蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


明け方の訪問者


 回廊から足音が聞こえてきた。
 訪問者が帰っていく。
 時が近づくにつれ、拠点への訪問者が増えてきているのは知っていた。
 しかしながら、最奥まで招いたのは此度の訪問者だけ。どのような者がやってくるのかと待ち構えていたら、ジーノが席を外すよう言ってきた。
 またかと思い。俄然、相手への興味が深くなる。
 このために部屋の灯りは落としておいた。回廊の灯りが部屋に入り、壁を白く照らしている。
 足音が扉の前を通過した。
 松明が訪問者の形を黒くあぶりだす。
 思わず目を見張った。フードを被り男女の区別すらつかない人影に、見間違えることができぬ特徴が出ていた。

 導士だ。

 雛にまで内通者がいたのか。
 導士の間で"共鳴"や術具による荒廃があるとは聞いていた。フィオラが仕込んだ種だとも考えられよう。
 だが、おかしい。
 もし使い捨ての駒なれば、首領の訪問がある最奥に招くだろうか。
 疑惑の足音が遠のいていく。
 十分な距離をとったところで最奥の部屋を目指す。部屋にはジーノだけがいた。首領の席には変わらず幕がかけられている。
「やあ、どうしたんだ」
 席を勧めてくる男の手に、見覚えのない代物があった。
 ぞくりと背中が冷える。
 視界にあるだけで訴えかけてくるものがあった。膨大な力を秘めた杖には拳大の水晶が嵌っている。模様が渦巻き、光すらこぼしているというのに、それそのものは古い血の色をしていた。
「その杖は」
 ジーノはどす黒い気配をまとっている杖を、棒切れのように振りかざして言った。
「素晴らしい力だろう。"憑拠ひょうきょの杖"という」
「"憑拠の杖"……」
 勧められた席に座り、気配を治めつつ復唱する。魔獣と相対している気分だ。目を逸らしてはならぬと本能が警鐘を鳴らしている。
「我々に与えられた福音。首領より預かっている大事な品だ」
 手に入れるのに苦労したと笑う男からは、何の感情も拾えなかった。
 この男は感情が薄い。
 相棒を失った真導士とはとても思えぬ。ゆえに近頃はもしかしたらとも考える。
 あの雛上がりはすっかり心酔している様子なれど、己はそこまで信を置いていない。可能性は……まだ握っておいた方がいい。
「とてつもない力を感じる」
「そうだろう。これは失われた文明の遺産。いまの時代に、この真術を再現できる真導士は皆無だ。慧師の力をも凌ぐ……。里の連中が血眼になって探している一品さ」
 "憑拠の杖"に対抗できるのは、フィオラが取りこぼした"神具"だけ。
「……奪取したいが難しいだろうね」
「当然だ。もはや慧師の手に渡っている」
「いいや、それはない」
「何?」
 杖を天にかざしたジーノは、言葉とは裏腹に笑みを浮かべたまま。
「術具と"神具"は違う。"神具"は遺跡が与えた者の手に残る。魂に紐づいてしまうから相手が慧師だとしても譲渡は不可能。剥ぎ取るとしたら所有者の魂ごと……。身体と魂を分離させれば剥ぎ取れるが、その場合は"神具"の力自体が封印される」
 つまり、フィオラに下した命令は"神具"の奪取ではなく、所有者の抹殺だったということか。
「では、なおのことフィオラだけでは無理な話だった。所有しているとすれば大隊長、もしくは"鼠狩り"。真っ向から挑んで勝ち目があるとは思えぬな」
「わかっていたよ。それでも狙わなければならなかった。我らの目的のため"神具"の排除は必要だったのだ。……首領はお怒りだ。いまは挽回の機会を模索している最中さ」
 人形めいた男は、頭痛がすると言わんばかりの態度でこめかみに指を置いた。
「挽回の奥の手が先ほどの雛なのか?」
 男の目の色が、明確に変化した。
「――部屋にいてくれと伝えたはず」
 気配の圧がきた。
 触れた感情は怒り。男が見せた初めての姿だ。
「指示に歯向いてはおらぬ」
 余程の秘密があの雛にあるのだろう。ただの内通者ではないようだ。

