蒼天のかけら  第十一章  神籬の遺跡


赤い食指


 暗い回廊に、灯りが生まれた。
 隊列の前部と後部で灯された炎は、時の向こうに消えた文明の残り香をよみがえらせる。
 回廊は水晶らしきものでできていた。
 山よりも大きな物差しで、きっちりと線を引いたと言われたら信じてしまう。
 美しさは、極まり過ぎると恐ろしさに通じるらしい。回廊に入ってから鳥肌が治まってくれなくて、密かに困っている。

 両腕で二の腕をさすりながら歩き、誤魔化しがてら前方の変化に意識を合わせる。
 ここにきて、隊列の位置に変更があった。
 先頭は大隊長殿。次に先輩番で、すぐ後ろにローグと自分。真後ろに副隊長殿で、最後尾はバト。意味がありそうだけどやっぱり聞きづらい。遺跡から出たら聞くことにしよう。

「壁に文字が刻まれているわ」
「神聖時代の文字だ。よく見て、アナベル。境目ごとに文字の系統が違うでしょ。神聖時代は複数の言語があった。現在、発見されているだけでも五種類。この遺跡は歴史に残る大発見だ。ざっと見ただけで五種類以上はあるよ」
 全部書き写して持って帰りたいと、空恐ろしいことを言う。文字を見るだけで拒絶反応が出る自分では、博士殿の心境に共感ができそうにもない。
「サキ、耳鳴りはするか」
 ローグに問われて、いいえと返す。
「なら、大丈夫そうだな。変化があったら言ってくれ」
 後ろにいる副隊長殿に「耳鳴りがどうしたというのか」と聞かれたので、勘が働くと耳鳴りがすると伝える。
「グレッグ、お嬢ちゃんの勘はすげえぞ。金糸雀並みだから注意して見ていろ」
「……わたし、鳥ではありません」
 抗議に忍び笑いが返る。
 忍び笑いの後ろで「いや猫だろう」とか「犬だろう」とか言っている気配も感知できた。気が利かない三人は、詫びの印として回廊に花の絨毯を敷くべきである。

 長い回廊に終わりが来た。
 水晶の回廊の奥には、長方形に伸びる広場があった。ここも水晶でできていて、また区切りごとに違う文字が刻まれていた。
 まさに知識の広場といった風情だ。
 場の最奥には低めに造られた基壇がある。その場所だけ文字が刻まれておらず、恐ろしい美でしっかりと固められていた。
「終わりか……?」
 広場を見渡し、副隊長殿が言葉をもらす。
 言葉の通り、広場はどこにも通じておらず。一見して行き止まりのようだった。
「……んなわきゃねえな」
 部下の発言を大隊長殿が打ち消し、ジョーイに問いかける。
 広場に出たためか、それぞれの声が長く薄く反響していた。回廊の方から風の音が聞こえていて、寒気が悪化する。
「しばし、お待ちを」
 興奮が続いている様子の博士殿は、相棒を率いて基壇に赴く。二人が調査しやすいようにと思ったのか。大隊長殿が広場中に小さな炎豪を散らした。
 暗さが消え、安心できる明るさとなった広場で、一人鳥肌を立てる。
 光の届かない遺跡の最奥は、炊事場にある保冷庫のような寒さだ。一足先に冬を味わうはめになるなら、もっと厚着をしてきたのにと後悔する。二の腕をさすり、ささやかな暖を得ていたら目の前に大きな炎が生まれた。
「ありがとう」
 彼の会釈に合わせて黒髪がさらさらとゆれた。
 海を漂わせている焚き火に両手をかざし、冷えてしまった指先をあたためる。身を屈めて熱を取り込み、ふと顔を上げたところで物言いたげな副隊長殿と目が合ってしまった。
 勝手なことをして怒られるかと冷や汗をかいた時、副隊長殿から盛大な溜息が出される。

「……大隊長、どうして我が隊には女の隊員がいないのですか」
「あ、気づいたか? それはな、むさ苦しい男ばかりで入り辛いからだ」
「女の隊員がいないことが原因と言うのですか。そんなことを言ったら永遠に誰も入らないでしょう」
「素晴らしい着眼点だな、グレッグ。そう、だから我が隊は男所帯なんだよ」
「だから出会いもなく、全員が独り身なのですね」

