蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


朝を迎える


 点呼が終わり、導士全員の所在確認が完了した。

 終わった。

 そうは思えど、どうも引っ掛かりが残っている。
 きっと一派の残りがまだ潜伏しているせいだ。張り巡らされていた蜘蛛の糸は、あとどれほど眠っているのだろう。
 ついに迎えた"風渡りの日"。
 これで終わりとは思えない。首謀者が潜伏している以上、戦いはまだ続く。
「よくやった」
 頭にでかい手が乗ってきた。乗せてきたついでにぐしゃぐしゃとかき回される。かき回された拍子に、髪に侵入していた草と木っ端が落ちていった。
「大隊長、離してください」
「まーた、かわいげのないことを。褒めてやってるんだから素直に喜べ!」
「……喜べません。そういう扱いはやめていただけますか」
 払いのけようかとも思ったが、やれば悪化しそうだ。
 副隊長に視線を送って助けを請う。しかし返ってきたのは「殴れ」という口の動きだけ。諦めずに視線を送っていたら、後方の隊員達が「顎だ」と追加を投げてくる。
 第一部隊の悪乗りには、とてもついていけない。

 隙を見て大隊長の魔の手から逃れ、同期達の輪に加わった。
 まずは友人達の手荒な歓迎を背中に受ける。他の男達からもやや遠慮気味な賛美を得ていると、鉄仮面と目が合った。眠る相棒を抱えた血みどろの男は、自分だけが見ていることを確認し、ほんの一瞬だけ本性を覗かせた。
 ……嫌な予感がする。
 言葉にできないような悪い予感が、紫の視線に混じっていた。むきになって鉄仮面を剥がしてみたけれど、余計な行いだったろうか。
 いまの気分は、どのように表現すれば人に伝えられるだろう。檻から獣を解き放ってしまったような焦燥感が、胸の一角を占めている。

「あ、サキ。……気がついた?」
 ティピアの声と同時に、娘の輪から手招きがきた。
 彼女を中心とした円は、一呼吸もおかずに白い道を形作る。そして周囲から早くも冷やかしが出されている。
 耳に入れながら、まいったなと思った。
 彼女の意識が戻ったら、真っ先に言ってやりたかった言葉がある。
 一派の野望を潰して。彼女が故郷と定めたサガノトスに平穏をもたらし。「もう、大丈夫」と伝えたかったのだが、物事はそう上手く運ばないようだ。
 戦いは続く。
 彼女は確実に巻き込まれるだろう。災いは決して彼女を見失いはしない。
 けれどいまは、この幸せを感受しよう。
 目覚めたサキを迎えるのは、埃にまみれた満開の笑顔。驚いた顔をして、目を丸く開いて……とろけるような顔で幸せに埋もれていくはずだ。
 白い道の果てで、薄い金がふわりとゆれた。
「ローグ」
 甘い声が、疲れた身体に染み渡っていく。視界の外から「顔がゆるんでるぞ」と飛んできたが、多忙を理由に無視してやった。
 いまにも泣きそうな顔をして彼女が笑っている。
 近くまできて、やっと触れられた清涼な気配。涼しげな真力がそよそよと流れ、疲れ切った真眼に慰めをもたらした。
 彼女の風が呼び寄せたのだろうか。
 箱庭の草原に一陣の風が吹く。真向かいからやってきた風が、棒になりかけていた足をわずかに押し返してくる。
 嘘だろうと言ったのは他の誰でもない。自分自身だった。
 周りを囲んでいた笑顔が驚きへと変化し終える直前。勘が己の身体を力づくで後退させる。

 彼女の中、常に在ったはずの不安の渦が痕跡すら残さず消えていた。考えられない現実を認めて、また一歩……自身の意思で後退した。
 目が忙しなく動き、探す。どこかにあるはずだと、頭で勘が絶叫している。
 柔らかな髪。甘い琥珀の瞳。色味が薄い肌。首筋にある赤い線。
 一つ一つ確かめて、ついに真実を発見した。
 本来そこには彼女の悩みの種がある。
 なかなか消えないと嘆いた彼女が、美白粉の追加を頼んできたのは昨日のこと。――それなのに、黒子がない。

