蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


箱庭の戦い


(ずっと、気になってるんだけどよ)
 森と草原の境界で、息を潜めて時がくるのを待っている。
 待ちながら思い出すのは仮眠明けにした会話。出立の直前にクルトが口にした疑問が、身の内で燻っている。ややもすれば意識をとられ、気力が乱れそうになる。
 湿った緑を吸い、幻の煙を吐き出してみた。
 すると、大丈夫かとの声が掛かった。
 相手は同じ部の男だ。先日、家に訪れてきたのだったか。大丈夫だと答え、言いそびれていた土産の礼も添えて返しておいた。

 箱庭の草原を眺める。
 息を潜めているといっても、全員が完全に隠れているわけではない。ローブは闇の中にあっても目立つ。それに娘達からも見える場所へわざと人を配置した。
 視認はしているだろう。
 しかしながら攻撃はやってこない。
(――思った通りだ)
 確信を得て、近くにいるジェダスと頷き合った。
 奴等の目的は、里の捜索をかく乱させること。
 長い時間。それこそ"風渡りの日"の間中、導士を行方不明にさせておく。逆さまの真術がかかった箱庭の森は、そのために拵えられた監獄。
 男達が森にいる間は攻撃してこない。
 導き出した答えは見事に的中した。これならばいける。
 作戦は状況に対応できるよう三つほど立てていた。
 第一の作戦がもっともいいと考えていたのだが、森に潜んでいられるなら実行に移せそうだ。
 草原の娘達は、まさしくあやつり人形だった。
 状況が与えられた指示に合致するまで……。森から男達が出て行くまで、動くこともできないのだ。何を思うでも嘆くでもなく。そこに立たされたまま。
「……かわいそうに」
 言ったのはあの天水の男。
 口調も表情も憐憫に染まっている男を見て、ものめずらしさを覚えた。
 線も細く、声も男にしては高い。娘だと言っても通じてしまいそうな印象がある。聞けば王都で声楽をやっていたという。真導士より合っていたと悔いているのもわかる。こいつは根本的に争いが苦手なのだ。
「早く助けてあげたい。すごく冷えてきたから……」
 そうだなと返事したのは男の相棒。
 番とは本当によくできている。見るからに面倒見が良さそうな男だ。こいつ等は上手くやっていけるだろう。
「君の相棒はいる?」
「いや、どこにも……」
 サキも。そしてディアもいない。
 ギャスパルは二人を生贄にするつもりでいる。きっと俺とイクサに対する当てつけ。誰に言われんでもわかる。
 二人してたいそう恨まれたものだ。おかげで気分の悪さは最高潮に達している。
「そう……、心配だね」
「まあな。でも大丈夫だ。朝になるまで、まだ時間がある」

 あれから方針を論じるための場を設けた。
 隠し事はなし。
 全員が当事者となった以上、話し合いから弾くような真似はしたくなかった。そのようなことをすれば、ようやくできはじめた土台にひびが入ってしまう。
 国軍や見回り部隊とは違う。一介の真導士とも名乗れない。まだ半人前の自分達が作り出す連携は、硝子よりも脆いだろう。
 たった一つの亀裂が命取りとなる。
 覚悟を決めて挑んだ討論の場で、イクサは地面に図を描いた。森と草原の境目は入り江のようになっている。陣形はその地形に合わせて考えられた。
 作戦の基本となった図柄を見て、神鳥のようだとの声が出た。
 左右。そして中央に人を集めた陣形は、言われてみれば羽を大きく広げている神鳥の姿に似ていた。
 自分達は右翼側にいる。
 そしてイクサは左翼側。この役割は真っ先に決まった。

(囲い込もう)

