日々のかけら・その2


● あの後


「いいなあ……」
 深い深い溜息と一緒に、ブラウンは落ち込んだ声を出した。

 ここは聖都ダールの"風波亭"。
 苦行から解放された面々と夕食にありついている。
 正師の奢りと聞いたからか、卓にはところ狭しと食い物が乗っかっている。
 成人したと言っても、まだまだ酒より食い物の方が重要。腹が減ってふらふらだったので、運ばれてきた食事はすぐになくなっていった。それこそ店の親父さんが大笑いするほどの喧騒だった。五皿を数えるまでは、ほとんど争奪戦。十皿目でようやっと落ち着いてきた。
 食い気が治まったのを見計らい、酒も振舞われた。
 好きなだけと言った正師の言葉に間違いはなく、並べられたボトルはかなりの勢いで消費されていった。キクリ正師が薦めてくる酒は美味なものばかり。真術だけでなく酒の味も教えてくれるなんて、ほんといい親鳥だ。
 親鳥に薦められるまま飲んで、全員に酔いの色が見えはじめた時。この一言が出た。

 いったい何の話かとブラウンを振り返る。
「何が?」
「見たでしょ。ローグレストさんとサキさんの"あれ"」
 あれとはやっぱり"あれ"のことだろう。
 いつか酒の肴として出されると思っていたけど、ブラウンが早々に卓へ乗っけてしまった。
「いいなあ……。オレだって娘さんにあんな風に抱きつかれて、『会いたかった』って言われてみたい……」
 お騒がせ番の熱にあてられたのか、ぐったりと肩を落とし寂しそうに言う。
「同い年なのに。同じ真導士なのに。……どうしてここまで違うかな」
 しょぼしょぼと卓に沈み込んだブラウンの背中を、フォルが撫でてやっている。
「諦めろブラウン。あの人とオレ達じゃ出来が違う」
 追い討ちのような慰めを聞いた同期達から、溜息が落とされていく。
 つられて一つ溜息を落とし、なんだかなーと拗ねたような心地になる。

 成人したての男に恋人ができることは稀。
 そもそも親交があるとか、下地が作られていればわからなくもないけど。
 あいつの場合、ひょっこり聖都にきて。ばったり森で会って。そのまま一緒に暮らして、あっさりとくっついたわけで。
 そりゃ本人は苦労したつもりだろうけど、普通はその何倍も苦労する。そんでもって何倍もの時間が必要になる。
 はっきり言って、あの二人の進展はとんとん拍子。
 ……そりゃ羨ましくもなるよな。
 今回の騒動でしんどい思いをしたと言っても、まだまだ女神の加護が厚いように思う。ああ女神よ。別にローグの加護を削らなくてもいいので、こちらにも目を向けてはくださいませんか。

「あーあ、こんなに真面目に生きてるのになー」
「そんな……、ヤクスさんだって十分恵まれているじゃないですか」
 ダリオの発言に何でだと目を剥いた。
「あんな美人な相棒がいて。オレ達、全員男の相棒なんですよ? 娘さんってだけでも羨ましいのに……」
「いやいやいや、大きな勘違いをしてる。確かに外見はすんごいけどさ」
 言えば嘘付けという顔になったのが五人。そうだよなと同情的な顔になったのが二人。表情を変えなかったのが一人。
 これは大いなる誤解だ。もしかしたら女神も勘違いしてんじゃないのかと不安になる。
 それはよくない。
 もしもそうならと誤解の撤廃に全力を注ぐ。
「レニーは確かにきれいなお嬢さんだけど、性格はきっついんだ。オレなんか会ったばかりの時に、けっちょんけっちょんに言われてさ。しばらく落ち込んでたくらいだよ」
「何て言われたんだ?」
 夜になっていよいよ元気になってきたクルトが、興味津々に聞いてくる。
 こういうところは相棒とそっくりだ。
「そうだなー。まずは"邪魔になったら置いていくから、一人で何とかしなさいよ"。それから……」

