蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


噂の彼女


「すまないね、朝早くから」
 イクサの挨拶に「かまわないよー」と手を振った。
「急に冷えたから心配になってさ」
 ディアちゃんの食欲は改善してきている。といっても回復しきってはいない。
 食が細くなれば肉が落ちる。肉が落ちれば体力と抵抗力も落ちる。いま風邪を飼い込んだら大変だ。
 念のためにと薬草を煎じて持ってきた。
 患者さんはまだ眠っているようなので、診察は午後に回させてもらう。薬だけ渡してそそくさ帰ろうとしたら、さすがにイクサから引き止めを受けた。茶を淹れてくれるらしい。とりあえず一杯だけごちそうになろうか。

「食事量はどう?」
「ずいぶん食べられるようになった。昨夜も普段の八割くらいは食べていた。……本当にありがとう」
 助かったと出てきた柔らかな笑顔。
 そいつはよかったと返し、内心でしまったなと考える。
 明日から本番。
 何とかするなら今日中なのに一からやり直しだ。まいったねと頭をかいて、イクサのたどたどしい手つきを眺める。完璧そうに見えて家事は苦手なんだろう。茶を淹れている姿は、見ているだけで緊張する。
 ここの番は連日の訪問の甲斐もなく、いまだ殻にこもったまま。荒れが払拭された同期達とは正反対の位置に、ずっと留まり続けている。
 ギャスパル達を除けば、残る問題はこの二人だけ。
 もう気になって気になって堪らない。勘がここまで騒ぐなら、きっと意味があるはずなんだけど……。
 どうぞと差し出された茶を、悶々としながらすする。

 ……うーん、味が薄い。

 昨日は濃かった。さてはこいつ、まだ茶葉の量がわかっていないな。
「明日の座学は中止だと言っていたか」
「そうらしいねー。雪も降りそうだから、引きこもる準備をしておけよ」
 何しろ明日は一日外に出れない。
 まだ口外しちゃ駄目なんだけど、これくらいなら許されるだろう。
「雪か……。ディアが寒がっている。茶を飲ませれば大丈夫かい」
 茶葉の量が正しいならとの苦言を飲み込み、代わりに医者としての模範解答を口にした。
「ミルクの方がいい。飲みやすいようぬるくしてやって、できれば蜂蜜を」
 一に栄養、二に栄養。
 ディアちゃんの食欲不振は精神的なものが原因。腹が減ると、人は物事を悪い方に悪い方にとらえてしまう。なるべく満腹な状態で過ごさせてやりたい。そこまでいけば、あとは時間が解決してくれる。
 同期連中の雰囲気は一気によくなっている。
 鍍金の重さは辛い。剥がす時はもっと辛い。でも、経験者だらけだから受け入れる土壌はできている。
 彼女が一歩踏み出せば、解決までは一直線。
 外に出るのは自分の力。もどかしいんだけど指をくわえて見守るしかない。

 薄い茶を半分ほど飲んだ時、遠慮がちに扉が叩かれた。
 来客のようだ。二人の家に来客とは珍しい。
 イクサは当然のように音の出所へと向かい、警戒することもなく扉を開く。
「やあ、おはよう」
 首をながーくして来訪者の姿を覗く。
 やってきたのは一人の娘。"三の鐘の部"のお嬢さんだ。
 名前も知っている。ある意味有名なお嬢さんだった。真導士となる前は、修道女を目指して神学校に通っていたとか。
 慈悲あふれる微笑みはパルシュナの如く。いついかなる時も、世のため人のために尽くすと評判。嫁にするなら彼女だと狙っている男も多い。
 何故こんなに詳しいかというと、狙っている男の一人がフォルだからだ。
 無理だと言っていたけど機会はちゃっかり窺っている。案外、諦めが悪い。だから話したことないにも関わらず、とっても詳しくなってしまった。
 確か名前はリナちゃん。
 女神の微笑みというのは事実だった。素晴らしい笑顔でイクサに挨拶をする。オレの存在にも気づいたようで、また丁寧に挨拶をしてくれる。その心根も前評判どおりのようだ。

「今日もきてくれたのかい。いつもすまない」
「お気になさらず。ディアさんはお元気になられましたか?」
「少しずつね」
 イクサの言葉に「ああ、よかった」と返ってきた。
 修道女見習いだったとの話もどうやら本当らしい。神殿にいるお姉さん達と喜び方が一緒だし、添え髪どころか前髪と首元までベールで覆い隠している。
「実は昨日、お菓子を作りましたの。ディアさんにお渡しください。よろしければお二人でご一緒に」
 小振りな籠をイクサに預け、それからとポケットに手を入れた。差し出されたのは袋。手縫いなのか、愛らしくも華やかな刺繍がされている。
 なるほど男達が騒ぐわけだ。
 どこの地域でも嫁取りは難問。難問だけど一生の伴侶だから妥協なんかしたくない。できるなら素敵なお嫁さんが欲しいと誰もが思ってる。
 料理ができて裁縫ができて。気遣いも細やかで男ずれしていない。まさに理想のお手本のようなお嬢さんだ。
 ほんと素晴らしい。
 素晴らしいけどオレはもっとお姉さんがいい。落ち込んでいる時に叱咤激励してくれるような。……ただ願わくば、うちのお嬢様よりやさしくあって欲しい。
 お見舞いの品を渡してリナちゃんは帰っていった。
 恩着せがましくもなく、長居して煩わせることもなく。立つ鳥跡を濁さずってやつだ。あとでフォルに教えてやろう。大騒ぎするだろうけど、暗い一日を過ごすよりいいからね。

