蒼天のかけら 幕間 真導士と花祭り
真導士と花祭り(2)
いま抱いている感情を、正しく言葉にするのは難しい。
ありとあらゆる感情が、入り乱れて混ぜこぜになっている。如何なる詩人であろうとも、自分の感情を的確に表現できる者などいないだろう。
じりじりと焼け焦げた感情を腹の中で飼いながら、ごろりと横に転がる。
日に日に暑くなってきている大気。おかげで窓を開け放しているというのに、涼を感じることができない。
転がっているだけで背中に熱が溜まり、不快感が増す。
こういう日は、蜜色の相棒の傍にいるのが一番いい。だが、またもや部屋にこもったきり出てくる気配がしない。
立場が悪くなると、すぐ自室に避難する。何かあると逃げ帰るなんて、ジュジュと同じだ。いまごろ部屋で小さくなっているに違いない。
問題の腕輪は、彼女の手に渡ってしまった。
証明がある送付物なので捨てる必要はないと、血相を変えて言い募ってきた彼女に負けたわけではない。人の贈り物を勝手に取り上げるのはよくないと、忠告してきたヤクスに負けたわけでもない。
ジュジュが飛んできたのだ。
棚の上から飛び乗ってきた獣に気を取られた隙に。自分の腕から、サキが小箱を奪っていった。
両手できつく抑え。大切そうに抱き締めながら、自室に駆けていった彼女。
ひど過ぎるだろう。
やっとの思いで、気持ちを通わせ合ったばかりだというのに。彼女は相変わらず儘ならない。
婚姻してしまえば、女は男の意志に従う。
しかし、婚姻前の男は散々と言っていいほど、女に振り回されるのが世の常。
数の少なさで優位を保っているのもある。
ただ女は、婚姻した後、一生を男の意志の下に生きていくことになる。選ぶ女側も必死だ。
演劇や小説の題材として、数多く描かれている男女の哀楽。
知識として、常識として知ってはいた。されど、体験するとなれば辛いものだ。女に振り回される男達を、滑稽だと笑えていたのは遠い過去になってしまった。
四大国全体の男女比率は、現在のところ六対四。
王侯貴族が複数の女を娶るため、一般の男達の競争率はさらに上がる。
例え想いを通わせ合ったとしても、まだまだ油断はできない。神殿の名簿に二人の名が載るまでは、誰にでも機会はある。それを見越して、目立たぬようにと隠していたはずだったのに……いったいどこで目をつけられたのやら。
自分の腕の中で、ひっそりと実った白い果実。派手な花を咲かせなくとも、蜜の香りに誘われて飛んでくる虫は、思った以上に多いらしい。
本当に迷惑な話だ。
ごろりとしていた寝床から、半身を起こす。
うだうだと悩むのは、やはり自分に合っていない。何か行動を起こすべきだ。
とにかく虫よけの強化と、あの男への対策が必要だろう。
幸い……と言っていいかは謎だけど。サキは世慣れていない。複数の男の間でひらひら舞って、相手の気持ちを弄ぶような真似は絶対にしない。これだけは確信を持って言える。
はっきり好意を表明した彼女の心は、いま現在、自分に向いている。
虫よけに最適な品は、香油と髪飾りと服。そして装飾品。
ゼニールの腕輪など、虫よけとして最上級の品だと言える。のろのろとしていたから、先手を打たれてしまったのか。
……腹立たしいことだ。
流行りの敏感な者であれば。あの腕輪を見ただけで、貴族か豪商の想い人だと勘違いをしてくれる。余計な虫を掃うには最適だ。
しかし、虫を掃ってくれるなら歓迎できる。貰ってしまったものは仕方がない。悔しいが、ここは便乗させてもらおう。自分で動かなくとも、利が得られるのはいいことだ。
他に必要な虫よけは、髪飾りだろうか。服を贈ってもいいけれど、日常を白のローブで過ごしている。見えない虫よけは無意味だ。髪飾りならば誰の目にも入る。早いところめぼしい品を探しに行くか。
あとは、あの男だな……。
