蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


開かずの部屋


「よおし、任務完了っと!」
 扉が閉まるか閉まらないかという時に、馬鹿でかい大声を出した。
 また、わざとらしいことをする。
 同じようなことを考えたのだろう。真眼が真力の尖りに触れる。見やればティートーンの隣で世話係がしぶい顔をしていた。
「……もうこのようなぎりぎりの橋を渡るのは、御免ですからね」
「気にするな、グレッグ。結果が出りゃあいいんだ」
 罪状告知により女の方針が変わるかどうか。変化の有無さえ確認できれば、あとはどうでもいいと意にも返さなかった。
「それで、どうご覧になりましたか」
 正師が耳栓を外し、同期に問うた。
 位の上下が逆転しているのは常のこと。こいつの下に一度でもいた奴は、皆が皆して妙な癖がつく。

「慧師の読みどおり、だ。方針はそのままにと伝えておいてくれ」

 勝算が低過ぎる。
 過日の大捕物の際にティートーンが断言した。
 女一人で襲撃するのは不自然だ。第一部隊が本陣にいると知っていただろう。わざと知らしめるよう隊員を配置していた。
 一人でどうにかできようはずがない。目的は別のところにある。

「続きは明後日以降だ。お前達もあの女のことは一時忘れていろ」
「そう致しましょう。……では、私はこれにて」
 若い正師は、言うが早いか姿を消す。慧師の間に向かったのだと暗黙の内に理解した。
「グレッグ」
「はい」
「飯の手配をしておいてくれ。やることが追っつかねえからキクリの部屋で食いながら会議だ」
「了解しました。代金は大隊長につけておきます」
 それではと言い置き、世話係も姿を消す。
「あ!? おい、奢るなんて言ってねえぞ! ……ったく。ああいうとこはそっくりだぜ」
 部下の態度を大げさに嘆き、同意を求めてきた。
「さてな」
 面識はあった。
 幾度か会話した覚えもある。されど、人となりを懐かしむほど知った相手ではない。世話係がいるから、このようだったとほのかに思い出すばかり。
 返した言葉に、相手はただ肩をすくめた。
「お前は人付き合いが悪かったもんな」
 言える立場か。
 そう罵ってやろうとも思ったが、気が乗らずに大階段に視線を投げた。
 最後に全員と顔を合わせたのは合同実習。それが今生の別れであった者は二十を越している。
 同期の名は記憶していた。
 しかし記録を見ても、どのような顔だったかは覚えていない。
「いい加減、あいつらに墓を作ってやらねえと」

 サガノトスはじまって以来の大惨事。
 当時の上層が国や民への露見を嫌った結果、無情な判断が下された。同期を含め、死者にからんだ記憶を大幅に改竄したのだ。
 事故死。病死。
 理由はそれらしく宛がわれ、遺族はいまも植えつけられた記憶を信じている。そして当人がいない墓に参り続けている。

「あの男はいつ記憶を開封した」
 親はいないと聞いた。二人して流行り病で亡くしたと。高士となったら、里に弟を呼び寄せるつもりだとも言っていた。
 あれは懲罰房で聞いた話だったか。
「グレッグはそもそも封印していなかった」
 記憶の封印を本人が拒絶したという。
 許されたのは相応の真力を有していたがゆえ。数年後、確実に真導士となる。真導士となればいずれ事件を知るだろうと、そのような判断があったようだ。
「焦ってたんだろうねえ。何せ虎の子の真導士が激減。里への忠義も薄れていた上、士気も低下していた。……仇がいると知ってた方が、里に貢献するとでも思ったんじゃねえか?」
「愚策だ」
「おっしゃるとおり。……さて、ちょいと時間ができた。お前は家に帰って休め」
 脈絡のない話題の転換が訝しいと感じる。
「何ゆえ」
「何ゆえ、じゃねえよ。少しでいいから横になっておけ。今夜からは休みなしだ。飯が届いたら呼びに行かせる。それまではきっちり休憩しろ」
 だらしなく着崩したローブに両手を突っ込み、ティートーンは一人、大階段を上がっていく。
「面倒な話はこっちでやっておく。――いいな、絶対にだぞ」
 奇妙なことを言い出した同期は、二階へと姿を消した。