 ぐったりと言った部下に、大隊長殿が「真理だろう?」と聞き。聞かれた部下は「真理ですね……」と肩を落とす。
 暇を持て余した大隊長殿達の掛け合いを聞いて、くすりと笑い。笑いの影で感心した。
 こんな会話をしながらも真力をゆらさないから、彼等は精鋭と呼ばれるのだ。寒さ如きでぶれが出てしまっている自分とは大違い。一応は実習期間中でもある。親鳥の言いつけに従い、大いに学ぼうと掛け合いの続きを待った。

 風が吹いて、焚き火がゆらぐ。
 回廊からの風が強くなった。お山は昼を過ぎると風を出すことが多い。知っていた事柄が、胸の中で懐かしさを膨らませる。
 奥の奥まできたから見えなくなってしまったけれど、故郷の姿を求めて回廊の向こうに目をやる。
 広場が明るくなったせいで、一段と深い闇に覆われている回廊。望んだ景色はとうてい見えそうにない。
 寂しさが強くなった心に、闇色の何かが一滴だけ落ちる。
 雫の形で忍び込んできた何かは一呼吸の間に蜘蛛の巣となり、視線の行方を縛り上げてしまう。
 身動きが許されなくなった視線は、回廊の向こうばかりを映す。
「……誰か、きます」
 お次は言葉だと手を伸ばしてきた蜘蛛の糸をかわし、ぎりぎりのところで伝えた。
 まず動いたのは青銀の真導士。
 自分を背にかばい、黒髪の相棒に「消せ」と短く指示を飛ばす。
 焚き火が消されて寒さが強くなった時、回廊から白い靄が勢いをつけてやってきた。霧だと認識した途端、濃厚な白に視界を盗られてしまう。
 肌に触れた気配は、記憶から女の姿をあぶり出す。

 白い悪夢の中で、力強い腕に引き寄せられた。
 離すまいといった動きにつられ、身体が傾いで相棒のローブに着地する。薄められていても、ぎりぎりで見えている青銀を呼んだ。
 指示を求めたのだが、返ってきたのは旋風の守りだった。
 三人だけを囲んだ旋風の内側で、バトとローグの気配が混ざる。温度差のある濃密な気配にまかれ、感覚が遠のいてしまう。
 二人の気配が強過ぎて、真眼を開けていても他の気配が拾えない。
 風の向こうで悲鳴がした。ジョーイの声が、くぐもりながら白に揉まれている。
 アナベルと呼ぶ声がした。
 悲壮なものを含んだ呼び声が、二度聞こえた。もしかしたら三度目もあったのかもしれない。
 だが、その声は耳に届かなかった。
 崖崩れでも起こったような轟音が耳を塞ぐ。広場を蹂躙してまわる突風は、気配からしてティートーンが放ったもの。
 バトが支えている旋風の勢いが増す。もし青銀の真導士の真円から一歩でも出たら、外で走っている風の濁流に飲まれてしまうことだろう。
 轟音を引き起こしていた風は、広場中に散っていた霧を力づくで消し去った。
 真力だけが光源となった薄暗い場に炎豪が灯る。
 強い真術と気配を浴びた真眼は、目の眩みに近い症状を出していた。
 世界がまったく視えない。
 両の目も、真眼と同じように眩んでしまっていた。視界を潰されたいま、頼れるのは耳だけだ。

 耳にアナベルの声が届いた。
 離してと抗議している彼女の声は、基壇の奥の方から流れてきている。
「言いたくはないけど、一応はありがとうと言うべきかしら。開けたくても開けられなかったのよ」
 覚えのある女の声。
 サガノトスで暗躍していた"霧の真導士"が、自分達を追ってやってきた。黒髪の相棒が予想した通り、三択の中でもっとも欲しいものを求めて……。



 "霧の真導士"――フィオラが、その赤い食指を伸ばしてきたのだ。

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