蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


はじまりの森


 気がついたら森に落ちていた。乱れた心臓が深い呼吸を求める。それに呼応した肺がじっとりとした大気を吸う。
 混乱が長く続かなかったのは、落ちた先が見知った場所だったからだろう。
 湿り気を帯びた土。倒木に生えている苔。
 同じように苔むしている樹木と、白く淡い光。

 ここは――"迷いの森"だ。

 やられた。
 ふつふつと出てきた悔しさで、身体が熱くなっていく。
 サキが。娘達が消えた原因はきっとこいつだ。
 転送が展開されている時、強く力を発していた布を怒りを込めて握り潰した。
 条件は、こいつを着ていることと鐘の音。
 やはり鏡だけではなかった。むしろ鏡はおとりでこいつが本命だろう。
 真導士の里ではこいつを着るのが自然だ。寒暖を制御し、守りを約束している。大気が冷えれば誰に命じられるでもなくこいつを羽織る。
 こいつが――冬のローブが導士誘拐の真犯人だったのだ。
 十二年前の"風渡りの日"は雪も降った。里の誰もが冬のローブに袖を通し、寒さを凌ごうとしたはず。いくら家にこもっていても、本人が着ていれば転送は防げない。家は住人の真力を感知すれば真術を通してしまう。
 手に入れた答えはひどく胸糞悪いものだった。
 里のいたるところに内通者がいると聞き及んではいた。上層達は警戒に警戒を重ねていたが、人手が足りないと嘆いてもいた。それらの事項をしっかり認識していたというのに、どこで警戒を落としていたのだろう。
 真導士ばかりを意識して、倉庫に気を配るのを忘れていた。里から支給されるものは安全だと、いつの間にか思い込んでいたのだ。

 自分のうかつさを恨みに思いつつ行動を急ぐ。
 まずは、右のポケットから黙契を引きずり出して展開した。光にあぶられながら報告すべき内容を頭の中で組み立てる。
 仕組みがわかれば捜索範囲を絞れる。
 とにかくこの事実を伝えよう。
 手早く展開した輝尚石。いつもならすぐに通じていた。しかしいまは焦りのせいで展開の間がじれったく感じる。
 急かすように光を見つめ、しばらくして妙だと気づいた。
「……バト高士、聞こえていますか」
 展開はとうに終わっている。慣れ親しんだ黙契の気配は、いままで触れてきたのと寸分違わず同じもの。
 違いはたった一つ。声が通じない。
 何度呼びかけても無駄だった。展開された黙契はどこかで途切れてしまっているようだ。
 距離があるのだろう。
 時に諦めも肝心だ。黙契での連絡を断念し、次の方策を考える。

 民を惑わすために存在している"迷いの森"。
 聖都やサガノトスとは一定の距離があれど、それでもダールの領地内にある。
 どんよりと曇った空を見上げる。日が暮れかけて、いっそう暗さを増している。かといって迷いはしないはず。何しろ真導士には光輝く第三の目がある。
 帰還を決意し、真眼を見開いた。真力を帯びた木々がいっそう強く煌いたようだった。
 飛ぼう。
 空から里に帰るのがいい。真円を辿って転送を使うという手もあるが、時間がかかり過ぎる。里に近づけば黙契が使える。一刻も早く、里の上層に事実を伝えなければ。
 決意も新たに真力を吐き出す。
 真円を描き、旋風を形作ろうとしてまたもや別の違和感を覚えた。
 おかしい。
 異変を感知した時、はじめは焦りが気力を縛っているのかと思った。急く気持ちを宥め、再び旋風を展開しようとして事実の壁にぶち当たる。

