蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


白い道


 荊が右肩に食い込み、ローブに獣の爪のような傷を刻んだ。

「ちくしょうっ……!」

 生えていた樹木に、拳を叩きつけた。
 怒りが血流に乗って全身を巡っている。
「……卑劣漢が」
 たまたま荊を回避したイクサだったが、半身は土まみれ。
 墜落の衝撃で結っていた髪が解けたらしい。金の髪は乱れたまま垂れて、顔に影色を乗せていた。そのせいか男の眼光がさらに際立っている。
 娘達は揃ってギャスパルの餌食とされていた。
 "共鳴"は真導士にとって矜持を奪われるに等しい行為。厭悪するべき行いが彼女達に成されていた。これを卑劣と言わず、何と言う。
「輝尚石を持っていた」
「用意周到なことだ。ギャスパルめ、やはり一派と繋がっていたか」
 この森に敷かれた逆さまの真術は、導士の教本に載っていなかった。ローブの仕掛けも考慮すると、敷いたのはフィオラか……もしくは、例の元見回り部隊の隊員。そして、あの人数に輝尚石を行き渡らせるなら事前準備を要する。
 つまりギャスパルが、一派の息がかかったこの森を以前から知っていたという何よりの証明。
 イクサは乱れた髪をかきあげ、爛々と光っている目を天にさらした。
「……まいった。娘さん達は攻撃できない」
 人質を手駒として組み込むとは。
 こちらには攻撃の意思もない上、娘達の方が戦力を有している。
 人質を取られたらこちらの動きが封じられる。
 頭に修行中の一幕が浮かんだ。あの時の話は、まさしくいまの状況を指している。

「天水も混ざっていたか」
 ティピアとユーリ。
 それから同じ部の娘も何人か。天水全員を捧げるつもりだと思っていた。しかし、兵として出してきたなら考えを変える必要が出てきた。
「過去に一度、封印が解けたと言ったな」
「ああ……」
「封印を塞ぐ方法は?」
「解く時とは逆。燠火を捧げる」
 十二年前。封印を閉じる際に、捧げられた同属がいる。奴等の都合につき合わされ、無念のうちに果てた命がある。
「いずれ封印を解くつもりで捧げたろうな」
 天を刺し睨んでいた目が、細く眇められた。
「言わずもがなだ」
 その命はおそらく一つ。わざわざ開けた扉に、残念だと言いながら鍵をかける。
 次の機会を狙って。
 再び開けようとした時、そう苦労せず済むよう――。
「……あと一人。多くて二人。その程度いればいいわけだ」
 順を追って一派の思考を読み、伴って互いの気配がうねるのを感じた。
「サキとディアはいなかった」
 予感ではなく確信。
 口にすることで、怒りの炎が天高く燃え上がる。
「二人を生贄として選んだと。オレ達への当てつけか……?」
 ふざけやがってと吐き捨てて、イクサも樹木に拳を入れた。周囲に棘が散り、森の真力が吹き飛ばされていく。
 させてたまるか。
 もぎ取ろうと言うのなら、その薄汚い野望ごとこの手で叩き潰してやる。
「――もう一度、策を練るぞ」
 返ってきた頷きは力強く、友人達のような頼もしさを感じた。

 森と草原の境界には真術が及んでいなかった。"迷いの森"には、捻じ曲げられた転送の真術が敷かれている。集合するとなればあそこしかない。
 問題は、"共鳴"を受けた娘達があそこにいるということ。
 彼女達は尖兵。
 それと同時に看守役も担っている。奴等の狙いが時間稼ぎである以上、男達を森から出さないだろう。
 前提の確認を終えたところでどちらからともなく腰を上げ、森を行くことにした。
 座っていると身体が冷える。そうでなくとも動いていたい気分だった。じっとしていると、内にある激情に飲まれそうでもあった。
 不思議なもので足が動くと頭も一緒に動き出す。歩いているだけで策はいくつも上がってきた。

 最初に上がったのは当初設定していた指針。手持ちの輝尚石で中央棟に飛ぶというもの。
 これは討論するまでもなく却下となった。
 大地を行こうが空を行こうがサガノトスは草原の向こう側。途中で娘達と当たるのは必然となる。戦力差を鑑みても真っ向勝負では分が悪い。
 お次に出てきたのは強行突破という案。
 娘達の動きは鈍い。あやつり人形となった彼女達に、"共鳴主"の意思が届くまで多少のずれがある。隙をついて本体であるギャスパルを叩く。
 正直、心情的には取りたい案だったけれどこちらも却下。
 奴をぶちのめすなら確度の高い方法がいい。上手く隙を突けたとしても輝尚石を準備している一味に、たった二つの旋風で挑むのは無謀だ。
 では、先に輝尚石を増やしたらどうか。
 いまわかっている唯一にして最大の貯蔵庫を狙う。娘達の手元にあったのはギャスパルの炎豪と旋風。雛の輝尚石としては十分な質を有している。例えば娘達を奇襲して――。

