蒼天のかけら  第十一章  神籬の遺跡


重なる力


 出現した"魔獣"は合わせて三匹。
 形は先日見かけた"魔獣"と非常に近い。野犬のような姿で、内に多量の力を秘めている。

 ラーフハックは腕組みをし、愉悦の表情で自分を見ていた。"淪落の魔導士"と呼ばれるこの男は、いつフィオラ達と繋がったのだろう。
 繋がりはあれど友好的な印象は薄かった。
 フィオラはサガノトスで暗躍していた"霧の真導士"。あの調子では、セルゲイも彼らの側に組み込まれている。
 彼等の姿がようやく見えてきた。
 姿すら見えなかった頃に比べれば、ずいぶんな進歩だ。
 口の中が乾く。残っている湿り気で、唇の引きつれを解した。

 真眼から真力を取り出し、大気に放つ。
 周囲にあるのは、"魔獣"と金の獣の気配だけ。視える範囲のどこにも、他の気配は存在していなかった。
 半開きにした口から、ゆっくりと息を吐いた。
 危機の予感はこめかみに留まっている。それでも気力の手綱はゆるんでいない。
 大気にいる天水を好む精霊達が、ふわふわと自分の周囲に集まってきた。
 跪くことはしなかった。膝を折ったら命が終わると、経験的に理解していたから。手を組んで祈る形を整える。
 金の瞳が、爛々と光っていた。
 真円を描いて真術を展開する。助けてと願い、展開を支えた。
 するすると滑るように描かれた円は、思い通りの大きさとなり"魔獣"を囲む。
 展開した時だけ、重みがあった。
 岩のような重みだ。思わず身体が沈む。重いものと認識した心が、現実に対応して身体を沈めたのだ。
 けれど、持てない重さではなかった。
 ……いける。一人で持ち上げられる。
 現状を正しく把握した真眼が、真力を放出して展開を強化する。精霊が喜びに舞った時、"魔獣"はかけらも残さず消失していた。

 息を吐く間もなく、旋風がやってきた。
 歯を食いしばって守護を展開する。風への反抗は、わずかな拮抗を見た後に真円ごと弾かれた。
 飛ばされて床に叩きつけられる。背骨と肺に痛みがあったが、早々に手をついて起き上がる。
 間延びした拍手が、場に似合わない音を出して響いた。
「お嬢ちゃん、上出来だ。さすがは私を追ってきただけあるねぇ。まさか、冬を前に浄化を身につけているとは……。思いもよらなかったよ」
 かつ、かつと靴を慣らして近づいてくる。
 服の下で全身に鳥肌が立っていた。気力がゆるまないことが奇跡とも思えた。
「めずらしい。実にめずらしい。愛らしい命に獣をけしかけたのが悪かったねぇ。ちゃあんと私の手で飾ってあげるべきだった」
 金の獣は、言い終えるが早いか、自分の周囲に三つの真円を描いた。
 それぞれの真円から、おぞましい気配と旋風の臭気がただよっている。
「心配しなくていい。顔はきれいに残すから。恐怖の白粉をして、苦痛の紅を引いてごらん。氷に漬けて残してあげよう」
 真円が旋風を形作ったその瞬間、頭上に真円が描かれた。
 頭上の真円から勢いをつけて落下してきた真力が、膨らみながら金の獣へと走っていく。

 目の前で、凍える真力が爆発する。

 爆発の向こうで、ラーフハックの声がした。
 声と爆音が反響している中、身体が強い力に浚われる。
 途端、頭が混乱に巻かれた。触れた気配と、身体に受けた感触が合致しなかったのだ。
 追撃が出た。
 "淪落の魔導士"が爆発の奥めがけて、強烈な炎豪を叩きつけている。
 膨れ上がった熱がこちらまでやってくる。しかし、自分には届かなかった。編まれた旋風が、熱を遮断したのだ。
 精霊達が騒がしくおしゃべりをしている。祭りの予感が、彼等を激しく躍らせていた。
「まったく風情がない。君には、ほとほと困ったものだ……"鼠狩り"」
 横抱きにされた状態で、顔を見上げる。
 好戦的な色を強く出して、瞳が輝きに塗れていた。