 荷物くらい持ちなさいよ。気が利かない男ね。
 あの真円も視えないの? 本当に選定を通過したのかしら。

 あとは靴の泥を払えとか。森なのにお茶を淹れろとか。家を建てたら建てたで、掃除はやるのよねって押し切られたりとか。
 麗しのお嬢様に言われたことを復唱する内に、また落ち込みたくなってくる。思い出せる限りのお言葉を伝えれば、卓のすべてが同情的な顔へと変わっていた。
 この事実が女神にも伝わっているといい。
「あ……でも、親交が深まってきたらやさしくなったり」
「しない、しない。レニーのは筋金入りだから」
「でも、ヤクスさんは相棒だし。一応は特別な相手だから発展なんかしちゃったり」
 一応って言われた。
 そうなんだけど、さすがに悲しい気分になる。
「ぜっっったいにない。先に繋がらないから駄目なんだよ、彼女の場合」
「先?」
「うん。レニーの家は名門だから。婚姻する相手には条件があるんだってさ。真導士であることが絶対で、できれば貴族出身か騎士の称号。真力の高さにも厳しいらしくて最低三つ目以上。オレは町医者だし、二つ半だから論外なんだって」
「へ、へえ……。大変なんですね色々と」
 引きつった顔で曖昧な感想を述べたダリオの隣で、キクリ正師が笑っている。
「まあ"ガゼルノード家"ゆえ、仕方あるまい。レアノアはレアノアなりに大変な思いをしているさ」
「そうみたいですね」
 お嬢様相棒の実家嫌いは相当なものだ。貴族のお姫様も。真導士一族のご令嬢も。万事こなさなきゃいけないレニーには、凡人では想像もできないような重圧があるだろう。
 そうは言ってもきついものはきつい。
 いかに美少女であろうと、名誉や財産が得られようと、オレにだって好みはある。
「やさしくって、ちょっとの失敗くらいは見逃してくれるお姉さんって、どこかにいないかなー」
 嘆きを卓に乗っけたところ、同期達がいっせいに天井を見上げた。
「いない……」
「いないな……」
「そもそもお姉さんに知り合いが……」
 何とも頼りない返事が方々から落とされる。
 華のない生活とはこのことかと、酒を片手にしんみりした。



 ここは聖都ダールの"風波亭"。
 華やぎからは縁遠い男達に与えられた、心の憩い場である。

● あの後の二人


 どうしてこうなる。

 自分をじっと見てくる琥珀を見返しつつ、心で嘆いた。
「……何ででしょう」
「いや、だからな」
「また怒っているのですか」
 またって何だ。
 怒っていないと伝えたのに、誤解が根付いたままではないか。
「何度も言うが怒ってはいない。わかったなら枕を返してくれ」
 枕を受け取ろうと手を伸ばしてみたけれど、蜜色の相棒は枕を抱きしめたまま離そうとしない。
 むうっと眉を寄せて、毛を逆立てて抵抗の姿勢を示している。
 今回は絶対に自分が正しい。
 そうだとしても、彼女から抵抗を受けると怯んでしまうのも事実で……。すっかり尻に敷かれてしまったことを追加で嘆いた。
 頑なにそうはなるまいと思ってきたが、自分もあの海の男だということか。

