蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


奴の正体


 "風渡り"の夜なのに、森は無風に近い。
 白楼岩で造られた箱庭は、外界から完全に遮断されているようだ。

 道を作ると言い置いて、ヤクスとイクサの三人で抜け出してきた。ヤクスを先頭に歩いていけば真術がかき消え、この場の真実が明らかとなっていく。
 イクサと二人で踏破した"迷いの森"。さんざん惑わしてくれた問題の森は、逆さまの真術以外にも距離感を狂わせる真術が仕込まれていた。
 草原との距離は想像以上に近い。
 確認だけして道を半分まで戻り、深い藪に囲まれた場所で腰を下ろした。あそこへ戻る前に、決着をつけなければならない。
「ご感想は」
 聞いてやれば、また表情がへそを曲げた。
 器用な奴。この短い期間で鉄仮面の着脱が早くなっている。後々、面倒になりそうだ。
「ローグレストは意外と根に持つ」
 不承不承ながらも「改めるしかないかな」と答え、髪をかき上げた。

 助力を得る。
 恐怖を肩代わりしてやり輝尚石だけ接収する。唱えてきた方針は、つい先ほど盛大に瓦解した。

「ローグレストが言っていた穴とは、あれのことか」
 本能が警告を発し続けていた危険。
 自分達を引きずり込もうとする穴の姿は、すでに明らかとなっていた。
 男にも天水がいる。例え娘達を全員奪還できたとしても、あの男が奪われれば邪悪が復活してしまう。動くなら全員が一斉に。そうでなければ穴を守り切れん。
「攻撃と守備を同時に……。壁が高くなってやしないか」
「仕方ない。どれも手を抜けないのは事実だ。それに奴等にも穴はある」
 人を働かせるのは労力がいる。
 自発的な動きなら"思考"と"行動"だけで済むが、操ろうとすれば"指示"と"理解"が入り込んでくる。
 ギャスパルの配下は"共鳴"でできた人形だけ。
 つまり自発的に動けるのは――臨機応変に対応できるのは当人のみ。
 娘達の動きは鈍い。この穴は埋めることができないほど大きい。
「"共鳴"はとりあえず置いておこう」

 最優先の課題。それは男達の結束。
 同期の力を確固とした形で得る。同じ方向を向き。なおかつ各々が自発的に動く。例えば第一部隊のようにただの一声で済むのが理想。そう、まさしく理想だった。

「あのさー、それって軍隊を作るってことか」
「いいや、違う。……さすがに軍隊のようにはならんだろう」
 軍には明確な命令系統がある。上下の強固な縛りが、作戦指示という血液を末端まで運んでくれる。
 だが、自分達は同期だ。
 横並びの存在であり、さらには階級という縛りもない。平らな場所で流れを作るのは難しい。
「一理ある。それでも役割は必要だと思う。全員が前線に並ぶわけにいかないからね」
「ああ。皆が前線では特攻になってしまう」
 特攻は最後の手段。
 やり直しがきかない悪手だ。
「役割か……。じゃあ、オレは後方支援」
「まあ、そうなる。医者が先陣を切って、怪我人の手当てが滞ってもな」
 話を聞いていたイクサが「役割」と小さく繰り返す。
「誰も離脱させたくないなら、全員に役割を充てるという手がある」
 戦う者、後方支援する者。それぞれに相応しい役を与え、群れに組み込む。
 あの男は戦場に向かない。どの町にもあの男のような者が一人はいる。それを詰るのは簡単だが意味はない。意味ある行いでなければ勝ちを得るのが難しくなる。
「天水は守られることが役割だとしよう。何しろ邪悪がよみがえれば全滅する。誰も死にたくないだろうから、これなら反対が起こりにくい」
 いい手のように思えた。
 しかし決定打にかける。役割を与えた程度で連携強化までは望めない。二人も同じように考えたようで、盛大な溜息が大気に吐き出された。

「……見ず知らずの相手とは難儀なものだね」
 自分の町ならば対立はあれどもまとまりやすかった。イクサから出た嘆息交じりの台詞に、疲労の影を見る。
 決戦を前に休みを取っておきたい。自分の疲労もかなり溜まってきている。
「それはそうだろう」
 同じ町の連中なら、仮に対立があったとしても暮らしをよくしたいという共通の根っこがある。どんな話し合いだとしても、飢えや賊を気にせず安心して暮らすという思いに差はない。カルデスでは、これに儲けを上げると加わるくらいだ。
「改めて見直すと、伝説の正鵠はすごい人物だ。町も身分も。果ては国さえも越えた義賊を束ね、本懐を遂げた」
 正鵠アーレスが組織した義勇軍には、十に満たない子供や妊婦までいたという。
「いっそヤクスを頭領にするか」
 もやもやとしてきたので、混ぜっ返して気を紛らわす。
「ああ、いいかもね。正鵠は突拍子がないから」
 これにヤクスは「勘弁してくれよー」と情けない声を出した。

「……あ、そうだ」

 その突拍子もない正鵠が、突然の閃きを得たようだ。
 声を上げたかと思えば、がさごそと皮袋を探り出す。今度は何だと冷や汗をかきつつ事態を窺っていれば、一冊の本を渡してきた。
「これは」
 表紙に神鳥が印されているから学舎での配布物だろうけど、もらった覚えのないものだった。
「教本だ」
「こんな教本あったか?」
「ローグ達には配られてないよ。だってこれ、正鵠用の教本だから」
 ものめずらしさに後押しされ、手早く頁をめくる。
 興味が出たのだろう。イクサが背後から覗いてきた。
「正鵠の真術は高度な上に数が少ない。真術だけの教本を作ると薄くなるんだろうな。半分くらい伝記になっててさ。やたら説教じみてるんだよ」
 オレやっぱり天水がよかったなー。怪我人もばっちり治せるしさ。縫合する必要もないし、患者の負担だって減るだろ? 正鵠は真導士にとって特別だって言う人もいるけど、何が特別かも把握できないし――。
「ヤクス、ちょっと黙ってろ」
 いつまでも続く愚痴を塞き止めて、記載されている文章に集中する。
「……何だ、そういうことか」
 その一文は有体に言ってしまえば簡潔だった。
「かすってはいたかな?」
 イクサも同じ箇所を読んでいたようだ。

 ずっと真眼の奥を騒がせていた。
 こっちを見ろと叫んでいた奴の正体は、これだったのか。

 隣にある顔はへそを曲げてはいなかった。
 紫と目を合わせ、口元のゆるみを自覚する。相手の目の奥に好戦的な炎が、激しく燃え盛っていた。
「――よし、やってみよう」

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