「……君は油断できないね」
 部屋の松明が高く燃えた。
 真力にあぶられた炎が、部屋を明々と照らす。
「もっと早く君に加入してもらえていたなら、俺の苦労は半分で済んでいた」
「そいつはどうも」
 ついに腹の探り合いまで辿りついたようだ。長い道のりだったと言えよう。
「君の世代は優秀な者が多いと聞く。特に……グレッグと言ったか。異例の大出世を遂げたようだね。あの年で第一部隊の副隊長だ」
 放り込みに対応しきれず、気配に歪みが出てしまった。
「詳しいな」
「もちろん。里の幹部入りした者の情報は、できる限り収集している。力量は君と拮抗していた。むしろ真導士としての評価は君の方が高かった」
 もったいぶった相手は己の隙を探している。
 腹の探り合いなら大歓迎だ。肉を捨てたとしても骨は断ち切ってみせよう。
「何故だと思う?」
「気性の問題だろう」
 正師連に強い指導を受けたことがあった。
 独善的な気性を改善せねばいつか落とし穴となる。その忠告は正しかったとも言える。

「いいや、違うね」
 目を細め、相手の瞳の奥を凝視した。狙いがどこにあるかまだ判然としていない。
「こんな話を知っているか。大隊長もまた片翼だと」
「ほう……初耳だ」
「初耳でもおかしくはないさ。何しろ昔のことだ。もう何年も前の……グレッグが見回り部隊に加入した時に終わった話」
 わずかに身を乗り出し、話の続きを促した。
「大隊長の相棒は長いこと行方不明。いまも不明者のまま名前だけ名簿に残されている。里の規則として、相棒が死亡した場合は番の組み直しが強制される。ところが行方不明の場合は存在するとみなされ、組み直しは任意となる」
 ジーノの胸元で輝尚石が光る。一拍おいてグラスが出てきた。
 いまだ警戒は根強い。酒を断ればそこで破談。裏切り者として抹殺される。経口摂取の可能性を疑うより飲み込んだ方が得策。決意のもと、酒を一気にあおった。
「彼が副隊長となったから番を組んだのではない。番となったから副隊長に引き上げた」
「大隊長がわざわざ雛上がりを番に指名したと」
「物分りがいいね。その通りだ」
 空いたグラスに酒が追加される。
「何ゆえそのような酔狂を……」
 男が笑う。
 嘲るのような笑いからは、一片の情すらも窺えない。
「消えた相棒の弟だったからさ」
 グラスの中で、血のような赤がさざめいた。
「サガノトスの人事はおままごとなんだ。慧師とその同期による戯れの国。フィオラから聞かなかったか」
 不遇だったなと同情するように言ったジーノが、手の動きだけで酒を勧めてきた。
「……それで。出世した同期に醜く嫉妬し、憎き番を潰してこいと言いたいのか?」
「そうだね。もし望むのなら、かの番を打ち落とす役に就いてもらうのもいい」
「望まぬなら」
「そう来ると思ったよ。……君に是非ともやってもらいたい役がある」
 語られたのは本来ならフィオラが負っていただろう役目。不安定な立場を払拭し、足場を固める内容だった。
 即座に快諾し、ジーノのグラスに酒を注ぐ。
 満足そうにあおった男は「期待している」と付け加えた後、めずらしく会話に応じてきた。

 談笑に交え。二、三の確認を終えてから与えられた部屋へと戻る。
 椅子に腰掛けて深く息を吐いた。



(――この、大嘘つきめ!!)
 誰が貴様の罠に嵌るかと内心で罵倒し、両手で口元を覆った。
 冷静でいようとの努力は虚しくも崩壊する。こみ上げてきた笑いを抑えることが難しい。歓喜は怒気よりも度し難い。
 狙いは見えた。
 おぼろげながら男の正体も見えてきた。
 愚か者共が、いつまでも謀れると思ったか。あの二人の関係は以前からおかしいと思っていたのだ。男が座して動かぬことも。女に下問が効かないことも。首領の――"鼠狩り"より、五つ目の真導士よりも膨大なあの真力も。
 これで全部合点がいった。
 そして己をいまだに小者と見くびっているのも確認できた。グレッグの話を出したのが確固たる証拠。

 馬鹿め。

 そのようなこと、とうの昔に知っている。部隊内では周知の事実。当人達が「贔屓である」と明言し、喧伝しているとは知らなかったのだろう。見回り部隊に内通者を飼えなかったことが、男にとって運のつき。
 指摘されるまでもなく、恵まれた同期に対して黒い感情を抱いていた。それは揺るがぬ事実。だからといって、振り回され続けるのは滑稽というもの。
 負の感情を踏み台としさらに上を目指す。かつてその途中地点に、第一部隊が存在していただけ。いまとなっては取るに足らぬ問題。
 順調だ。
 いま以上の流れ、そうはこない。

(後は……待つだけ)

 流れに乗り、時が満ちるのを待つばかり。
 それだけですべてが手に入る。



 サガノトスは、このドミニクが頂いた。

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