 カルデスの男は喧嘩に滅法強く。女には滅法弱く。そして女房には絶対に頭が上がらない。

 まだよくわかってなかった子供の時分は、何でどこも嫁さんばかりが強いのかと疑問に思っていたのだが。多分、どこの家の親父もこういう経緯で尻に敷かれていったに違いない。
 ……華の季節はかわいいわがまま。年月経てば女房の小言、だ。
「何で今日は駄目なのですか」
 蜜色の猫が、枕にじゃれつきながら鳴き声を上げる。いつのまにかねだり方が上手くなってきている。
 ああ、これはいかん。
 変な方向に急成長をはじめているサキの行く末を案じた。
 真っ直ぐ育つよう、慎重に添え木を差していたのに。あっちこっちから余計な添え木を差し込まれて、ツルが絡まってしまったのだ。まあ、自分も余計なことをしていた自覚はある。大いに反省して、今後は彼女の道を正していかねばと決意する。
「サキ、もう眠り病は治っただろう。俺も体調が整ったから、お互いの看病は必要なくなった」
 惰性から生まれてしまった習慣だったけれど、そういうことにしてしまえ。
 表情を保ち、できる限り真剣な顔を作っておく。
「だから、元通り別々に休もう」
「……嫌です。一緒に寝ます」
 完全にいじけた猫が、拒否を出して枕に顔を埋めた。どうあっても枕を返すつもりはないらしい。
「どうして急にそんなことを言い出したのです?」
「看病の必要がなくなったからだ……」
「嫌です」
「何でだ」
 普通は逆だろう。
 普段あんなに慎み深いのに、どうしてこうなるのだ。
「だって……。だって……」
 猫が小さく鳴いている。折れそうな心を補強しつつ、表情を崩さぬ努力を続ける。
「一緒に寝るとあたたかいです」
 焼け石扱いか。
「これから暑くなっていく」
「でも、朝は肌寒いです。倉庫からもらってきた掛け布があれば、暑い日も寝苦しいことはありません」
 真導士の里は至れり尽くせりで……迷惑な時もある。
「一緒にいたいです」
 これにはぐらっとした。
 大急ぎで補強を重ね、どうにか乗り切ろうと気力を整える。
「……それに」
「それに?」
 サキは少しだけ言い淀み、夢を……と切り出した。
「ローグと眠るようになって、あの夢を見なくなりました。朝まで眠れるのがうれしくて……」

 一緒にいると、安心するから。

「どうしても駄目でしょうか」
 補強に勤しんでいた手が、ついに止まってしまった。上手くつぼを突かれ、思わず天を仰ぎ女神に苦情を上げた。
 時として荒れ狂う故郷の海。
 あの海に生きる男達に、脈々と受け継がれているその癖は、確かに自分にも受け継がれている。
 これは卑怯だ。
 誰かから入れ知恵されたのか。もしそうなら、きっとそいつを湖に沈めてやろう。
「サキ」
 枕に顔を埋めている彼女に、諦念を抱えながら語りかける。
「今晩だけだぞ」
 ぱっと顔を上げた猫は、鼻を赤くしている。
 枕に押しつけたせいだろう。
「――うん」
 喜びと混ざって出てきた返事。その返事を聞き、甘やかし過ぎたかという後悔は、海の彼方へと飛んでいった。
 いそいそと枕を寝床に並べているサキの向こうで、白の獣がこちらを睨んでいる。
 ちらと牙を覗かせている姿が、あまりに不穏だ。
 獣の視線から逃れ、寝支度を整えようと自室に戻る。

 頭を冷やし。気力を整え。よしと気合を入れてから、衣装棚を開ける。
 夜着の脇に隠しておいた小さな包み。長身の友人から貰い受けた心配と気遣いを手にし、口を開く。
 今晩だけとは言ってみたものの、思ったような流れになるか正直不安だ。
 明日にでも睡眠剤の追加を依頼しておこうと、ヤクスの顔を思い浮かべ。気を紛らわしながら支度を整えて、自室を出る。



 初恋に苦戦するカルデス商人は、奔放に育つ恋人に、今日も振り回されている。

● 続・面倒なやりとり


「いま……、何とおっしゃられましたか?」

 頓狂な声で問う男。以前も同じようなやり取りをしなかったかと、奇妙な錯覚を抱く。
「衣装の必要はなくなった。これ以上は見繕わんでもいい」
 依頼の中止を伝えたところ、呆けた顔のまま動きを止めてしまった。乾き物が足りていないが、気づく様子はなさそうだ。
「私どもの品が、ご不興を買いましたでしょうか」
「違う。用が済んだだけだ」
 いいから追加をと、指で小皿を示す。
 軽快な音を立てて種実が落とされていく。小皿に盛られた種実はいつもより量が多い。手元を狂わすとはめずらしいこともある。
「そうでございますか。こういったことはよくあるお話なので」
「今回が初めてだ」
「次はいつ頃になりますか」
「予定はない。……やけに食いつきがいいな、コンラート。何を企んでいる」
「何をおっしゃいますか旦那様。いえね、すでに仕立てた衣装が本日届きまして。夏のご衣装ですので、近々にご予定があればと……それだけでございます」
 返答は納得がしやすい形にはなっていた。
 しかし、それだけではないと長年の経験が言っている。

