蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


衝突


 ――離れるのはやめてくれるかい。

「お互い、怪我が増えるだけだ」
 落ちた時に背中を打ったのだろう。相手は呻きながら背中をさすっている。
「……ああ、そうしよう」
 自分の被害も深刻だ。
 打ちつけた後頭部をさすり、自業自得な痛みを逃がそうと苦心する。
 仮面が剥がれたおかげで話やすくなったとはいえ、イクサはイクサ。根本的に合わないところがある。
 しかも燠火同士で固まって歩いていると、無意識の内に互いの真力を高ぶらせてしまうようだ。普段なら我慢できるような場面でも喧嘩が勃発する。これではいかんと思い、頭を冷やすため距離を取ったら転送を受けた。
 何をやっても裏目に出る。ろくでもない一日だ。

「今度はローグレストが登る番だ。転送させたのは君だからね」
「わかっている。嫌味ったらしい奴だな。口を無駄に動かすのはやめろ」
「しゃべれと言ったり、しゃべるなと言ったり。首席殿は我侭が過ぎるようだ」
「発言を捻じ曲げるな。誤魔化しながらしゃべるのはやめろと言ったんだ。意味合いがまったく違う」
 仮面が剥がれたと喜んだのも束の間。
 無意味な問答を延々と繰り返すはめになっている。口達者な奴が相手だと、話すだけで体力が削られていく。かと言って黙って聞き逃す気にはなれず、さっきからずっとこの調子だ。
 何故こんなことをと思うのに、真眼の奥が騒がしい。
 つかむべきものがある。何かを本能が訴えている。無視するな、こっちを見ろと言っているが姿を捉えられない。

 こいつは何者だろう?

 不可思議な感覚に集中しようとするたび、イクサが突っかかってくる。
 存外、饒舌な男だったで終わってもいいのだが、どうも違う。
 きっとこいつも似たような感覚を抱いている。その感覚が急かしてくるから黙っていられないのだ。だからといってイクサが答えを握っている風でもない。
 中空にただよう奇妙なそれは自分達を振り回し、どこかに連れて行こうとしている。
 汗ばんできた首元を少しくつろげて、登るのに手ごろな樹木を探す。
 ここにきて樹木の質が変わった。細い若木が多く、登れるほどの太い樹木が少ない。
「早くしてくれ。日が暮れてからかなり経つ」
「うるさい。ごちゃごちゃ言わず少し黙っていろ。口先で俺を操作できると思うなよ」
 体術を習ったと言っても、根っこは"箱入り"。体力の差は歴然とあり、イクサの息は先ほどから上がりっぱなしだ。
「ひどい言われようだ」
「よく言う。お前は人を操作、扇動してばかりいる。まさしく政治屋の鑑だな」
「……心外だ。オレは面倒な役割をかって出ているだけ。言葉を改めてくれ」
「誰が改めるか。お前の手口はどちらかといえば洗脳に近い。政治屋より邪教の教祖の方が向いていたのではないか」
 後方で気配の棘が大きく育った。
 草原でもベロマでも、同じ手口で乗り切っていた。
 称賛風味の焼き菓子を得られたのだ。それで満足だったろう。いまになって反発する意味がさっぱりわからん。
「誘導と言え。彼らだって決めて欲しそうにしていた。先頭に立てる人材は少ない。オレはできる。君もできるだろう。だから決められると反発もできる。でもね、決めることが怖いという人もいる」

 人は未経験、未体験を恐怖する。
 だからこそ決定できる人材が重宝されるのだ。肩代わりをしてやって何が悪い。

 イクサの主張は、納得できそうでできない微妙な場所にあった。喉に骨が刺さっているかのようで、不快感が残り続けている。
「そういう人達にとって責任とは重い言葉だ」
「とれる責任など、たかが知れている。王侯貴族なら失政の果てに首切りもあるだろう。しかし、庶民でとれる責任など大したことはない。商人なら廃業するだけ。市長なら辞職するだけだ。……それに失敗や責任を押しつけて逃れようとしても、結局は"任せた"責任が自分にかかる」
「そうさ。責任なんてその程度。実際のところ大したことはない。でも、そうと考えられない人が多いから、決定できる者が限られるんだよ」

 失敗したくない。
 人に嫌われるのは恐ろしい。
 世間に笑われるのは恥ずかしい。

 尊厳にまつわる恐怖は想像以上の呪縛となり、人にからみついて行動を縛る。
 独特の持論を語り、ふと思い出したようにつけ加えた。
「ギャスパルの配下には、自ら"共鳴"を申し出た者もいるそうだ」
「馬鹿な」
「確かに馬鹿な話だと思う。ただ理解しようとすればできる。ギャスパルに責任を負ってもらうことを選択しただけだって。十二年前の惨事など知る由もないから、最悪の事態を読み違えたんだろう。"共鳴主"が放逐されれば元に戻れる。周囲との溝はできるだろうけど、その時はおやさしい首席殿が拾ってくれる」
 皮肉たっぷりの言葉が、空をただよっている何かに触れた。
「誰がするか」
 気になってイクサを見やれば、相手も同じように自分を見返してきた。

