蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


逃走


 やった。

 何もかもが上手くいかずにいた今日において、最大の成果だ。
 夜を迎えた草原には闇が広がっている。見えているのは森との境界にある一部分と、"真脈"が通っているだろう経路のみ。
 煌々と放たれている真力に強調され、闇がいっそう深まっているようにも感じた。
 風一つ吹かない草原は静かで、箱庭に放り込まれたような気分を抱く。

「ここにも、精霊はいない……か」

 平坦な声の示すとおり、精霊の姿は消えたまま。
「森が近いからかな」
「おそらく」
 真術の影響は広い範囲に適用されている。とり急ぎ"真穴"と"真脈"から離れるべきだ。
「真眼を開いていれば視界は確保できるはずだが……」
 念のため、松明となるような木材を探そう。
 そう提案しかけた時、おおいと呼びかける声を聞く。勢い込んで振り返った先に、目立つ赤色が見えた。
 まずいと思って、急いで森から距離を置いた。
 同じように飛び退ったイクサは、地面をひたと見つめている。
「何やってんだよ。敵じゃねえぞ、勘違いすんな」
 近づいてくる友人の後ろに、もう一人の男がいた。クルトと一緒に抜けてきたところを見ると、こいつも蠱惑だろう。
 枯葉を踏みつけながら進んでくる友人に、止まれと伝える。
「ああん?」
 いぶかしみながらも立ち止まったクルトとの距離は、ジェダス達がいた位置よりも近い。
「ここなら大丈夫か」
 言うと、そうみたいだねと同意が返ってくる。
 呆れたことにもう口調が戻っていた。早々と仮面をつけ直した男に対して何も言う気にはなれず、ぐったりと嘆息を落とした。
「ローグレスト、森と草原の境界には真術が掛かってねえよ」
 選定の時も、森をしばらく歩いてから転送がきたと言い、大体の距離を手であらわす。
 知識の補足をありがたく受け入れ、無事でよかったと友人に伝える。
「ところでクルト、旋風を持っているか」
「おう! お前に会えたならちょうどいい。他の連中には悪いけど、とっととサガノトスへ戻ろうぜ」
 背に括っていた荷物をおろし、がさごそと中を探る。
「持っているのに使わなかったのかい」
「まあな。森の真ん中で真術を使って、奴等にかぎつけられたら逃げ場がねえし。様子見しながら開けた場所まで出ることにしたんだ」
 仮面越しの言葉にむず痒い思いをしつつも、手渡された輝尚石を握った。
 ようやく前進できる。
 秋の夜は長い。冬に切り替わろうとしている日なら尚更。どうにか間に合いそうだと希望を膨らませていたら、またも呼びかける声がきた。
「ローグレストさん、クルトさん!」
「……ああ、やっぱり。こっちに来て正解だったっす」
 やってきたのはブラウンとエリク。二人の姿を認めたら変な笑いが込み上げてきた。
 何だ、こいつらも相性が悪かったのか。
 意外な事実に忍び笑いをして、くたくたになっている様子のエリクの背中を叩く。
「しっかりしろ。ここからが本番だぞ」
 発破をかけてやったのに、心もとない返答がくる。サガノトスには体力がない奴が多い。
「クルト、こいつらの分もあるか?」
「七個ある。ぎりぎりだけど間に合うだろ」
 真術の影響から抜ければ、燠火は旋風で飛べる。慧師の外円までならもつだろう。
「よっしゃ行こうぜ!」

 いざ、サガノトスへ。

 手元の輝尚石に念じて、風をまとう。
 気がつけば真導士がすっかり身についている。真術が使えないとここまで不便なのか。
 内心でぼやき、精霊の乱舞に身体を乗せたその瞬間。彼方からやってきた暴風にまかれ、浮きかけていた身体が草原へと叩きつけられた。
「何だ!?」
 叫んだブラウンは暴風がやってきた方向を見やって、呆気にとられたような表情となる。
 開いていた真眼が拾ったのは、特有の気配――劫火の真力。
 倒れたまま顔を上げ、やってくるだろう男を捜して愕然とした。
「なっ……」
 白い人影がある。
 いくつも、いくつも。
 草原の闇からあらわれた白いローブの群れ。その群れはすっかりと劫火に染まり、気配だけでは個人を読み取れない。
 それでも見慣れた色がある。
 一歩進むたびにゆれ、存在を主張している色とりどりの髪。間違いなくさらわれた同期の娘達だ。
「まじかよ」
 クルトのぼやきをかき消すように、正面から暴風が向かってきた。