「支払いはする」
「それはそれは、ありがとうございます。ですが旦那様。せっかくお嬢様のために仕立てた品です。このまま一度も袖を通されないのは、もったいのうございます。箱を整えますので、お嬢様におくられてはいかがです」
 腐るような物でもなし、機会があるまで仕舞わせておけばと思っていたが。
 ここは、コンラートの提案に乗っておいてやろう。余計な企みをされては今後に影響が出そうだ。送るだけなら手間もさしてかからん。
「手配は任せる」
「承知いたしました。それでは少しの間、お待ちいただけますでしょうか」
 一礼して奥に下がっていった男を見送る。
 いまの内にと水晶を取り出し、真力を籠めておく。
 そういえばあの犬は、言い渡した修行をさぼっていたようだ。難しいだの文字が読めないだのと、尻尾を丸めながら弁解していた。犬の躾は想像以上に難しい。真術を覚えるなら真術書を読むのが近道。
 だが文字を読むところからとなれば、時間がかかり過ぎる。そうかといって手ほどきをしようにも、天水は専門外だ。こればかりは如何ともし難い。
 せめて冬までに、ある程度の真術を身につけさせねば――。

「お待たせいたしました」
「コンラート、これも荷につけておけ」
「かしこまりまして。……旦那様、こちらだけでよろしいので?」
 輝尚石を受け取った壮年の男は、何故か不満そうな顔で聞いてきた。
「そうだが」
 何を言っているのか。
 この男、また奇妙な企みをしているのではなかろうな。
 問えばコンラートは、心底嘆かわしいといった顔で溜息を吐いた。
「旦那様。こういう時は手紙を添えるのが筋でございます。相手はうら若きお嬢様なのですよ。お気持ちを汲むのが男の役目でございましょう」
「……何?」
 流暢に語りだしたコンラート。こうなると止まらないのは、長い付き合いの中で心得ている。
「控えめで大人しいお嬢様ですので、他のお嬢様方と同じ手は使えません。一般的な手段では通用しないこともありましょう。そうかと言って、手を抜いたように見えるのは良策ではありません」

 語り出しだけ耳に入れ、長々とはじまった演説から意識を遮断する。
 この男、客をつかまえておいてよくしゃべる。暇つぶしには丁度いい。しかし、追加を頼むのに苦心する。
「品に手紙を添えるのは常套手段。ありがちだからと倦厭するお気持ちもわかります。わかりますが、ここは是非とも添えておきましょう。型を踏襲したとしても、要は中身が際立っていればいいのです。夏ですので舟遊びのお誘いが多いでしょうね。そういったものを外しておけば、その他の中に埋もれることもないでしょう」
 塩がまぶされた種実を口に放り込む。
 多いは多いが、食い切れぬ量でもない。
「お嬢様はどういったことに興味をお持ちでしょうね。聖都はこれから華やかになっていきます。演劇を観るもよし、楽団の調べに耳をかたむけるもよし。そうそう、今年は手品を得意とする一団が、聖都入りすると聞いております」
 次の任務は聖都からほど近い場所。
 明日から調査を開始すれば、三日以内に解決の目処が立ちそうだ。
 あの町には、里の物品を取り扱っている店がある。足を伸ばすついでに真術書を見てくるか。手がかかるのなら、なおのこと早めに取りかからねばならぬ。
「十五になったばかりと、楽観的に構えていてはいけません。十五、十六が一番声をかけられやすいのです。とはいえ、いきなり招待状を送るのは不躾かもしれません。今回はご機嫌伺いを兼ねて、お嬢様の好みを探られるのがよいかと……。聞いておられますか、旦那様」
「ああ」
「左様で。では、こちらで一式ご用意いたしますので、酔いが回る前にお書きください」