 届きそうで、届かない。

「では、放っておけばいいさ。後先考えなかった臆病者だ。例え見捨てても誰も文句は言わないだろう」
 琴線に擦れて、頭の中に不快感が広がった。
「それは駄目だ。放置していれば穴となる」
 一派の思惑は自分達の影側で動いている。同期との間にある亀裂を、きっと奴等は見逃さない。
 可能ならば。
 そう可能ならば全員と理解を深めたい。冬がきた以上、油断しているような余裕はない。ばらばらと動いて余計な危機を招くことになっても困る。人質となっている娘達が危険に晒される可能性だってある。
「もちろん同期の助力が得られるならば越したことはない。娘さん達を捜すなら人手はあるだけいい。……考えようによっては、いまの状況は好都合とも言えるかな」
「好都合だと?」
 「ああ」と応じた相手の目が、鋭く光った。
「ギャスパル達が人心を乱しに乱した。不安にかられている時、人は誰かに縋りたくなる」
 ――おかげで手っ取り早く済みそうだ。
 目の前で仮面を被り直そうとするものだから、うんざりとした気分が返ってきた。
「……また扇動か。それでは奴等と同じだろう」
 するとイクサは大きくかぶりを振った。
 もはや抱いている苛立ちを隠そうともしない。
「誘導だと言っている。助力を得るのは簡単だよ。長々しい説明をしなくとも、不安から解放してやるだけで十分」
 代わりに判断し、望むなら先頭にも行ってやる。
 後方で隠れていたとしても、戦力となる輝尚石を提供してもらえたらそれでいい。
「駄目だ」
 苛立つ眼光を真正面から受け止めた。
 ここは絶対に譲らん。
「一時は誤魔化せても、後でしわ寄せがくる。形だけの助力で乗り切れるとはとうてい――」

 譲るなと命じてきている"お前"は誰だ。

 煩悶しながらの言葉は、骨子が整っていなかったこともあって強い反発を招いた。
「いい加減にしろ、時間がない! オレにしたような説明を一人一人にやるつもりか。よしんばできたとして、全員が君の思うままに動くとでも言うのか」
 お互い相棒が人質になっている。二人は天水。明日になったら生贄にされてしまう。
 奪還するなら今夜中。時の砂は無情に落ちていく。
「戦場に離脱者はつきもの。国軍でもそうだ。真導士とはいえ、オレ達の場合は形だけ……自警団が精一杯だろう。そうとなれば離脱者は国軍の比じゃないい。下手に前線で士気を挫かれるより、戦力の接収だけで済ます。臆病者には隠れ潜んでいてもらった方がましさ」
「……だが」
「何もかもを望んでいるなら愚かだ。君は誰より相棒を助けたいんだろう。オレもそうだ。やるべきことに相違はないはず」

 急ぎたい。説得に割く時間が惜しい。男達の力は得たい。できるなら確固とした形で――。
 わかっている。
 難しいことなど言われなくてもわかっている。
 わかっていても譲れない。ここを譲ったら元も子もなくなる。そんな気がして仕方ない。

「ベロマの時を思い出せ。助力を得るために扇動しても長続きはしなかった」
 最後の最後には不安に飲み込まれ、連携が瓦解してしまった。
 前線に出られる者を選り分け連れていったとしても、弱い連携は些細なことで崩壊する。
 不安を土台にするのは危険。脆い土台では何を立てても崩れてしまう。
 誤魔化せても一時のこと。
「何度も言うが誘導だ。それにベロマでの一件は君も望んだこと。何を考えていたか知らないけども、先頭に立ちたくなかったんだろう。オレは君を利用した。一人で決めるより、オレ達が決めたという格好の方が望ましかった。そして君もオレを利用した。影側にいたいからオレを日除けとして使ったんだ。違うか?」
 思わず言葉を飲み込んだ。
 その通りだったからだ。
「これだけの働きができるなら、ベロマでもやろうと思えばやれたろう。あれはお互いの希望が重なりあった結果さ。いまさら蒸し返されるいわれはないね。……もしかして君は、結果が望ましくなかったと手の平を返す、そんな愚者の一人だったのか」
 かっと熱くなった感情の下で、不可解な感覚が本能にまとわりついている。同じようにまとわりついてきたイクサの言葉は、正しいと言えるものだった。
 樹木に手をかけ、がむしゃらに登る。
 背中に覆いかぶさろうとするそれらを振り払い、無心の空を求めた。

 違う。
 間違っている。でも、何が――?

 空にもっとも近い場所まで上り、遠く遠くまで見渡す。
 景色の中に答えが落ちていないかと探し、目を見開いた。手を伸ばせば届きそうな距離に、草原が広がっている。
 長い行進の末、ついに自分達は"迷いの森"からの脱出に成功したようだ。

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