「伏せろ!」

 イクサの号令が行き渡るかどうかという瞬間、暴風が頭上を突き抜けていく。風に呼吸を塞がれたせいか、同じように転がっていた友人達が咳き込んでいる。
 風が通り抜けてから起き上がろうと大地に手をついて、今度は炎豪がやってくるのが見えた。
「飛べ!!」
 輝尚石から生まれた風は炎とすれ違うようなぎりぎりの状態で、身体を空に逃す。
 間一髪。
 わずかでも遅れていたら、いまごろ地面で焦げた草と同じ色に染まっていただろう。
 上空から草原を見渡す。
 闇から出てきた人影はまるで幽鬼のよう。意思を失った娘達はぼんやりと空を見て、劫火の糸に操られるまま真術を放つ。
 そこに戸惑いや躊躇いは一切なく、風に乗りながら必死になってかわす。
 下方からやってきた熱が、ローブ越しに身体をあぶる。息つく間もないほどの追撃。今度はどこからやってくるかと視線を飛ばし、その娘を見つける。

「――ティピア!」

 小さな友人は、うつろな目をして天に輝尚石を掲げていた。呼んでも呼んでも、表情は空虚なまま。
 光を失った紅水晶は自分を認識していても、虚空ばかりを眺めている。
 ティピアの手から旋風が生み出された。
(しまった)
 暴風は驚くほどの速さで自分を飲み込み、身体を木っ端のように躍らせる。
 体勢を立て直そうとしたら、背中に衝撃を受けた。思わぬ壁にぶち当たり肺からすべてが逃走する。
 呼吸の混乱が、意識の白濁を招いた。
「ローグレスト、油断するなよ!」
 当たった壁が叱咤してきた。
「悪い……」
 自分の輝尚石でないためか、思ったように展開ができない。知らぬ間に生まれていた穴を見て、後悔がこんこんと湧いてくる。
「動かないでくれ! 君達に怪我を負わせたくはない。聞こえているなら輝尚石を手放すんだ!!」
 救援だ。
 攻撃の意志はない。
 伝えても娘達は真術を展開してくる。どうしたらと見下ろし、数が増えていることに気づいた。
 一人、また一人と闇から劫火の使者がやってくる。
 反撃しようにも輝尚石は少ない。そしてこちらに傷つけるつもりはないのだ。その状況で戦力差が開いていく。
 勝ち目はどこにも見当たらなかった。
「……無駄だ、イクサ。"共鳴"している」
 鉄仮面の上に冷たいものが乗る。
 暗黙の中、打開策を探していると一際大きな声が上がった。

「ユーリ!?」

 赤毛の友人の視線を追い、闇との境界に立つ娘を見る。
「ユーリ、ユーリ! 聞こえるか、しっかりしろ!!」
 娘の方に飛んで行こうとする友人の腕を、慌てて捕獲した。
「やめろ、近づくな」
「放せ、邪魔するんじゃねえよ!」
 暴れる友人の腕を引き、首を押さえて後方へと飛ぶ。
「ユーリ!!」
 遠目に娘の三つ編みが震えたように思えた。
 声の限り叫んでいる片割れを、ユーリはぼんやりとした表情で見つめている。身体に劫火をまとい、右手に輝尚石を持っている姿は他の娘と同じ。
 だが、よく見れば一箇所だけ違う。
 自分と同じように、それに気づいたクルトがまた彼女の名を叫んだ。

 目に光が残っている。

 クルトの声に誘われ明滅している光は、いまにも消えそうなほど小さい。しかし名を呼べば、ささやかながら燐光を放つのだ。
「ローグレスト、避けろ!」
 回避の号令に遅れて、真術の匂いを感知した。
 下方で五つの炎豪が束ねられている。避けきれないと判断したのは一瞬。せめて被害を最小限にと風の壁を作り、目をかばって――驚きのあまり息を飲んだ。
 突如としてやってきた救済の風。
 顔をゆがめながらもユーリが輝尚石を展開している。彼女が生んだ風に弾かれ、危ないところで炎を回避した。

「ユーリ!」

 瞳の中で正気と狂気が争っている。クルトが呼べば応じるように光がにじむ。
「……早く、……逃げて」
 途切れ途切れの声には、かすかな希望が残されていた。
「馬鹿、お前っ!?」
 拘束を外そうともがく友人を決死の思いで羽交い絞めにし、後退の準備をした。しかしクルトはそれを許すまいと暴れ、半身を求めて手を伸ばす。
「……お願い、行って。駄目だから、行って……よ」
 希望の光がしずくとなって頬を伝う。

「――全員、森へ戻れ!!」

 イクサの怒号に合わせ、森に向かって後退した。
 娘達から攻撃の気配を感じ取り、間に合ってくれと惨めに願う。森が口を大きく開けて、餌が飛び込んでくるのを待っている。
 敗残兵となった自分達は汚辱の光に飲まれ、悔しさにまみれながら森を流されていったのだった。

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