 身構えた自分に、笑いを浮かべた人形が全速力で駆け寄ってくる。三歩の距離までやってきたところで、からまる劫火の糸を感知した。

 退避と叫んだのは大隊長だった。
 結末を見届ける前に、清涼な真力が炸裂する。目と耳は一瞬で機能を停止した。
 たっぷりと時間を飲んでから、展開された真術を認識する。
 旋風と結界。
 第一部隊によって構築された守りの壁だ。
 眼下にはぼろぼろと崩れ出した草原がある。古い塗料が剥げ落ちるかのようにひび割れ、光の粉となって大気に消失している。
 爆発地点は、白楼岩がむき出しとなっていた。
 光と砂塵が混ざった大気が霧のように広がり、視界をいたずらに妨げてくる。
 背後には大隊長の気配がある。ふと見やれば右腕をしっかりと握られていた。近場にいた副隊長が導士の安否を問い、隊員達から情報を収集している。

 彼女ではなかった。

 内側からそよいでいた風は、真力の輝尚石だったのだ。真術で構築された人形に、特有の気配がからみついていた。それを思い出し、劫火の男を探す。
 心臓が破裂しそうな早さで鼓動を刻んでいる。
 "暴発"したのは偽者だった。ならば、サキはいまどこにいる?
 どっと心臓が音を立てて、身体中に熱い血を流していく。
 隅々まで流れた血流は、熱い感情を乗せていた。種類はわからない。ただその熱さだけが意識に深くこびりついた。
 どうしようもない衝動が、全身を駆け抜ける。
 目的地も定めぬまま空を行こうとしたのを、首に回り込んできた腕に引き止められた。

 視界を遮断していた粉塵が、轟きと共に押し出されていく。腕の主が放った巨大な風は、狭い世界を縦横無尽に駆け巡る。
 あらゆるものをなぎ倒し。煙幕を揉み消して。とうとう箱庭にやってきていた招かれざる者をいぶり出した。
 爆発が起こった地点を中心とし、ちょうど反対の位置に人影が浮いている。崩壊が加速している森の上空に、赤い刺繍付きのローブがはためいていた。

「ドミニク……」
 副隊長が呼んだ男に、見覚えがあった。
「よう、グレッグ。久しいな」
 その陰惨な表情は、夜襲をしてきた時とまったく同じだった。親しげに副隊長と言葉を交わした男の隣に、捕らえていたエドガーの姿も見えた。混乱に乗じて奪取されたようだ。
「大人しく投降しろ」
「お断りだ。まだお役目が残っているんでね」
 説得は不可能だと考えたのか、大隊長が即座に捕縛命令を下す。最後に「生死問わず」と加えられたのを、男は満足そう聞いていた。
「これはこれは、下役相手にまるで大鼠の扱いですな。貴方の判断は、時折ひどく驚かされますよ。……まさか」



 ――まさかあのような小娘に"神具"を持たせていたとは。



 息が止まり、目の前が真っ暗になった。
 暗闇に彼女の姿が沈んでいく。
「確保――!!」
 号令が走り、隊員の一人が先陣を切った。
 それと同時に、ドミニクが左手を掲げて箱庭に終焉をもたらす。火山が噴火したような轟音にまぎれて、男の高笑いが聞こえてくる。

 崩壊していく世界で、翼を呼ぶ。
 応えがないと知っていても、呼ばずにはいられなかった。



 闇夜で二つの星が頂点の輝きを誇っていた。
 白き彼等が織りなすのは、赤い悲しみか、黒の喜びか。

 "第三の地 サガノトス"が、運命の朝を迎えた。

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