蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


刻んだ印


「…………どうしてこうなる」

 地面に座り込み、さすがに頭を抱えた。
 白の洪水に飲まれ辿りついた先には、友人達の気配がなかった。落とされた衝撃を飲み込み、ぐったりと世界を見渡して肩を落とした。与えられた幸運は理由すら明かされぬまま、天に取り上げられてしまったのだ。
 現実の直視が難しい。夢だと言ってもらえたらどんなに楽だろう。
「……久方ぶりだ」
 傍らに唯一残されたのは鉄仮面。いっそこいつも流されてくれればと、負の感情が喚いている。
「"転送の陣"か」
「そうだね。"迷いの森"の真術は、まだ生きていたようだ」
 頭を感情任せにかきむしる。
「冗談じゃない、それこそおかしいだろう。森に敷かれているのは相性を確かめる真術だぞ。どう考えても俺達の相性は、最悪中の最悪だ」
「はっきり言ってくれる。……けど、その点に関しては同意するよ」
 歯切れの悪い返答を受け取ったせいで、むしゃくしゃとしたものが治まらず。一時、抱えていたすべてを投げ出した。
 地面に転がり、天に対して罵声を上げる。

 何もかもが台無しだ。
 わざわざ木に登って確かめた進路も。せっせと刻んだ矢印も真力も。全部が全部、無駄になった。
 合流ができたのも束の間、輝尚石を受け渡すような隙もなかった。あと一歩。もう一歩のとこで希望を潰されたのだ。
 自棄を起こさずにいられない。

 地面の冷たさは、煮詰まりきった頭には何の恩恵ともならず、ただただ身体の熱ばかりを奪っていく。あんまりな女神の采配を恨み、もう見るのもごめんだと両手で視界を覆う。
 真っ暗になった世界で声がしたようだった。起き上がる気も、問いかける気もわかない。
「木に印がある。あれは何だろうか」
 次いで出てきた相変わらずの発言が、自分の激情を限界へと押し上げた。

「――知るか! 俺はお前の召使じゃない。気になるなら自分で見てこい。誰も彼もがお前の言うとおりに動くと思っていたら大間違いだ!!」

 怒鳴ったついでに「これだから"箱入り"は」と、文句を垂れておく。
 そうやって人を使ってばかりいるから、大根と芋の区別もつかないように育つんだ。食べやすく切り分けてもらえるのは赤子、幼子だけの特権。育ちきった男の世話など、誰がするか。
 溜まりに溜まった負の感情を、思いつくまま吐き出した。
 反発してきたら殴り合いでもしてやる。この際だから、いままでの鬱憤をぜんぶ晴らしてやる。
 ぶつぶつと言っていると、暗闇の向こうで気配が動いた。
 億劫そうな気配を出しているからなおのこと腹が立つ。思うがまま喚いている内に、相性が悪いと感じる原因に気がついた。

 例えるなら油で作られた罠。
 こいつの話術に嵌ったら、摩擦を感じることもなく流れに飲まれる。あれよあれよと滑らされて、いつの間にか思惑という壺にはまっている。

(――みんな、仕事はまだ終わっていないようだ。この先の調査をしたいと思うのだが、異論がある者はいるか)

 ベロマの実習でもそう。
 仕事は終わっていないと勝手に決めつけた。
 そんなことはない。違法術具を発見した時点で、仕事は終わっていた。まったく別の、仕事になるかもしれない案件を見つけただけだ。
 あの混乱の最中、調査という目的を制定した後に異論を求める。示された何かを、理由も加えて示し直すには相応の力がいる。
 ああ、そうだ。引っ掛かっていた場所は、もう一つある。
 求められたのは異論。こいつはあえて意見と聞かなかった。
 異論と意見では印象が違う。意見なら出せた奴もいただろう。だが異論と指定されれば出しづらい。ともすれば反論と受け取られかねない。
 「みんな」と語りかけた時には、もうこいつの中で結論が出されていたのだ。
 そこに交渉の入る隙間は皆無。そもそも話し合いをするつもりだって、毛頭なかったろう。
 話し合っているように見せかけて足元に油を垂らし、相手を思惑の流れに乗せる。半端に話してしまうせいで、どこか釈然としないながら自分の意見だったように思わされる。後になってよくよく考えれば、いいように使われただけだったとわかる。
 反りが合わないのも当然。イクサは最初から、誰とも対等であろうとしていなかった。
 相手を操作対象として見ているのだ。
 これで腹立たない方がおかしいだろう。

