蒼天のかけら 第十一章 神籬の遺跡
光の扉
調査隊は、ついに"リスティア山"へと足を踏み入れた。
先頭を行くは大隊長殿。すぐ後ろを副隊長殿、そして先輩番の二人が続いた。
二人の後ろに自分達がいて、しんがりを青銀の真導士が務めている。
配置はバトとティートーンが暗黙の内に決めた。
方針が安定しているから、急ごしらえの調査隊にしては混乱が少ない。おかげさまで大任を負った背中にも、多少の余裕が出てきた。
さり気なさが恐ろしいと言ったジョーイの言葉を、山道で反芻する。
真導士となった身だからわかる。この山は尋常ではない。
春にあった大火は山自身を覆い、そして村々まで飲み込んだのだ。しかし、いま見ている光景はかつてのお山の姿そのもの。一年も経たずに、焼け折れた木々が元の形となっている。
永く、遺跡を覆ってきた"リスティア山"は誰の力も借りず、自身の力だけで回復したのだ。
恐ろしいと感じて当然だろう。
「お嬢ちゃん、どっちだ」
前方からティートーンが呼ばわる。
右ですと伝えると、調査隊の進路がそのまま決定した。
「行ったのは一度だけだろう」
よく覚えているなとローグが聞いてくる。
「ええ、儀式に行ったのは一度です。でもお山には何度か入りました」
薪を集めたり、山菜を採りにきたり。
山道はほとんど一本で、数少ない分岐さえ覚えておけば事足りる。
「少し登れば"下り木"が見えてきます」
自分が。
そして伝説の正鵠が捨てられていた場所。
村長から聞いた話だと、自分が捨てられる何年か前にも子供が見つかっていたらしい。山向こうの村に引き取られていったようで、あの子がいればサキの遊び相手になれたと言っていたことがある。
でも、これでよかったという気がしている。
もしもあの子がボナツ村にきていたら。もしもあの子と自分が入れ替わっていたら、遺跡の鍵は喪失されていただろう。
傾斜が急になってきた山道。そろそろだと思った時、ジョーイの「おー!」という声が聞こえた。
「見事な"真木"ですね」
"真木"とは、"真穴"に生えた木が、多量の真力を吸って変化したもの。
通常なら"迷いの森"のように真力を帯びるだけ。"真木"となるには気の遠くなるような年月が必要と習った。
「大隊長、里に戻ったら入山禁止処置を申請しましょう。うかうかと入られてはまずい」
「確かになあ……。真術の悪用よりも厄介だ」
"下り木"が"真木"だったという事実には、あまり驚きが出なかった。
そうだろうなと思った。
自分の中の常識が、どうも麻痺してきているようだ。
「お嬢ちゃんはここで拾われたんだったか。いや、本当によかった。長くいたら真眼が開いてたぞ」
思わず真眼に手をやった。いまさら遅いけれど、言われればかばいたくなる。
大隊長殿の号令で、調査隊の進行が一時止まる。
グレッグが"真木"の外周を計っているので、報告に必要なのだと理解した。
ジョーイとアナベルも周囲の探索をしている。遺跡が露出していないか見て回っているのだろう。
「バトさん。"真木"の枝って真力が詰まっているのですよね。持って行っては駄目なのですか」
外部からの刺激を考慮しなければ、ゆうに百年は保つほどの真力が蓄積されている。遺跡では何が起きるかわからない。
真力の輝尚石代わりにどうだろうと思った。
「やめておけ。使い残すのが関の山だ。真力が必要なら"真穴"で事足りるゆえ」
うっかりしていた。
自分達は"真穴"の真上にいるのだ。高士ともなれば"真穴"の真力が利用できる。その高士が五人もいるのに、真力が足りなくなる可能性は零だ。しかもローグは枯渇の心配をするに及ばない。だから実際に危ないのは自分だけ。
いまさらながら面子の凄さに思い至る。
調査隊に組み込まれたのは鍵の継承者だからだ。余計な気をまわしてしまったと恥ずかしくなる。
落ち込むときは、落ち込みたいだけ。
長身の友人が言っていた気持ちの切り替え法。真円を大きくしたくて助言を求めたら、けろりと言われた。
暇も持て余していたので挑戦してみようと肩を下げる。
「しょんぼりとしている感じ」とは、これでいいのだろうか。
意外や意外、難しいぞと苦戦して、ついでに頭も下げる。何となくだけれど近づいたようだ。
……うむ、よし。
真力のゆれが治まった。成功を確信し、頭を上げようとしたら首がぐきっとした。
何事かと思えば、青銀の真導士の手が頭に乗っている。
「バトさん、痛いです!」
抗議の声もどこ吹く風と、何故か頭を撫で回された。フード越しの手つきから思惑を察知する。
この人、犬の頭を撫でているつもりだ。
躾の一環と思っていることが丸わかりである。
むきになってじたばた暴れ、ようやっと手を除けて青銀に立ち向かう。
思っていた通り、バトは皮肉な冷笑を浮かべていた。治まったばかりの真力が、先ほどよりも大きく乱れている。
ひどいではないかと、頭に血を上らせ……視線の多さに気づき、我を取り戻す。