 羽を大きく広げ、ゆっくりと閉じていく。
 そうすることで草原に散らばっている娘達を集める。
 中央には人数を割いた。
 娘の相棒達を中心に組まれた隊が、彼女達を待ち構える。
 一箇所に集めるのは攻撃のためではない。"共鳴"の仕組みに空いている大穴を攻めるためだ。
 夏前から悩まされてきた"共鳴"。
 避け続けてきた脅威には、思わぬ穴が空いていた。判明したのは討論の最中。かつて"共鳴"に毒されていた四人の証言からだった。
 "共鳴"は数日間に渡り、連続して真力を注ぐことで完成する。
 そして"共鳴"を受けている最中でも、相棒の声だけは聞こえている。ユーリがわずかに正気を戻したのは、この穴による影響だったようだ。
 娘達の"共鳴"はまだ浅い。
 いまなら相棒の声で正気に戻ることも、十分に考えられる。
 闇に映えている白のローブを頼りに、彼女達の位置を把握していく。ばらけている彼女達をどのように追い込むか。
 これについてはジェダスとフォルを中心に作戦が組まれた。
 狩りについては狩りの専門家に聞くのが一番いい。ジェダスに狩りの経験があるのは意外に感じた。しかし、謙遜しながらも自信を持っている様子だったので、すべてを二人に任せることにした。
 暗闇の中、強く光るものを見つける。左翼側からの光――準備完了の合図だ。
「あちらはいいようだ」
「……そうですか。こちらもあと少しです。身体を解しておいてください」
 おざなりな返事をして、左翼側の光を少しばかり睨んでおいた。

(彼女達は不安に飲まれている)

 さんざん言ったのに、鉄仮面は方針をすべて撤回しなかった。あれは相当な頑固者だ。
 "共鳴"の維持が難しくなるほど真力を減らせば、人形達は"共鳴主"の元へ戻っていく。たが、輝尚石を持っている相手の真力を減らすのは難しい。精霊がいないせいで、人形達も輝尚石経由でしか真術を使えないのだ。
 相棒が声をかけ真力を排出させる。
 自分達が打てるのはこの手のみ。ただでさえ時間が掛かる戦法。だというのに"共鳴"を受けに戻られたら、最初からやり直すことになる。
 ギャスパルが張り巡らせただろう策謀。突破困難に思えた奴等の工夫を、鉄仮面が笑いながら歓迎した。
 とても都合がいい――と。

(娘さん達が真力を出す。すると"共鳴主"が真力を注ぎなおし、"共鳴"が薄くなるのを回避する。……その状況下で、もしも娘さん達の"共鳴"が同時に薄くなれば、何が起こる?)

 考え方が違うと、今日だけで何度思ったか。
 多数の操り人形が一気に戻ってくる。人形達は"共鳴主"に集中するだろう。だが、ギャスパルが持つ古代術具はたった一つだ。いくら真力を備蓄していたとしても、道具が一つでは作業を分散できない。

(娘さん達には悪いけれど、大行列を作ってもらおう。ついでにギャスパル達の居所も割れる。一挙両得だ。いい手だと思わないか? ――なあ、ローグレスト)

 わざとらしい確認には、やはり皮肉が散りばめられていた。あいつも人のことを言えない。かなり根に持つ性格のようだ。
「ローグレスト殿、もういいですよ」
 ジェダスが言った途端、右翼側にいる面々に緊張が走った。
 全員の顔を、いま一度ゆっくりと見渡す。
 怒りを抱いている顔。泣き出しそうな顔。緊張のあまり硬直している顔。それぞれの表情をしっかりと刻んで、真眼を見開いた。
 世界に白が宿り、頭の中に彼女の声が反響する。



 ――大丈夫。今度もきっと、大丈夫。



 風一つない箱庭の草原に、綺羅星が生まれた。
 両翼からの合図を受け。中央から多数の光が一斉に放たれる。
 離れた場所でも、真力に込められた感情はよく視えた。
 相棒の真力は支えだ。
 触れて、身体にまとい、真眼の中へと取り込もうとする。真導士なら誰でもその真力を無心に追い求める。
 人形と化していた娘達に変化が起きた。
 頼りなくゆらめきつつ森へ歩き出す。攻撃の気配がないことを確認してから真力を盛大に放出した。内にある闘争心を高め、周囲を戦場色に染め変える。

