行する解読部の博士を選ぶと言っていた。
 必要な準備はグレッグがやってくれるらしい。お前達は気力を整え、早々に休めと指示が出ている。

「怖いか」
 くすりと息が漏れた。
「いいえ、怖くはありませんよ。怖いものなど、どこにもありませんでしたから」
 村での暮らしは、ひたすらに安穏としていた。平坦な毎日に恐れるものは一つもなかった。
 山が燃えた、あの日がくるまでは。
「村長……大丈夫でしょうか」
 荷物を下ろした反動か、一気に老け込んで小さくなってしまったように思えた。
「大丈夫さ、ヤクスがついている。疲れが出たのだろう。聴取も終わったから、ゆっくり休んでもらえばいい」
 会合の後、解読部が続けての聴取を希望したと聞いた。
 永い歴史で繋がれてきた知識を、いまに伝えられるのは村長だけ。未踏の遺跡の番人ともなれば、知識欲を強く刺激したことだろう。解読部の聴取は、ティートーンが差し止めたようだ。任務の総責任者が否と言えば、村長は休ませてあげられる。
 ほっとする反面、どうもグレッグが大変になったらしい。解読部の希望を跳ね除けたせいで、派遣する人材の選定が難航しているらしい。
 高士達の溝は相変わらずだ。

 ぼやりと世界を見ていた目が、白に埋もれる。
 真眼が合わさった。
 額の熱が、伝わってくる。

「ローグは、宿命を信じていますか」
 波がゆれた。
「信じていないな」
 真っ直ぐな言葉は、どこまでも自信に満ちている。
「宿命は後付けだ。仕方ないと納得するためにある。宿命が造られるとすれば命が終わってから。人生は最後の最後まで何が起こるかわからない。死ぬまでわからんなら本人が知ることはない。本人が知らないものを、どう信じるんだ」
 余計な考えをすべて削ぎ落とした言葉は、素っ気なくもやさしかった。
「迷子病でも再発したか」
「……そうですね。そうかもしれません」
 真眼から真力があふれる。
 膨大な力を受け止め続けて、昨日までの気力を取り戻そうとする。
「ねえ、ローグ。側にいてくださいね」
 腰にまわされていた腕に力が入った。
「離さないさ。……言ったろう」
 首筋に熱が触れた。
 冷えていた肌が、悲鳴を上げる。この熱さに適応できる日は訪れるのだろうか。
 口付けを交わして確かめ合う。
 二人でいることを、しかと刻んで。
 村長から渡された重い荷物。本当なら春には渡してもらっていたはずの荷物は、肩と背中に圧し掛かっている。
 会議室から出た時、熱い手が背中に置かれた。その時、ローグはいつもと同じように笑っていた。
 重いならば一緒に持とう、と。

 ――俺達は番だ。相棒の責務は俺のものでもある。

 夜風を入れていた窓は、知らぬ間に締められていた。
 残されたのは熱の海。命すべてで想いを感じ、吸い取った。
 秋の夜は、密かにゆっくりと更けていく。



 次の日の朝も、とてもよく晴れた。あたたかい風が吹いていて春に戻ったようだった。
 会議室にはバトがいた。
 彼方に視線を飛ばして熟慮していたが、挨拶をしたらこちらに戻ってきた。
「バトさん、おはようございます。……ティートーン高士は?」
「解読部で愚か者共の相手をしている」
 一晩たってもまだ揉めていた様子。高士達の不仲にも困ったものだ。
 深く事情を聞けば、世話係が交渉に失敗したと答えた。
 世話係とはグレッグのことだろう。失敗したと言っても原因は村長の件なので、悪者にするのはかわいそうだと思った。
「最悪の場合、解読部は置いていく。お前だけが綱になる」
 覚悟はできているかと青銀の輝きが問う。
 背中の重みはまだ感じていた。けれど、背後にあふれる海の気配もちゃんと感じられていた。
「はい。行けます」
 頷きにバトが冷笑を浮かべた。

