蒼天のかけら 第十一章 神籬の遺跡
故郷へ
右手に神鳥を携えた、調査隊の面々が一列に並ぶ。
目的地は故郷の村。
調査で現地入りしたことのあるグレッグが陣を描く。
鼓動が高く鳴っていた。
たまらず胸に両手を置いて目を閉じ、渡り終わるのを待つ。
風が鼻腔をくすぐった。
芝の匂いだ。いまの季節なら、牧草の刈り入れを済ませていた。
でも、干草の匂いはしない。誰もいなくなったという現実がひどく悲しい。
目を開く。
吐息が出た。
ああ、帰ってきた。ようやく故郷に戻ってきたのだ。
草原が靡く。笛を鳴らして、まるで歓迎してくれているようだった。
朝日の中、村の影が見える。
焼けて崩れた家々は無言のまま佇んでいた。ぼろぼろの家だけとなった集落。聖都に向けて発ったあの日と同じ光景だ。
「着きました。ここがわたしの故郷……ボナツ村です」
崩れた家の面影は、目さえ閉じればありありと浮かぶ。
ここはエイネルさんの家。お隣はクレタお婆さんの家。向かいにあるのが食堂で、ずっとずっと奥に見えるのが村長の家。
そして――。
「でっかいねえ!」
報告どおりだと、大隊長殿が喜色にまみれた声を出した。アナベルからも感嘆が落ちる。
村の向こうにそびえ立っているお山――"リスティア山"。
一歩外に出れば必ず目に入る。これを見て大きくなったといっても過言ではない。
懐かしい山が見せた初めての姿。真眼を通して視る"リスティア山"は、見慣れぬ神々しさを放っていた。
ボナツ村に到着した調査隊は、さっそく二手に分かれることとなった。
まず自分が、儀式に必要な物を倉庫へ取りに行く。倉庫はお山から遠く、窪んだ場所に建てられていたから焼け残っている。
同行は青銀の真導士だ。
一人で平気ですよと言ったら、お前は何もわかっていないなと怒られてしまった。
ローグも同行を主張していたけれど、これは大隊長殿が許可を出さなかった。複数使いを覚えていた彼には相応の輝尚石が配布されるので、使い方の説明が入るとのこと。輝尚石の扱いに長けたことが仇になったと、妙な具合で悔いていた。
自分とバト以外の面々は、陣営を張るために移動した。
山に近く、平たい地形となっている場所を伝え、倉庫前で一旦別れる。
誤解を極めてしまっているローグが、絶対に油断するなと念押ししていったのでつい溜息を出した。
……この誤解は、どう解いたらいいのだろうか。女神からの答えはいまだ返らない。
悶々としつつも、青銀の真導士と一緒に倉庫へと入る。
「あ、バトさん。そこは危ないです」
腐った板の張替えが済んでいないから、足を乗せると踏み抜いてしまう。
炎豪で灯りを出している青銀の真導士は狭い倉庫で飛ぶわけにいかず、入口で待機することにしたようだ。
倉庫の中は無事だった。
無事だけれど風を入れていなかったから埃臭くなっている。掃除をしたいなと思ったけれど、意味がないかと考え直した。
使うのは自分が最後だろう。
「場所は覚えているか」
「ええ。お祭りのために出していましたから」
そう、出していたのだけど奥に行ってしまった。
近くの村と一緒に炊き出しをしたり、急場の雨しのぎをしていたせいだ。テントやら釜やらが手前にうず高く積まれている。
目的の物を取り出そうと、塞いでいる物達を脇に除けて進む。
「びっくりしました。隣村に伝説の正鵠がいただなんて」
リグ様はお人形の名前だった。
かわいくきれいに飾りつけていたけれど、本人が見ればどう思っただろう。
「お前にはつくづく驚かされる……。珍妙な神経も、故郷由来のものだったか」
頬を膨らませた。
気が利かないことにかけては天下一品な青銀の真導士。しかし、怒ったところでまともに相手にはされない。
いつかきのこの悪夢を見せて差し上げようと、悪巧みだけしておいた。
「おい、早くしろ。お前にも陣営での確認がある」
できるなら昼前に発ちたい。出立前にバトとティートーンが示し合わせていた。腹立ちつつも信頼関係はある様子で、二人の方針は基本的に同じだ。
「待ってください。この下に……あった。ありました」
取り出したのは丸い容器に入れられた玉。
容器は十の時に持たせてもらったものと同じ。言われてみれば古代じみた絵柄である。
「真術が掛かっています……」
中に入っている玉から、白い光が漏れていた。
入口にいる青銀の真導士のところまで持っていく。手に取って気配を確かめた後、また自分に返された。