 ……おかしい。
 真力は満ちている。
 気力も万全に近い。奴は何を言いたかったのか。
 問題なかろうと思えど、会議に参加するのも面倒だ。あえて面倒を被ると言っているなら、まかせておくのがいい。

 騒々しい中央棟から抜け出し、林で転送を描く。
 下り立った家の玄関は枯葉に埋もれていた。扉を開いた時、外気との温度差があると気づく。待ちに待った季節があと半日で訪れる。
 部屋へと移動しかけた足が、気まぐれに止まった。
 何故そうしようとしたかは不明。
 振り返ったのは扉。
 この十年近く一度も開かずにいた。意識して見ないようにしてきた場所。
 進むべき方向を変えた。
 自室とは反対側にある扉へと歩いていく。扉の前まできて逡巡が出た。何をする気か。何を確かめようとしているのかをつかめぬまま、手が動き扉を開けた。
 閉じられた部屋は薄暗かった。
 窓掛けだけとなった部屋に、輝尚石が放置されている。積もった埃のせいでくすんだ光を放つ水晶。十年経っても、いまだ役目をこなし続けている輝尚石に指令を下す。
 弾けるように光った後、籠められていた過去が姿を見せた。

 時を越えて、寸分の狂いもなく部屋が再現される。

 崩れた瓦礫を除け、炎と煙をくぐり戻ったあの日のまま。部屋は主を喪ったことも知らず、いまもその帰りを待っている。
 たった一つ変化したとすれば鏡だけ。
 切り落としてあった添え髪は、そこから取り除いてある。あれだけは残せなかった。そう思った理由も、もはや忘却の彼方だ。
 鏡に細工があったと聞く。
 あいつはここから流されたのだろう。
 右手で触れた銀の板は、氷の如き冷たさだった。堪えがたいものがせり上がり、右手が冷たい板を割り砕こうと動き出す。振り上げた拳は、頂点で失速した。
 無意味だ。
 何も成しはしない行為だ。意味がないというのに何ゆえ動こうとしたか。己の迂闊さに苛立ち、眼前にいる男に怒りをぶつけた。青く光る目を睨めつけ、そして唐突に意義までも失われた。
 失われたと同時、身体に重みが加わる。
 鉛を飲み込んだかのような身体を引きずり、部屋を後にする。格納はせずにおいた。これにもまた意味はない。
 長椅子に腰掛けて顔を覆う。
 乱れた気力が滑稽さを助長している。これでは奴に気遣われるのも当然か。
 二度も同じ季節を味わい続けたせいだ。あいつは自身の未来を知ることもなく、ふざけた約束ばかり積み重ねていった。

 両手を眼下で広げる。
 どちらの手からも忌まわしい輝尚石が消えている。捜索の記憶も薄れかけていた。
 それでも――あいつが待っている気がする。
 "碧落の陣"はそれなりの成果を出した。東の地底深くから反応が返ってきていた。そして、返ってきた気配から生きていないことも感じとれた。
 わかっている。
 あるのは躯だと完全に理解している。だが待っていると思えた。十二年経ってもなお、待たれているとの錯覚がある。
 長椅子に寝転がり、鈍く脈打つ真眼を右手で覆った。
 次回の任務地は数年前から決定していた。
 真力の回復と体力の温存が、最優先であるのは事実。時は刻々と満ちていく。やってくる眠りは浅い。されど夢を視るはずだ。
 無駄な約束がまた交わされる。誰よりも滑稽だった己達を、夢魔が笑うだろう。



 それで構わぬ。
 存分に笑うがいいと唾棄して暗闇に沈む。闇を抜けた先には、白金が舞っている。

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