 しばらくして戻ってきたティートーンは、昨日の大物振りをどこぞに追いやった様子で、軽快な挨拶をしてきた。後ろでは、バトよりも不機嫌な様相となっているグレッグがぶつくさ言っている。
「……来年は解読部の予算を減らすよう、慧師に陳情書を上げるべきです」
「まーだ言うか。ただ構って欲しいだけだ。いつも黴臭い部屋に押し込められて、本ばかり読んでるから寂しいんだよ。茶飲み相手がいない爺と一緒だ」
 構ってやったら何とかなったろと笑っているけれど、部下の方は納得していない。
「奴等とて指令書は受け取っているはず。それで寄こしてきたのが雛上がりですよ」
 馬鹿にしているのかと気配を散らす。
「お前の悪い癖だ。雛上がりと言っても部隊長のお墨付き。……やだねえ、まだ若いくせに今時の若いもんはってか」
 笑い続けるティートーンを睨みっぱなしのグレッグだが、入室してきた当初より気配は落ち着いてきている。大隊長殿は部下の扱いを心得ているようだ。

 ちなみに部隊長とは一部隊を治める人の呼称。大隊長とは複数の部隊を治める人の呼称と聞いた。
 解読部は人数が少ないので一部隊だけ。だから部隊長しかいないらしい。

 出立だと声をかけられ、ぞろぞろと階段を下りていく。下りる間もグレッグがぶつくさ言い通しだったので、ローグと目を合わせひっそりと笑い合う。
 下りきった場所には雛上がりとの言葉から連想していた通り、ジョーイとアナベルが立っていた。
「よう、博士殿。今日はよろしくお願いする」
「とんでもない! こちらこそよろしくお願いします」
 緊張気味に頭を下げたアナベルは、問題の博士殿が頭を下げ忘れているのを視認して、フードをつかみ頭を下げさせた。
「いたた。アナベル、髪を引っ張らないで……」
「んもう、しゃんとしてよジョーイ!」
 こちらも素晴らしい番ぶりである。

「サキや」
 和やかな声が聞こえ、ぱっと身体が動く。
 扉の外では村長と旦那さんが待っていた。おはようと声をかけてきた二人に、かつて毎日していた挨拶を返す。
「村長、行ってきますね」
 村長の顔色は、昨日よりも断然よくなっていた。うんと一つ頷いて、同行者である高士達に深々とお辞儀をする。
「皆様方にこの子をお預けいたします。どうぞよろしくお願いいたします」
「オーベン殿、お任せあれ」
 軽く請け負った大隊長殿。
 しかし村長は、返答を受け取ってもなお頭を下げ続けている。
「……翁。顔を上げられよ」
 副隊長殿の声掛けにも、村長の姿勢は変わらなかった。
「この子は我らにとってかけがえのない娘です……。何卒、無事にお返しくださりませ」
 村長の隣で旦那さんも深くお辞儀をした。胸と鼻が詰まって苦しくなる。

 頭を下げている二人の前に、燠火の真円が描かれた。
 あらわれたのは見知らぬ気配の炎。

「オーベン殿。これにありますは"誓約の炎"と呼ばれしもの。炎によって誓いを身に刻む……真導士特有の儀式です」
 青白い炎は熱も持たず、明るく燃える。
「真導士にとって誓いは重いもの。一度、言霊として世界に生めば、真導士自身に影響を及ぼす」
 言霊は真導士にとって支えであり、荊であり、鎖である。
 だから全員が言葉は気をつけるようにと習うのだ。
「神鳥に誓いましょう。必ずや貴方の養い子を……導士サキを連れ、全員が帰還すると」
 言い切ったティートーンは、青白い炎に右手を差し入れた。
 甲に薄墨色の神鳥が刻まれる。
 次に動いたのは黒髪の相棒だった。当然だと言うように右手を入れて印を受ける。次々に差し入れられる手。大きさも形も違う手の甲に、等しく神鳥が刻まれる。
 光景を見ていただけだったバトも、炎に手を入れた。ティートーンの口の端が持ち上がったのを見て、自分も一歩踏み出す。
「誓います。必ず帰ってきます。皆で、一緒に……」
 だから待っていて欲しい。
 帰ってきたらおかえりと言って欲しい。あの日々にしていた挨拶を、また交わしたい。



 差し入れた右手に、印が焼き入れられる。
 翼を広げ空に向かおうとしている薄墨の神鳥が、誇らしく輝いているように見えた。

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