蒼天のかけら 第十二章 譎詐の森
真っ逆さま
眩暈を起こしたような感覚が続いている。
涙は流しても流しても、いまだ枯れることなく頬を伝う。
筒が当てられていた真眼を起点として、悲鳴のような頭痛が襲ってきている。耳鳴りは消えていた。もう鳴く余力もないのだろう。
霞がかった世界で、倒れ伏している色がある。
ディアはぴくりとも動かない。せめて呼吸を確かめられればと思い、また涙を流す。
「どういうことだ!?」
音がくぐもっている。水の中で声を聞いたようにぼやけて届く。音が脈に合わせて、大きくなったり小さくなったりしている。聞き取りづらくて誰がしゃべっているかも不明だ。
「貴様、ちゃんと真力を籠めたのだろうな!」
垂れていた頭を、強引に持ち上げられた。
背中側で身体を抑えているのは誰か。周囲に何人いるのか。何もかもが皆目わからない。目も真眼も、霞んだ世界に残されたまま。いつしか苦痛も把握できなくなっている。
痛いとも、苦しいとも思わず。本能だけが不快と喚くばかり。
「籠めたさ。てめえも見ていただろうが」
「……ぐ。っ貴様、誰に向かって口を利いているかわかっているのか!?」
怒声のせいで頭痛が悪化した。
やり取りが長引いているために衝撃が薄れて、苦痛が意識を取り戻してきた。目から流れ出ていく冷たいものを、涙だと思っているのは錯覚かもしれない。脈に合わせて落ちていく水が、いつしか頭からの出血のように思えてきた。
幻の血液がぼたぼたと流出していく。反逆を亡失した目は、景色を眺める力すらなくしそうだった。
「おかしいですね」
金属質な声がする。
それを知覚した直後、拷問が再開された。
苦痛を受け入れたのと同じだけ、全身から叫びが放たれていく。
どこよりも鋭敏な場所に、劫火の毒が流し込まれる。灼熱の痛みに泣き、内側を毒される恐怖を叫ぶだけの時間がまたやってきた。
どくりどくりと注がれる熱を、魂から拒絶する。
痛い。苦しい。怖い。
こんなのは嫌だ。助けて。お願いだから助けて――。
名を呼びたかった。
それなのに狭量な本性は、悲鳴ばかりを発している。
思い通りにならないのは何故だろう。思うがままに身体が動けば。望んだままに言葉が出せればきっと届くのに。
願いも虚しく、また世界が暗黒に染まった。とっくに折れていた心が、どうして気絶できないのかと泣き言を届けてくる。
「おかしい……。真力はきちんと出ています。真眼に入って行くまではいいのですが、途中で跳ね返されている」
顎がつかまれたような気がする。首が伸びているからそうだろう。
目を開いているけれど、見えるのは闇色だけ。
「何をしている」
声が増えた。
背中がぶるぶると震えている。記憶に仕舞っていた危機を羽が覚えていた。最後の気力を振り絞り、青い力を縛りつける。
「……おや、何用でしょうか」
「何用と言えるのか。遅れが出ているようだとジーノ殿が心配されていたのだ」
ジーノ。
一度だけまみえた高士。
見回り部隊が最重要危険人物として追っている"淪落の魔導士"。そして新たに増えた声は、元見回り部隊だった男。暗躍していた者達が目の前にいるのに、伝えることができずにもどかしい。
特に何もと、セルゲイが答えた後。またもやエドガーの声がした。
「"共鳴"できないのがいまして」
闇の向こうから視線を感じた。
「……こいつか」
忌々しいと染まった声が、とても遠くからやってきた。
「古代術具だぞ。それが効かぬというか」
「ええ。残るはこれだけなのですが……」
最後の一音と、再びの苦痛が重なった。
その時、自分は叫んだのか。
暗転した意識が、記憶を捨ててしまったので永久に知ることはないだろう。
落ちる。
崖から落ちた時のように。
暗闇色の空洞を、真っ逆さまに下っていく。
落ちて、落ちて。
奥の方できらりと煌いた光があった。
その光は、たくさんの色をまとっていて……ただ美しかった。