「……駄目だ。これも無謀な案だ。やろうと思えばできるけど、娘さん方を傷つけずには難しい。何よりも時間を食い過ぎる」
 ギャスパル一味に対抗するためには、多数の輝尚石が必要となる。
 見張りに立っている娘の中で、誰にも気づかれない位置にいる者を探し。なおかつ勘付かれないよう事を成す。やはりこの案にも無謀という結論が張りつけられた。
 出てきた案は、どれも案止まりとなる内容だ。
 大真面目なものから馬鹿馬鹿しいものまで多種多様。それを一瞥しては捨てていく。いつしか案を探すのではなく、案を捨てていく作業に切り替わっていた。
 頭にあるものを空にする。
 ずっと何かが間違っている。自分もイクサも方向が違えど、間違えたものを背負い続けている。
 あれもこれもが邪魔だった。いつか使うだろうと溜めていた知識も。ついさっきまで大事だと思っていた信念も。もはや重荷となっている。
 必要なら終わってから拾い直そう。空にただよい、ひらひらと舞っているそれの正体を確かめてからでいいと決めた。枯れ枝を払い、藪をかき分けながら深い集中に入っていく。

「"共鳴"を解くにはどうしたらいい?」
「自然と排出されるのを待つ。一月ほどかかる」
「なら先ほどの件はどうなる。ユーリは正気に戻りかけていたじゃないか」
 頭の奥で、甲高い音がする。
 決定打ではないにしろ突破口となりそうに思えた。
「……クルトが呼びかけたからか?」
 幼馴染である二人は、今年の番の中でも飛びぬけて長い時を共有している。生まれたての頃から育んできた絆が、真力を深く馴染ませているのだ。
「真力が馴染んだ相棒の呼びかけなら、届く可能性もあるのか」
 傾斜に差しかかった。
 迂回するのが面倒に思えたので、真っ直ぐに突き進む。
「相棒が必要となったら、やはり男達との合流が優先……」
 力を得るためには、真術が敷かれていない場所が必要。真術が敷かれていない場所を得るには、力が必要。
 堂々巡りに嵌っても、諦めるつもりはどちらにもない。
 ――例えば、こういう手はどうだろう。
 そう口を開こうとして時を止めた。少し遅れて歩いていたイクサが「どうした?」と問い、息を飲んでから自分と並んで石像となる。

「……何だ、これは」

 ついに頭がいかれたかと、自分を疑ってみた。
 呼吸を正して持ったままとなっていた水筒に口をつけ、現実と一緒にごくりと飲み下す。水が喉を下っていくのを感じつつ、どうやら正気のようだと把握した。
「ローグレスト、ここは……」
 千切れた台詞は、いくら待っても繋がらない。
 互いに言葉を失った。それほどまでに目の前の光景は奇妙だったのだ。

 境界が生まれている。
 趣が違う二つの絵をそのまま並べただけ。例えば天と地。もしくは夏と冬。決して交わらないものを無理に繋いだような、奇怪極まりない世界。

「……道、か?」
 道と呼んでいいのかも疑問だったが、うねうねと続いている白い帯はそのように表現するのが精一杯だった。
「白楼岩……だね」
 光をまとった硬い岩。
 ちょうど馬車が通れるような幅だろうか。
 あまりにも唐突な白楼岩の道がそこにあった。岩には直線の切れ目がある。人の手が加わっている証拠だ。何を見ていればいいかわからず、ゆっくりと線を追い……その流れで見えてしまった現実のせいで、混乱が加速した。
 枯葉が切れている。
 一つや二つどころではない。白楼岩の道に沿う形で半分になっている枯葉の海。
 恐る恐る近づいて、境界に触れる。
 こちらは森で、あちらは岩。
 それぞれに正しい感触がある。ふと気になって半分の枯葉を道に乗せた。二人して息を詰め、見守ることしばらく。変化なしという結論を得た。
 それでも納得しきれなかったのか、イクサが輝尚石を掲げた。
 風に飛ばされ茶色の雨が降り注ぐ。はらはらと落ちていく半分の枯葉は、道に積もり動かなくなる。どうも半分を道に食われたわけではないようだ。
 道も真っ白なら、頭も真っ白。
 いままでの討論の内容など、頭からすっぽ抜けてしまった。
 衝撃から立ち直れず呆然とする。並んで立ち尽くしていると本日何度目かの呼びかけがきた。
 「おーい」と間延びしている声が届き、咄嗟に顔を見合わせる。この声は……と思っていれば「よかったー」という抜けた声まで飛んできた。

「ずっと一人でさー。ほんと、どうしようかと思ったよ」

 暗いし寒いし、意味わかんないしで散々だ。
 ぐだぐだと語り、ゆるい歩調で向かってくるのは白の影。誰よりも長いという特徴は、見間違える方が難しい。藪からやってきた長い影との距離は、徐々に縮まっていく。
 それはいい。
 そんなことは、もはやどうでもよかった。
 "迷いの森"の常識も、二人で積み上げていった知識も経験も、白く輝く真円が問答無用で消している。歩くたび、友人の足元には白楼岩の道が生まれていた。影を中心とした円に溶かされ、森が白の帯と化して空に消失していっているのだ。

「あれー? ローグもイクサも。二人してぼろぼろじゃないか」

 のんびりとした口調で「何かあったの」と聞かれても、答える気力まですっ飛んでいた。
 開いた口が塞げない。



 このあまりにも突拍子がない境界は、ヤクスが描いた正鵠の道だったのだ。

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