("共鳴主"の指示は禁則。禁則に触れさえしなければ理性と本能に届くはず)

 "共鳴"と催眠はとても近い。彼女達は催眠にかけられている状態だと思えばいい。
 理性も残っているだろう。しかし四人の前例を鑑みても、理性を頼りにするのはあまりに危険。
 訴えかけるとしたら本能。
 命に紐づいている強大な力を存分に利用する。
 不安も本能の一つだ。自身の命を守ろうとする働きは、ギャスパルの支配下にあっても消せはしない。

(オレ達は、真力をもって不安を増幅させる)

 攻撃の意思をみせた燠火の真力は、強い恐怖を与える。
 だから彼女達は逃げるはずだ。より安全な場所へ。両翼からの真力に押され、本能の唆されて相棒の傍までやってくる。
 その時、無意識の"共鳴"が彼女達からも生まれる。
 女子供はとかく恐怖を感じやすく、生まれた恐怖は伝染しやすい。密集すればするほど恐怖を膨らませ、本能を刺激する。
 命を守ろうと過敏になっている彼女達。相棒にすがろうとしてきた群れに、そっと救いの糸を垂らしてやるだけでいい。

(この役目はオレにはできない。ローグレストにも担えない。だからオレ達は、追い込み役が適任だ)

 力の強い燠火は、恐怖の対象。
 命の危機に瀕している彼女達に、自分達の声は届かないだろう。

(すがりたい相手は誰だと思う? 相棒……もちろんそうだ。でも、もっとも効果的な相手は誰だろうか)

 君達なら誰にすがるか。
 毒を飼っている身体を抱え、命を助けて欲しいと望んだ時。一体誰を頼りにするだろうか。
 狩人は違う。町長か。これも違うだろう。兵士なら守ってくれそうだ。でも、毒の恐怖からは逃れ切れない。彼等の剣が、いつか自分に向くという別の恐怖もある。神官や王でさえも、いまの彼女達は救えない。
 だが、女神はオレ達に加護を与えてくれた。この中に一人だけ適任者がいる。

(彼の声なら届くだろう。毒を消し、命を救ってくれる。……決して危害を加えてこない相手でもある)

 強く真力を放ちながら、じわじわと距離を縮める。
 迷える子羊達は神鳥の両翼に追い詰められ、いまや一箇所に固まっていた。
「――まずはしっかり深呼吸。苦しくない? 急がなくていいよ、咳き込まないようにね」
 声がする。他の男達の声を、堂々と押しのけている声が一つ。

「じゃあ、真眼を開いてみて。それから真力を出してごらん。これも急がなくていいからね。ゆっくり、ゆっくり……」
 彼女達は、不安の渦中にいる。
 不安に飲まれた者は弱く、権威に圧倒されやすい。
 この局面においてあいつ以上の権威はいないだろう。
 命の危険にさらされている時、人は誰を頼りにし、信頼するか――それは医者だ。
 女神の気まぐれを体現した存在。世にもめずらしいと言われる真導士において、特にめずらしいとされる正鵠の真導士。絶対的な中立者とも呼ばれる性質に、医者という権威までついてきている。これを利用しない手はない。

(ギャスパルの真力が排出されれば、"共鳴"から救える。しかも、娘さん達は輝尚石を持っているから――)

 "共鳴"が解けた時点で戦力差がひっくり返る。
 俺達の勝機はそこにある。

 ――皆さん、いい人達です。真術の影響がなければ、もっと仲良くできていたように思います。

 彼女の言葉が脳裏で反響した。
 愛しい笑顔をこの手に取り戻す。彼女の望んだ明日を手に入れる。そのためなら何だってしてやるさ。

 娘達の真眼から真力が放出される。劫火の毒を帯びた白の光は、草原に大きく描かれた正鵠の真円にまかれ、天に昇り消えていく。
「いいぞ、もう少しだ……」
 左翼側から声が上がったその時、激しい怒りの気配が草原を渡ってきた。

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