 真術が展開できない。

 変だ。
 黙契は展開できていた。何故、旋風が展開できないのだ。
 気づいたら口が渇ききっていた。
 焦りが焦りを呼んで精神を乱そうとしてくる。
 落ち着けと念じ、少し離れた場所に真円を描く。濃く描いた輝きの内側にたっぷりと真力を注ぐ。
 そこで一度、深呼吸をする。気力を整え、いざと構えて違和感の正体を知った。
 精霊がいないのだ。
 これだけの餌を撒いたというのに、どこからも飛んでこない。
 "迷いの森"は"真穴"の上にある。"真穴"には通常、多数の精霊が棲んでいる。真力は精霊の食事。そして"真穴"は精霊の餌場。
 "迷いの森"ほどの餌場から精霊が消えるとは、とても考えられない。これも一派の仕業か。

(いかん)

 いまは混乱している時間すら惜しい。
 まだ最悪の事態とは言い難い。完全に手を失ったわけではないんだ。だから落ち着こう。
 輝尚石なら使える。
 それは確認できている。大気に精霊がいないだけで、まだやりようがある。輝尚石が使えるのは中に精霊が籠もっているからだ。つまり輝尚石を割れば精霊は確保できる。
 思考を整理して皮袋を覗く。
 数はあれども持っているのは癒しと守護の輝尚石。割ったところで天水寄りの精霊が出てくるのみ。
 これも油断と言えるだろう。
 燠火の真術なら展開した方が早い。持てる荷物には限りがあるから、燠火の輝尚石を外してしまった。
 家に戻れば大量にある旋風と炎豪の輝尚石。
 どんなに溜め込んでも、緊急時に使えなければ無意味だ。
 再度うかつさを恨み。気合を入れ直すべく、両手で頬を挟み込むように叩いた。

 悔やんで止まっている暇はない。
 サキが奴等の手に落ちてしまった。
 娘達ばかり揃って姿を消したのは、彼女達のその細やかさのせい。ボタンだの裾上げだのと気を配ったがため。早々と身にまとったせいで一足先に飛ばされた。鐘の音が合図だというのも絶妙だ。鐘が鳴る頃合に待ち受けていればいい。彼女達はとっくに捕縛されている。
 しかし、まだ策はある。
 伝達はすべての家に回った。散開した友人達は、自分と同じようにローブを着替えただろう。
 転送を受けたのは自分だけではない。
 きっと――きっと他の男達も森に飛ばされてきているはず。
 そうならば逆転の余地がある。娘達がまだ森にいるとは考えづらいが、男達なら近場にいる。
 とにかく他の連中と合流しよう。系統が違う奴なら、確実に燠火の輝尚石を持っている。燠火だとしても、用心深ければ予備用の輝尚石を持っているだろう。
 脱出するにせよ。このまま敵と相対するにせよ。頭数はあった方がいい。

(よし、行くか!)

 前進あるのみだ。
 気力を高めて景色を見渡した。目を凝らしてよくよく眺め、印らしき真円を探す。
 あれすらも消されていたらなお厄介。合流の難易度が高くなる。
 どうか残っていてくれと願いながら目を凝らし、薄闇の向こうにちかりとした輝きを見つけた。
 印だろうか。
 これはありがたいと足を進め、どうも高い位置にあるようだと再認識する。
(人……)
 足の進みを緩くした。友人達の誰かだといいが、奴等の可能性もある。
 もちろん同期の誰かの可能性だってある。そうだとすればギャスパルにばったり……ということも考えられる。
 用心するべきは輝尚石と不意打ち。
 光の主がこちらへと向かってきたのを視認して、一度ぐるりと周囲を探った。足場が悪い場所で囲まれでもしたら不利になる。足を緩めた自分に警戒したのか、あちらの歩みも遅くなる。

 吉と出るか。凶と出るか。

 深く息を吐き出す。肺のすべて吐き出しきったところで、ついに相手がその姿を見せる。
 思わず天を仰ぎたくなった。
 やってきた男は友人達ではなかった。ついでにギャスパル達でもなかった。

「ローグレスト、君だったか」

 相手は自分の名を呼び、相好を崩した。いや、仮面を被って本性を隠し出したと言っていい。「よりによって」と自分の不運を嘆き、女神の気まぐれを心底恨んだ。
 白の輝きが照らし出したのは、暮れた世界にあっても一際目立つ――金の髪だったのだ。

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