大隊長殿は大きな岩に腰掛けて。グレッグは測定に使っていた巻尺を手にした状態で。ジョーイは地面を浅く掘っていた格好のままで、自分のことをじっと見ている。
唯一動きがあるのはアナベルだ。両手の人差し指と親指をくっつけて三角形を作り、目をきらきらとさせている。
手つきの意味は「こうなっちゃったの?」である。誤解の予感を感じ、そして強い危機を感じた。
視線を素早く巡らせて、黒髪を捜す。
想像上の相棒には怒りの炎と、高波のような真力の迸りが視えていた――のだが。
「ローグ……?」
黒髪の相棒は"真木"の前で立ち、こちらに背を向けている。
普段ならいち早く気づくのに、気づく素振りもない。
どうしたのだろう。さっきから挙動がおかしい。そろそろと近づいて横から覗き込む。
フードの奥にある黒の瞳は、一点に集中していた。視線を追いかけて、彼が見ている場所に着地する。
そこは"下り木"の根元だった。
「ねえ、どうしましたか」
間近で声を出して、やっと自分を見た。
強い色を出していた黒の瞳に、ぼんやりとした膜が浮いている。
「サキ……。木の根元は、昔から閉じていたのか」
大きく盛り上がった場所を指して確認してきた。
また変なことをと思った時、頭の奥で何かが回った。ぐるりと動いたものに合わせて、忘れていたことが浮かび上がる。
「昔からですよ」
昔から"下り木"は変わらずに立っている。
けれど昔、いまのローグと同じことを言った人がいた。
「村長から聞いたのですか? 山守のおじさんの話」
黒の中にある炎が、はためくような燃え方をしている。
「変ですよね。毎日お山に登っていたのに、木の洞が消えたって騒いだんですって」
誰もが山守の交代を考えたと言っていた。まだ爺さんじゃないと思っていたけれど、交代させてやった方がいいんじゃないかと。
心配して相談している内に、おじさんは何も言わなくなった。いつしか本人がお山に化かされたと言うようになり、交代の話も立ち消えたのだ。
ここで唐突に、集合の号令がかかった。
調査が終了したのだろう。
出発だと彼を呼ぶ。おかしな様子のローグは"下り木"の前に立ち、上の空の返事をする。
残りたがっている相棒の袖を引き、大隊長殿のところへと急ぐ。向かっている間中、アナベルが「ねえ、ねえ。どうなの?」といった顔で、また三角形を作っていた。これには首を振り、もう一度だけ黒を確認する。
はためき続けている炎から考えが盗めればいいのにと、たわいないことを考える。
ふと、バトが天空を見上げた。
倣うようにティートーンも青空に視線を向ける。
「どうしたよ」
「……いや」
短い応酬に、予感の影を視たように思えた。
つられて空を見る。
青く広がる世界を見て、耳をすませた。
けれども、それ以上の兆候はどこにもなく。湿った土の匂いが届くばかり。
"下り木"から登ることしばらく。急ごしらえの調査隊は、目的地に辿りついた。
手の温度を吸って汗を出している容器を、両手で強く抑える。
「ただの壁に見えるが……」
間違いないのかと副隊長殿から確認がくる。
「はい、この壁です。儀式と言っても大したことはしないのです……」
緊張してきた。
サガノトスの未来がかかっている任務。間違いでしたでは済まされない。
濃厚な真力の風を受けて、鼓動がどんどん高まってきている。
時が来たと村長は言った。いまがその時なのかと煩悶して、玉を入れている容器を強く握った。
「お嬢ちゃん、休憩はいるか?」
軽く聞いてきた大隊長殿。気配は入山した時から変わらず、一定の調子で流れている。
「いえ……、大丈夫です」
壁の前に進み出た。
あの頃は疑問にも思わなかった。誰の手も入っていないのに埃も黴も見当たらない。
真っ白過ぎる壁の前で、容器を動かす。
容器には細工がある。それを順番通りに動かしていく。
一つ、二つと細工をずらして、覚えていたと安堵した。
山の木々が枝を擦り合わせ、葉を重ねて歌っている。お山の中で聞く歌声は、かつて恐怖の対象だった。
こめかみから汗が流れる。
耳の横を通り、顎の先まで流れてきた時、かちりと嵌った音がした。
容器の中で、虹色の玉が爆発する。
いいや。爆発したと錯覚するほどの光が、容器の隙間からあふれ出した。
できる限り遠くへと思い、腕を伸ばして目を瞑る。後方で高い悲鳴がした。虹の光との戦いは、そう長くはなかった。
眩んだ目には、白の壁が灰色に変わったように見えた。
再度、目を瞑り休ませる。休ませている間、たっぷりと深呼吸をした。耳の奥で脈の音が拾えている。
違う。終わっていない。ここからが本番だと自分を奮い立たせる。
再び目を開いた時、村長の言葉を正しく理解した。
入口を見るには"光の目"が必要。
幼かったあの日、儀式を終えた時に見たのは白い壁。だがしかし、いまは眼前に描かれているものがあった。
実感が湧いた。故郷の歴史は今日で終わる。自分が終わらせるのだ。
そう、すべてはこの時のため。
壁に描かれた光の扉を、この手で開くため。