「"鼠狩り"……? 人違いだな」

 ラーフハックの顔が、剣呑に歪んだ。
「風情だと。貴様が言うな。色使いから衣服の選択から、どこもかしこも品がない。こんな酷い有様を見たのは初めてだ」
 気分が悪いと吐き捨てたローグは、その端正な顔に挑発的な色を塗った。
 横抱きにされていた身体が、ゆっくりと下ろされる。
 背にかばわれることはなかった。だから、足に力を入れて相棒の隣に並び立つ。
「何者だろうねぇ……。導士の分際で、たいそう残念な育ち方をしている」
 歪んだ嗤いが、ラーフハックの真力を高めていく。
 大気を吸って、腹部にも力を込めた。折れるわけにはいかない。翼が飛ぼうとしている。自分が折れたら彼が飛べなくなってしまう。
 熱い海の真力が解放された。動きに合わせて、自分の真力も大気に流す。
「答える礼儀も持ち合わせていない、か……。無粋な輩が育てるから、無粋な雛が育つ。嘆かわしいことだ。育て直すより、生まれ直した方が早いだろう」
 耳鳴りがきた。
 ラーフハックの攻撃よりも先に、彼の名を呼ぶ。通じた気持ちは強い風となり、再び炎豪を弾いた。
 二重の真円が生んだ炎の消失を"淪落の魔導士"が見届ける。
 その顔から嗤いが消えた。
「……この真力はいつぞやに触れたねぇ」
 金の瞳が、自分の目を射抜きにきた。
「お嬢ちゃんの翼は、こちらの男だったのかい。高い真力だ。……実に邪魔だ」
 守護を編む。
 怖気が全身に這い回っていた。

 ラーフハックが水晶の床に真円を描く。
 大きな円から、またも炎豪の気配がしている。
「多重真円を描けぬというのに、二重の真円を打ち消すとは……。まず褒めてあげようか」
 粘りつくような言葉が、こめかみに痛みを生み落とす。
「でもねぇ、そこが限界だろう。長引かせて面倒な男が帰ってくると厄介だ。見回り部隊もいるのなら、早々に撤収させてもらおう。大事な場面を見逃すことになったとしても、自由には代えがたい」
 演目変えのお詫びだ。
 そう言って、真円に真円を重ねる。
「正師に代わって最後の講義をしてあげよう。二重真円は高士になれば誰でも描ける。けれども……」
 さらに円が重なる。
 三重、四重と束ねられた炎豪が、距離を越えて強い臭気を出している。
「並みの高士なら三重。重ねられて四重。滅多にいないんだよ、四重真円を描ける者は」
 せめてもの情けだ。
 ぎらつく金の瞳に、純粋な感情が視える。
 真円が光を出して、透き通るほどの殺意が解き放たれた。
「さあ、消し屑となれ!」
 向かってきた特大の炎を、ローグの旋風が迎え撃つ。
 低い呻き声が聞こえる。旋風が抑え切れなかった炎豪を、全力で弾いて翼を守る。
「いい子だねぇ。育てばいい真導士となったろうに。未来ある雛の断末魔は、さぞ心地いいものだろう!」
 じりじりと押されて下がってくる風。
 いたぶり、愉しんでいる気配が、じわりじわりと力を加えていく。
 このままではと考えた時、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 風を生んでいた真円に、真円が重ねられる。

 ラーフハックの驚倒が漏れ聞こえた。
 間近で猛々しい咆哮が上がる。精霊が舞い踊って、歌声を響かせる。
 炎豪の先に立つ"淪落の魔導士"の足が、水晶の床をずるりと滑った。ぎりぎりと炎豪を押し返している風。
 ローグが右足を前に出す。
 多量の真力を放出している身体は、白の輝きにまみれている。
 その逞しい背中を見て、中央棟に掛けられていた肖像画を思い出した。
 決して振り返らない背中。バティが見ていただろう景色が、眼前に広がっている。
 頭に声が返ってきた。

『与えよう』

 成すべきことは、すでに刻まれていた。
 本能に従い、守護を弾く。
 炎の熱さに身をさらし、信じるままに手を伸ばした。

『そして、見届けさせてもらおう』

 真力を出す。
 距離は遠くない。馴染んだ真力を追いかけて、海の熱さに浸る。
 風の押し返しを受けて、ラーフハックの真力が大きく膨れた。おぞましい気配が動き、炎の円にまた真円が重ねられる。

「……サキ」

 声なき声にどうするつもりだと聞かれたから、一言だけ返した。
 一緒に、と。
 そして声を張り上げる。どこまでも響けと全身を震わせて、音と真力を放射した。

「いきます――!!」

 刻まれた術を真眼が導く。
 周囲に舞っていた燠火に懐く精霊も、天水に懐く精霊も。一緒に混ざって踊り狂う。
 風を生んでいた二重の真円の上。ぴたりと重ねて円を描いた。
 与えられた力に、願いを混ぜて展開する。

 言霊を出したのは同時。

 竜巻となった風が、炎豪ごと"淪落の魔導士"を吹き飛ばす。
 広間から炎が消失するまで展開を支え、二人同時に腕を下ろした。
 勝敗は決した。
 水晶の床に、ずるずるとへたり込む。
 もう限界だと言って、ローグも床にべたりと落ちた。荒い呼吸を続けている内に、じわじわと実感が湧いてくる。

『確かに、見届けた』

 頭に入ってきた声を聞き終えて、二人で一緒に床へ倒れる。
 床の冷たさが火照った身体にちょうどよく。しばらく一緒に寝転んでいた。

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