蒼天のかけら 第十一章 神籬の遺跡
花束に籠めて
目を覚ました時、まず視界に入ったのはランプだった。
天井に吊るされているランプは、強く明るく燃えている。部屋に海の熱が充満していた。家に戻ってきて、ずいぶんと経っているようだ。
寝た格好のまま、右手の甲を眼前に持ってきた。
肌の上には何もない。任務の遂行を見届け、神鳥は里に帰ってしまったようだ。
意識を断ち切られてしまったせいで、時の流れが曖昧になっている。
いまは夜のいつ頃だろうか。
居間にある砂時計を見ようと、寝床から這い出た。
一応の身だしなみを整えるべく、まずは鏡の前に座る。添え髪は無事だけれど前髪が大変なことになっている。
寝癖となっていないか手で散らして、櫛を入れた。
髪を梳いている時、首もとの赤さに気づく。あれ、と思って鏡に近づいてよくよく見る。
虫刺されだ。
左の首筋が赤く腫れている。痒さを持たない虫の攻撃は、見つけるまでわからなかった。夏も過ぎたのにと思いつつ癒しをかけて消す。今夜は蚊遣火を焚いて寝ようか。
真術の気配を感じ取ったのだろう。
居間にあった気配が動いて、自室へ近づいてきている。本当にうらやましい。彼の真力は減っていてもこんなに大きい。
一回だけ叩く音があって、入っていいかと聞かれた。
どうぞと招いたら、黒髪の相棒が姿を見せる。
あれあれ、と思う。
くつろいだ表情をした相棒の腕に、布地が掛けられていた。布地の模様が故郷でよく見かけた代物だったから、なおのこと疑問が深くなる。
「サキ、顔を洗っておいで」
ついでにローブも脱ぐよう言われて、小首を傾げた。
念のため指揮勘に指示を仰いでみる。返答を受けて、そろそろと席を立つ。
とりあえず悪巧みではなさそうである。
顔を洗って、ローブを掛けてまた部屋に戻る。
戻ったら黒髪の相棒が、鏡台の上にあれこれと小物を置いていた。
「あの……」
聞くよりも早く、座るよう言われた。ううんと悩み、どうしましたかと聞いてみる。
やっぱりというか、ローグは無言のまま微笑みを浮かべた。
……一体、何なのだろう。
疑問でぐるぐるになりながら、椅子に座る。
「髪はいじれないからな」
そう言って織物を被せてくる。帽子を隠すように巻き、うなじのところで結わえてから位置を調整している。
「ローグ、この織物は……」
「オーベンさんから預かった。クレタさんがサキのために織っていたらしい」
不意打ちできた台詞。
位置の調整をし終わった彼と、鏡越しで目が合った。
肩に手が乗せられる。鏡の向こうにいる黒の瞳から、ぬくもりが香っていた。
「伝言だ。"成人おめでとう。女神様のご加護の下、つつがなく行けますよう"」
鼻の奥がつんとする。
それを、笑う彼が咎めた。
「泣くな、せっかくの晴舞台だ。今夜だけは笑っていてくれ」
こくりと頷く。
ささやかな意地を確認したローグは、鏡台の上にあった小さな壺を取り、小指で中の色を掬った。
「……ほら、上を向いて。眠っていたから合わせてやれなかったけど。俺の見立てでは、これでいいはずだから」
上向きになった唇に、色が乗せられる。
大急ぎで買ってきたんだと言う彼は、どこか誇らしげだった。目を閉じて、少年のような言葉を身体に染み渡らせる。
出来たと言われて、瞼を上げた。
鏡の向こうに紅をつけた娘がいる。
あの日、火事の中で置き去りにしてしまった自分と、やっと会えた。
「――さあ、行こうか」
彼に連れられて向かった先は、食堂だった。
向かっている間中、鼻が痛くて、目が熱くて堪らなかった。階段と廊下に飾り付けがされていたのだ。
階段の手すりに付けられた飾りをじっくり見てみたら、それは自分が作ったものだった。
拭っても拭いきれなかった煤が、わずかに付着している飾り。村長が取っておいてくれたのだろう。いつか会えたらと、大切に保管してくれていたに違いない。
辿りついた食堂は、扉が見えなくなるくらい花にまみれていた。
花の中で、肩身狭そうに頭を覗かせている取っ手がある。「いいか」と聞かれて「はい」と答えた。
彼が取っ手を握り、大きく扉を開いた瞬間、世界が花に埋もれてしまった。
たくさんの色が舞っている。
