蒼天のかけら  第十一章  神籬の遺跡


季節の巡り


 壁に、扉の形をした光の線が描かれている。
 拍子抜けするほど簡素な模様が、申しわけ程度に飾られている白い扉。
 パルシュナ神殿に相当するという話と、目の前の模様が合致しない。神殿の扉には、裏口でさえ複雑な装飾がされていた。

「ジョーイ高士。これが入口でしょうか……」

 想像と違う。
 絵本に出てくるような簡単な扉だ。だが、これこそが神聖時代の文化的特徴だとジョーイが言う。
「間違いないよ。神聖時代は文化が優れて頂点まで達していた。行き着くところまで行くと、芸術は簡素になりやすいんだ」
 ほら見てごらん。
 興奮しているのか、声の抑揚が大きくなった博士殿。土を残した指先が、扉の中心にある真円のようなものを指した。
 扉の端を基点として、三角の列が中心にある円へと繋がっている。
「記号的で実にわかりやすい。文字が失われても場所を示すには最適だ。この円が鍵穴だよってね」
 鍵穴、と復唱して、顎先で留まっていた汗が落ちたのを感じる。
「解読部でも意見がわかれていたんだ。鍵の開け方……。封印の解き方についての解釈が成立していなくて。でも、これで証明できるはず」

 生華時代の遺跡には虚偽の碑文や、あえて騙すような封印があり。調べれば調べるほど真実から遠のいていた。証明するには純粋な大本――神聖時代の遺跡が必要だったという。
「伝承でも小説でも、生贄に捧げられるのは決まって若い娘。古今東西、この条件を大きく外した文明はない」
 派遣されてよかったと、興奮を高めて博士殿が語る。
「封印の鍵となるのは十五を迎えた若者。十五は子供と大人の境界の年。一足先に育った身体と子供のままの魂を持ち、そのずれが隙間を生んでいる。どちらにも属していて、かつどちらとも言えない。曖昧さゆえに、人の世と神の世のどちらとも通じる。女神の加護と、邪神の囁きのどちらも受け入れやすくなっていて、魂だけを意図的に取り出すことも容易とされる」
 元の状態に戻った玉が、扉の光を反射する。
「ここからは僕の仮説。十五の若者が生贄に適しているならば、どうして捧げられるのは娘ばかりなのだろう。娘にしなければならない理由があったんじゃないか」
 目の眩みが、身体から立っている実感を抜いた。
「真導士の枠組みができて、系統が整えられたのは里ができてから。正鵠アーレスが定めてからだ。それ以前には系統がなかった。真術に対する技術や術具が発展していたから、考慮しなくても大差なかったんだろうと思う。つまり、燠火、天水、蠱惑、正鵠が生まれたのは大戦以降」
 各々の特徴が整えられたのも、大戦以降。
「蠱惑はね、正鵠と同じように途中で生まれた真導士なんだ。枯樹時代と生華時代の境目に出現したと考えられている。古来から存在していたのは燠火と天水だけ。系統として燠火は男が、天水は女が多い」
 これが答えを暗示している。
「生贄の儀式は、天災や飢饉の後に行われる。飢えに苦しんだ人々が、豊かな地を侵略するための力を欲した時。あるいは先祖が残した恵みを求めた時。――つまり封印を開けようとした時、若い娘を生贄として捧げる」
 魂とは真力と同義。
 十五を迎えた天水の娘の真力。
 それが条件。
「さあ、やってみて。神聖時代の遺跡なら、命を取られるようなことはない。中央の円に重なるよう真円を描くんだ」

 時がきた。
 一つのずれも、一つの欠けもなく。
 いま、条件が揃う。

 真眼から真力を放出し、指先で糸を手繰るようにして流す。
 そろそろと流れた真力は、円に沿って輝く。するりするりと絡まって天水の真円となった。
 真力はゆるやかな速度で左に流れる。
 描いた真円が消えぬよう真力を流していたら、いっぱいになったと勘が伝えてきた。

「……きた」

 後退するよう青銀の真導士が言い、扉を注視しながら皆のところまで戻る。
 自分達の前に、グレッグの結界が生まれた。
 結界ぎりぎりの場所にジョーイが立ち、推移を見守っている。
 簡素な絵を描いていた線達が、壁の中で右往左往しだした。それ急げ、やれ急げと言いながら、白い壁で模様を建て直している。
 光の線画達が新たな形となった。大きな人型と、その下に連なっている七つの人型。
 壁の上に描かれた絵は虹色に光り、とろとろと溶けて消えた。
 自分達の前にあるのは黒い穴。どこまでも続いているような回廊が、ぽっかりと口を開けた。

「……やった」

 開いた、開いたよと大騒ぎして、ジョーイがアナベルに抱きついた。
「きゃっ、ちょっと落ち着いて!」
「見た? 見たよね、アナベルも! 扉が開いたよ。僕の仮説が正しかったんだ。これで研究が進められる!」
 興奮が頂点に達したらしい博士殿は、真っ赤になったアナベルから離れ。開いた回廊の前で両手を上げ「やったー!!」と喜びの遠吠えをした。彼の相棒は、乱れたローブと添え髪を整えて、顔の熱を手で扇ぎ冷ましている。
 二人の様子をじと目で見ていた副隊長殿は「どいつもこいつも」と大きな吐息を出して、進行の是非を上司に聞いた。
「大隊長、どうされましたか」
 喜びの遠吠えの裏側で、大隊長殿が卑屈な笑みを口に乗せている。
「なるほどねえ……。十五の若者か」
 いままで一定の調子で流れていた気配に、鋭い尖りが視えた。荒ぶる気配は背筋に寒さをもたらす。
 隣に立っている青銀の真導士は、同期を無言で眺めている。
 瞳に幻の光を強くたたえながら。
「行くぞ。任務は完了しておらぬ」
 バトが口を開き、ティートーンの気配が静かに治まる。
「……ああ。わかっている」
 共通した思念が、二人の間に存在している。
 だからこそ進む方角が同じなのだ。

 風が吹いた。
 平たく広い山でも、山頂が近いから寒さが強い。春のように感じられていた大気は、一転して冬の様相となっている。
 いまは秋。
 次の季節は、もうそこまできていた。

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