「古代真術だ。籠められている真術の質も判然とせぬが、この玉なら見たことがある」
遺跡から掘り起こされることが多い玉だと言う。世に出回っている宝玉のどれとも似ておらず、色も定まらない。
気まぐれに変わる虹色の宝玉は、解読部内で"女神の涙"と呼ばれているそうだ。
「"リスティア山"は、本当に遺跡なのですね」
"生贄の祭壇"よりもはるか昔に造られた古代遺跡。
白く光をたたえている玉を、容器に空けられた穴から覗き見る。ふわふわと色を変えていく崇高な玉の姿に、感動と畏怖を覚えた。
玉の色に夢中になっていたら頭に軽い衝撃がきた。
青銀の真導士に小突かれたようだ。無駄な時間を過ごしたお説教がくるのだと首を竦めて身構えたら、思いがけぬ言葉を頂戴する。
「決めたか」
首を竦めた形で、青銀を見上げた。
幻の光がただよっている瞳は、自分だけを映している。
「……いえ」
慈悲の色が視えているのは錯覚であって欲しい。玉の光が反射しているだけであって欲しいと、痛み出した胸が泣き言をこぼす。
真夜中の真力が、狭い倉庫の中で大きく動いた。
真力が風を起こしてちりが舞う。空に舞ったちりが炎豪の光を浴び、蛍を思わせるように飛んでいる。
バトの右手に召喚されたのは宝珠の首飾り。いくつかの真術が絡められている術具から、強く転送が香っている。
「渡しておこう。いざとなったら使え」
強く束ねられた転送の術具。
転送以外の香りは嗅いだ記憶がないものばかり。
「使えば慧師の間に飛ぶ」
青銀の輝きが、宝珠に反射している。
「ドルトラント内であれば、どこからでも飛べる。……遺跡内でも使えるはずだ」
慧師の許可は得た。
宝珠に籠められた真術を使用すればたちまち眠りに落ち、慧師の間へと運ばれる。
後のことは、眠りの中で円満に進められる、と。
「養父と再会できたのは好都合。お前とて否やはなかろう」
「……バトさん」
「一度、ビエタに身を寄せればいい。時期がくれば聖都から迎えを出そう。任務遂行の功労者ともなれば、説得材料を欠くこともない。養父とサガノトスに上がるようにも手配できるゆえ」
よかったではないか。
静かに言われて心臓に針を感じた。
ぎゅっと目を瞑り、淡い光を遮断する。
両肩に手をかけられた。真夜中の気配が近くまでくる。瞼の向こうに真眼の輪郭が視えている。
「お前はお前の幸せを望めばいい。何も苦痛ある道を選ばずとも生きられる」
しんしんと慈悲が降り積もる。雪のように積もって、世界を美しく塗り替えてしまう。
覚悟して目を開ける。
身を屈めて、高さを合わせてきている青銀は、静かに冴えた光を出していた。
ずきり、ずきりと傷んでいる心臓。この感情の名前はずっと決めあぐねていた。決めてしまったら色々なものが変わってしまいそうで、触れないままにしている。
首飾りに残された、ささやかなぬくもりに触れる。長く手にしていたらもたないと勘が訴えたので、急ぎフードを下ろして首飾りを掛けた。
服の下に丸い感触が生まれる。小さな飾りなのに、ずしりとした力を感じた。
深呼吸をして乱れた気力を整える。
吸って、吐いてとしている中で、真夜中の気配がふっと冷たく変わった。
急に怒りを帯びたバト。
何か仕出かしてしまったかと焦り、顔色を窺う。
冷たい色に戻った瞳は、自分の左側。首から肩に繋がる辺りを射抜いている。どうしたことかと額に冷や汗が出てきた。
「……フードをしろ。任務中は長く下ろすな」
「は、はい!」
声の温度を急落させたバトは、背中に怒りすら見せて一足早く倉庫から出た。
何で、どうしてとぐるぐるしながら、白い背中を小走りで追いかける。ずんずんと進んで行ったバトは、すでに構築されていた陣営へと入った途端、うちの相棒を真後ろから蹴飛ばした。
全員が呆気に取られている中で「大馬鹿者が!」と落雷まで起こった。
暴挙を働かれた上に雷を落とされたローグだったが、何故か苦情を出すこともなく色香を含んだ笑顔を浮かべる。
大隊長殿からの「……お前ら、どうしたよ?」という問いに二人して何も答えず、真相は気まずい大気の中に埋もれた。
苛々を復活させたバトと満足そうな顔となったローグに挟まれ、肩身の狭い思いをして時を過ごす。
……たぶん、ローグが何かしたのだと勘が言う。
新たな誤解の予感をひしひしと感じながら、今日も一人で途方に暮れた。