花びらの雨が、自分達を埋めてしまおうとしているようだった。
食堂中に声が響く。
待ち構えていた友人達が、口々におめでとうと言っている。
堪らず気配を出した。「どうしても泣いては駄目ですか」と聞いたら「駄目」と短く返ってくる。
何と難しい任務だろう。
けれど任務遂行を目指してがんばってみよう。笑顔だらけの場で、泣き顔が一つあったら浮いてしまう。
ユーリとティピアから花束を渡された。赤と藍のマーディエルを両手に持ち、奥で待っている人達の前に進む。
「村長……」
村長は泣き笑いの顔で「うん、うん」と頷いている。
花束から藍のマーディエルを一本抜いて、村長の上着にある胸ポケットに差す。
ちょっとだけ考えて、赤のマーディエルを旦那さんの胸に差した。
これに旦那さんが「まいったねえ」と言う。
でも、しょうがない。母親役がいなければ、場が締まらないのだ。
「……いままで、育ててくださってありがとうございます」
滑り出したお礼の言葉。
口上は決まっていて、この日を迎えるために何度も練習した。伝えるのがずいぶんと遅くなってしまったと、胸がうずきを出す。
「これより先、自身の足で『静白の門』をくぐり、宿命の道を歩いて行きます。……大丈夫です、わたしはもう一人ではありません。どうか心配しないで、二人共長生きしてくださいね」
言い切った時、わっと歓声が上がった。
色が舞い散る中、旦那さんが泣き崩れ、村長にぎゅっと抱き締められた。
「こんなに大きくなって……」
言われた自分は、村長の身体を小さいと感じる。
昔はずっとずっと大きく感じていたのに、いつの間にかほとんど同じ大きさとなってしまっていた。
「女神様への感謝を忘れず、いつまでも元気で。……幸せにな」
はいと答えた。
そこが限界だった。
ついに落とした涙を、飽くことなく撒かれている花びらが隠す。隠してくれているといいと願って、抱きつき続けた。
花びらが降り終わり、宴がはじまる。
飾り付けは友人達がやったのだと言う。村長と旦那さんだけでやろうとしていたのを幼馴染の番が発見し、全員を招集して今夜に間に合わせてくれたらしい。
真相を聞いて、一人一人にお礼を伝え、そのたびにおめでとうを贈り返される。
胸に新たな彩りを仕舞っていたら、扉の方にいたヤクスに招かれた。
おいで、おいでとやっている友人の向こうに、二人の娘が立っている。
マリアンとライラだ。ベロマでの実習で一緒になった娘の番が、ヤクスと一緒に手招きしている。
「どうしましたか?」
彼女達とは立ち話をする関係となっていた。
入ってもらおうかと考えていたら、目の前に花束が差し出された。
「これは……」
大きな大きな花束だった。
しかし、一つの花束としてみるとおかしな風になっている。
どうにもこうにも不揃いなのだ。たぶん、お祝いとして持ってきてくれたのだろうけども……。
「お二人が?」
別々に買ってきたのだろうかと思った。そう聞いたら二人して違うと首を振る。
「わたし達のもあるけど。他の人の分も混ぜたの」
皆してばらばらに買ってきたからと、ライラがくすくす笑っている。
「でも、いまさら過ぎて気まずいみたいで、階段でそわそわしてて……。見ていて面倒になっちゃったから一緒に持ってきたわ。名前は聞かなかったからサキが確認してね。里に帰ったら、ちゃんと謝りに行くよう言ってあるの」
娘にしては背が高めのマリアンが、ふふんと腰に手をあてた。
「では、この花束は……」
「皆からのお祝いよ」
唖然とした。
急転直下とはこのことだと、心が叫ぶ。
「よかったねー、サキちゃん。文句は今度会った時に言えばいいから、今夜のところは受け取っておきなよ」
訳知り顔のヤクスが促し。二人の手にあった花束が、赤と藍の束に足される。
大きな花束は、自分の腕を覆って視界のほとんどを埋めた。
世界はどこまで色鮮やかなのか。あと、どれだけの色を隠し持っているのか。
サガノトスだけでもまだ拾えていない色があったのに。ポケットは二つで足りるだろうか。
花束に隠された悔いは、渡るべき心の園で大輪の花をつけた。
秋の夜は、騒がしさの中――ただただ更けていく。