 しばらくの間、好き放題がなっていたら気分が落ち着いてきた。
 あの説教臭い本はかなり役に立つ。負の感情は外に出してしまうに限るようだ。

 いつまでもいつまでも、こうやっていても仕方ない。また状況整理からやり直そうと思い、むくりと身体を起こした。どこかへ行っていたイクサも地面に座り直している。
 種は割れた。もう引っ掛からんぞと一睨みし、息を深く吸う。
「印を見てきた」
 こちらが口を開くより早く、相手から報告を受けた。
 多少は反省したろうか。
「他にも同じようなことを考えた人がいるんだろう。矢印とは違う。真力も籠もっていなかったけれど、このような印が刻まれていた」
 枯れ枝を手に地面に線を描き出した。
 湿った土の上に印が再現されていく。また手の込んだ……と思った矢先、冷や汗が浮いた。
「これは俺の印だ」
 見間違いを回避するため、他の誰とも被らないようわざと複雑にした印。けれど、おかしいところがある。
「どこだ」
「え?」
「どこにあった!」
 目を丸くしたイクサが一本の樹木を指差した。土を払うのも忘れ、一目散に樹木へと駆け寄って印を探す。
 樹皮には印があった。
 選定の日、同じようにナイフで削り入れた印。
 その形は、いましがたイクサが描いたものとまったく同じ。そしてまったく同じであるという現実が、さらなる疑惑を呼ぶ。
「何で……」
 異変を感じ取ったのだろう。
 自分の後を追いかけてきた相手が、どうしたと問う。
「俺が刻んだ印だ。……『選定の儀』の際に、道に迷わぬよう刻んだもの。誰とも被らんよう複雑にしたが、基本の図柄はこれだ」
 言ってから、手にしていたナイフの柄を見せる。
 じっと柄を見つめていたイクサからも、驚いたような気配がもれてきた。
「工匠の屋号印だ。確かにそこで製作されたと保障するための印。似たような印はないはずだ。このナイフは王都一と言われている名匠が作った代物。似せて印を作る工匠はいない」
「贋作とか」
「贋作ならきっかり同じに作るだろう。似せてどうする。……工匠達は屋号印が被るのを嫌う。ましてや上下反転させただけの印を使う工匠など、絶対にいない」
 森に静けさが落ちる。
 次に言うべき言葉が見当たらなかった。
「逆……」
 イクサのつぶやきは、一直線に答えまでの道を敷いた。
「オレ達は燠火同士。さっきの彼らは?」
「蠱惑同士だ。……系統も同じだが、気質も近い」
 同じ蠱惑とはいえ、二人とクルトは気質が違う。友人達の中でも、ジェダスとチャドはとても似通った部分を持っている。
「真術は残っていたね」
「しかし、効果が違う」
 真導士における相性のよさとは、互いに補い合える関係を指す。
「逆なのか」
 つぶやきが確信を帯びた。
 "迷いの森"は逆転している。相性が悪い相手と一緒になるよう、変化してしまっているのだ。
「奇妙だ。見回り部隊が森を捜索したのは二日前。気づかないとはとても――」

「捜索ってどういうことだい?」

 はっと息を飲む。
 思わず視線が絡んだ。気がつけば隣まで来ていた相手の顔から、笑顔の仮面が落ちている。
 仮面の替わりに乗っているのは……疑心。
「さて、話の続きに戻ろうか」
 長い格闘の末、ついに男の本性がむき出しとなった。
「君の望みは聞いた。要求を飲むのもやぶさかではない。"ローグレストだけに"というならね」
 紫が爛々と光りを放っている。
 浮かべている笑顔の質も変化していた。まるで目の前にある危機を楽しんでいるような、とても挑戦的な笑み。
「どうしてヤクスは装飾具を持っていった。何故、ディアがさらわれた。暗躍しているのは誰だ。学舎の予定が変更されたのも関わりがあるのだろう」
 肌に棘の気配が刺さる。



「――答えろ。明日、サガノトスに何が起ころうとしているんだ」

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