 何の話だ。

 いや、やめておこう。聞くとさらに面倒かもしれぬ。
「贈り物に添える手紙でございます。気の利いた言葉の一つは入れてくださいませ。何卒、お忘れなきよう」
 会話を流しきったのが吉と出たか、凶と出たか。コンラートは羽ペンとインクを並べ、再び一礼をし出て行った。
 壮年の男の背中を見送り、会話がかみ合っていなかったという事実に気づく。
「……そちらだったか」

 些細な言葉の違いだ。訂正するのもまた面倒。
 壮年の商売人に別の企みをされるより幾分ましかと考え、羽ペンを手に取ることにした。

● あの後のその後


 ……あー、結構酔ってきた。
 調子に乗って飲み過ぎたな。寝る前に薬湯だけは飲んでおこう。
 二日酔いになって、医者の不養生と笑われたらかなわないね。

 へろへろになった八羽の雛と、まだまだ余裕な親鳥は、"風波亭"で夜を過ごしている。
 男が雁首揃えて話すのは、仕事、酒、女の話と決まっている。
 まあ、決まっているはいるけれど、オレ達は真導士としても男としても半人前。
 仕事や酒で盛り上がるなんてまだ早い。話はあちらこちらに飛び。大騒ぎと大笑いを巻き起こした挙句、また振り出しに戻ってきた。

「結局さ、男は顔なんだよ。ローグレストさんやイクサに敵うわけないじゃないか。最初から勝負なんて決まってるんだ……」
 今日わかったのは、何だかんだで他の奴等も恋人作りたいんだなってこと。それから、ブラウンに絡み酒の癖があることだ。
「わかる! そうだよなあ。オレ達なんて、まずお嬢さん達の話題にすら上らない」
 そんでもってフォルは片想いをしてるってことか。
 "三の鐘の部"にいる娘さんらしいけど。例の騒動のせいで、燠火の四人の評価は最悪。半分諦めていると泣かせることを言っていた。
 エリクは恋がどうのというより、色気の方に走っていた。何せ"華招園かしょうえん"に行ってみたいとか喚くから困りもの。そのせいで「夜の街に憧れがあるのも半人前の証だ」と、周りの卓から冷やかしをいただいてしまった。それでもめげなかったエリクは、正師に連れて行ってくれとお願いもしていた。残念なことに上手く流されていたから、実現はしないだろうな。
 好き好きに喚いている中で、ダリオだけは何も言わない。
 チャドみたいに顔を赤くして俯いていれば放っておいたけど、何か言いたそうだから気になってしまう。

「ダリオ、どうした」
「……え」
 何がですかと問う顔に"動揺"と書かれている。これは突いてくださいと言っているようなもんだろ。
「まさか、お前。抜け駆けしてるんじゃないだろうな!」
「し、してないよ! 無理に決まっているじゃないかっ」
 べろんべろんのブラウンが乗っかってくる。酒臭いし重いしで大変だ。帰りはフォルに任せてしまおう。
「無理……ですか。どなたかいらっしゃるようですね」
「へえ、意外だ。おいダリオ、素直に吐けよ。何だったら相談乗ってやるぜ?」
 カルデス商人の恋路で実績があるからか、ジェダスもクルトも「よっしゃこい」という顔になっている。
「逃げ切れないと思うから話しちゃいなよ。楽になるかもしんないし。手伝えることあるかもだしさー」
 酒は気を大きくする特別な薬。つい調子に乗ってダリオを煽る。
 しかしこのダリオ、思わぬ爆弾を抱えていた。聞かなきゃよかったと思ったのは、ばっちり聞いてしまった後だった。