「仲がいいのか」
 聞いたらイクサが目を細めて笑う。
「どういったらいいか。仲良くしようとしてくれている……かな?」
 食卓にもらったばかりの見舞いの品を並べながら、声量を落とした。
「色々あったけど水に流しましょうと言っていた」
 誰が誰に術具を送ったとか、批判を口にしたという過去は忘れて。皆で反省して皆で前に進みましょう――。
「サキにね。一緒に謝りに行こうと誘ってくれたんだよ」
「へ……? あのお嬢さんもサキちゃんに何か言ってたのか」
「違う、違う。彼女は何もしていない。悪く言っていた人達を影ながら諌めていたと聞いた。……一人で謝罪に行くのが辛いなら、一緒についていくと言ってくれただけさ」
 あらま。
 そいつはえらく献身的だこと。
「うーん。それでディアちゃんは?」
 聞いたら力なく首を振った。
「時間が……必要みたいだ」
 ささくれ立っていたお嬢さんは、道を間違えてしまった。女神の恩恵が絶えて、ようやくそれに気がついた。しかし道を戻る勇気がどうしても持てないようで、立ち往生している。
「サキは許してくれると思う。……ディアもきっとわかっている」
 そういえば昔、親父が言っていたな。
 人との対話は自分との対話でもある。彼女が心底怖がっているのはサキちゃんではなさそうだ。
「まあねー……。サキちゃんなら"今回は大目に見てあげます"くらいで済みそうだけど」
 ふいって横向いて口を尖らす姿が浮かんだ。
 わんわん泣くとか、引っぱたくとかは絶対しないだろう。サキちゃんの心が広くてよかった。これがレニーだったら「まずは跪きなさい、無礼者」って言うんだろうな。
 その後は……おお、考えただけでおっかない。
「サキは、意外と気が強い」
 苦笑交じりの発言は、ローグの耳に入れちゃ駄目なやつだ。家から出たらさっそく記憶を抹消しよう。
「ありゃ、気づいちゃった?」
「もっと大人しい娘さんだと思っていた」
「前はそうだったけど、相棒の影響が強かったみたいだよ」
 二人で笑い合う。
 ひとしきり笑って、薄い茶を飲んでいると刺繍の袋を差し出された。
「悪いけど、真円を描いてくれないか」
 笑顔の鉄仮面をまじまじと見る。
「彼女を疑ってるのか?」
 この質問にも首を振った。意味はつかみ損ねてしまった。
「安心したいだけだ。頼むよ」
 渡された袋に入っていたのは、とんぼ玉の腕輪。

 何だか嫌な予感がした。
 真術がかかっているかは不明。サキちゃんのような芸当は逆立ちしてもできない。でも、嫌な感じがある。"風渡りの日"の前日にとんぼ玉。こんな時に――と思っちゃいけないだろうか。

「ヤクス、どうした」
 どうしよう。
 悩んだら疑われる。問題がある品だと誤解させてしまう。
 彼女は架け橋だ。二人と周囲を繋ぐ大事な存在だ。
 彼女の上に疑惑を作っちゃまずい。それだけはわかっている。咄嗟に思いついたのは小さな友人のこと。いまは、これでいくしかない。
「一旦、預かってもいいか」
 イクサの表情が一瞬で硬くなる。
「……何故?」
 問い詰めをかわして、ほらここと指差した。
「乾燥してる。とんぼ玉は乾燥に弱いってティピアちゃんが言っていた。彼女は手先が器用でさ、いまは装飾具の手入れにはまってるんだ」
 修行の隙を見つけては、何かしら手仕事をしている。
「油を塗るといいらしい。頼めばやってくれるから、預かっていってもいいか」
 一息に言い切って、鉄仮面の奥を覗く。
 頼む、いまは騙されてくれ。女神様、どうかご加護を――。
「迷惑じゃないだろうか」
「大丈夫、大丈夫。少しずつ縁を広げていくのもいいんじゃないか? 機会は多いほうがいいさ」
 言えば、考え込むように黙った。
「では、お願いできるかい」

 ここにきて女神がついに振り向いてくださった。
 今度、お嬢さん方と一緒に返しにくると約束し。彩りも鮮やかなとんぼ玉を、そっとポケットに仕舞った。

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