「……誰にも言いませんか」
「言わない、言わない。ここだけの秘密にするからさ」
「絶対にですよ」
「わかったって。いいからとっとと言えよ」
 卓の上に腕を乗せた。
 前のめりに集まった同期達を見渡し。酒をぐいっと飲んでから、ダリオが爆弾投下の準備を整える。
「無理だってわかっていても、つい気になってしまうんです。最近は挨拶してくれる日もあって。声をかけてもらっている内に、どうしても否定しきれなくなって」
 長い前置きに、クルトがじれったそうにしている。
 仕方ないので、卓の下から小突いておいた。
「この間、倉庫まで一緒に行って。荷物持って帰ったらありがとうって言ってもらえて。聖都に下りた時も楽しそうに買い物していて……そういうのいいなって思ったり」
 何の話かさっぱり。
 そう思いながら先を聞こうと我慢していたら、目の前で燠火三人の顔色が悪くなった。
「お前……」
「ちょ、ちょっと待て」
「やばい。やばいよそれは」
 口々に言い募られ、ダリオは頭を抱えた。
「頭ではわかってるんだ。でも、でも……こっそり想ってるくらいならいいだろ。二人の前では普通にしてるから……」
 せつない告白なんだけど、背筋に寒気が走った。
 まさか。まさか……。
「もしかして、サキちゃんのこと好きになっちゃったのか?」
 こくんと頷いたダリオを中心に、卓の上が大混乱に陥る。

「駄目だ。絶対に駄目だー! ダリオ、目を覚ませー!!」
「相手が悪いなんてもんじゃない! お前、次こそは湖に沈められるぞ。忘れろ、な……? 今日、酒飲んで忘れちまえ!」
「気の迷い……。いや、きっと真術のせいっす! 正師、こいつも"治癒室"に連れて行ってください!」
 こりゃまいった。儚い琥珀の友人は、どうも燠火を引き寄せる力でもあるようだ。
 燠火と天水は相性がいいって聞くけど。……これはさすがに、ね。
「正師。恋に"忘却の陣"って効きますか」
「うん? まあ効くには効くが施してはやらんぞ。恋の痛みを知るのも成長の醍醐味。諦めると決めているなら止めはせぬが。諦め切るまでがんばってみなさい。何でも真術で解決しようとしてはならん。そんな甘い考えでは気力の成長が止まってしまう」
 突然はじまった座学の時間。
 この人、身体の芯まで"正師"が染みついているんだろう。
「恋愛結構。失恋も大いに結構。ダリオよ、壁を乗り越えたら見えてくるものがあるやもしれん。辛ければ話ぐらいは聞くぞ。同じ雛ゆえ、等しく応援しよう」
「……応援って、負け戦でしょう」
 ダリオは重荷を降ろしたためか、ちょっとすっきりした顔になっている。
「いいや、まだわからんさ。男女の仲など、どのように転がってもおかしくはない」
 年上に言われると説得力がある。
 と言っても、あの二人の仲が拗れると大変だ。
 確実に巻き込まれる予定のオレとしては、やっぱりローグを応援しておくべきだな、うん。
 見捨ててごめんなと、内心で謝っておいてから、話題を変えようと口を挟む。

「正師って恋人いるんですか?」
 キクリ正師の眉がひょいっと上がる。
「残念ながら四大国は男余りゆえ」
 意外な返答。
 地位も力もある好人物だから、恋人はいると思っていた。懸想している娘さんを何人か知っているし。もてないわけじゃないだろう。
「そんなあ……。正師でも苦戦するなら、オレ達なんて無理ですよ」
 夢も希望もないとブラウンが泣き真似をしている。だから、野郎が拗ねてもかわいくないんだって。
 同期の連中は、何度言っても同じようなことを繰り返す。
 いい加減、放っておくことにしよう。
 おいおいと泣く雛を慰めるかと思いきや、キクリ正師は腕を組み、天井を見上げた。
「道とは長く険しいもの」
 座学が再開されたのかと思ったけど、様子がいつもと違う。
「数々の試練を越えてこそ、未来が輝くと信じている。宿命の道が険しいのは承知の上。あとは己の意志との戦い」
 ぽかんとなった雛を置き去りに、正師は遠くを見たまま溜息を吐いた。
「……と、気持ちを固めてから何年にもなる。真に険しき道だ。お前達はまだ若いのだから、最初から無理だと決めずに挑戦しておくといい」
 三十路に届く前にはどうにかしたいと独りごちた正師に、誰も何も言えなかった。
 どうもキクリ正師は、難しい恋をしているらしい。



 ここは聖都ダールの"風波亭"。
 寂しい男達に与えられた、心の癒し場でもある。

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