何から手をつけよう。そもそも何者かもよくわかっていない。
知っているのは、サガノトスにとって特別な高士だということ。そして年齢ぐらいだ。これでは対策などしようもない。
知己を探してみるか? 高士連中と仲がいいとは思えんが。例えば同期であれば、知っていることも多いだろう。しかし同期を当たるにしても、唯一の手掛かりはシュタイン慧師のみ。
慧師はさすがに無理だ。
選定の時と、中央棟の面談時の他に、顔を合わせたことがない。最上位の真導士に、一介の導士が気軽に尋ねて行くのは難しい。他の同期を探すとしても、名前すら知らないのではな……。
そう、それだ。
同期連中の名前を探してみるのが先だ。図書館に行けば、名簿くらいは取ってある。
自分達の名簿が入っている棚に、過去分の名簿が並んでいたのは知っていた。
できることからこつこつと、だ。
さらに対策を打つならば、サキの気持ちを手放さないこと。
これが何よりも肝要だ。
みっともない部分ばかり晒していては、せっかくの想いが離れてしまう。ヤクスから散々言われたが、どうも自分は短気なようだ。故郷では、一度も言われたことはなかったけれど、カルデスの外では短気の部類に入るらしい。
寝転がった拍子に乱れた頭髪を整える。
外見の乱れは心の乱れ。店構えが汚ければどんなにいい品であろうとも、三流に落ちる。死んだ婆さんが言っていた言葉が、ふっと頭を横切った。ついでに喧しい実家の様子が浮かんできて、げんなりとする。すっかり記憶から飛びかけていたけれど、郵送物の中に実家からの手紙が来ていた。
読みたくない。
しかし、読まなければ帰った時が面倒だ。
重い腰を寝床から上げ、机の上に広がる雑多な郵送物の中から手紙を抜き取る
相変わらず分厚い……。
この字は二番目だな。自分への手紙は交代制になったらしい。まだ小さい六番目と七番目以外の三人が、交互に手紙を書いてくる。一番目からの手紙は来ないので、まだ実家に戻っていない様子。行商を言い訳に、いったいどこまで行っているのやら。
封を開けて、真っ先に出てきたのは輝尚石の一覧だ。
自分の籠めた輝尚石は、高く売れたらしい。もっと送ってこいと催促してきている。真導士が個人的にやりとりできる輝尚石の数は、里に規制されている。前回の手紙で説明したはずだろうが。
兄弟の中でも押しが強い、二番目らしい手紙だ。実現は不可能なのでさっくりと無視をする。
後は、各町の流行りを探って来いとか、そういう話ばかり。元気にしているかの一言もない。あいつらに案じられてもとは思えども、何もないというのもどうだろう。
あれやれ、これやれとの指示は、実家にいる時と同じ。真導士の里にきてまでこき使われるとは、思ってもみなかった。特に家族についての話に飛ばないので、いつも通りなのだろうなと理解して読み進めていき……最後の一文に到達して、げんなりとした気持ちが大きくなった。
手紙の末尾にはこう書かれている。
いい女がいたら紹介しろよ。
冗談も、休み休み言え。自分のことで精一杯なのに、兄貴の面倒など見ていられるか!
普通は逆だろう。一切頼りにならない兄達を脳裏に浮かべて罵倒してやった。矢の催促を甘んじて受けているがいい。
むかついた気分を手紙ごと丸め、強引に封筒に戻して机に仕舞う。
……ったく、何の参考にもなりはしない。
むしゃくしゃとしながら椅子に腰を掛け、机の上に肘をついて顎を乗せた。
空を見つめながら、考えるのは彼女のこと。
主張しないサキの好みは、相変わらず把握できていない。
先ほどの腕輪だってきれいだとは褒めたものの、うっとりと見蕩れるとまでいかなかった。ゼニールですら劇的な効果が見えないとは、なかなかに手強い。
この間は失敗してしまったけれど、もう一度聖都に下って買い物でもするか。
しかし、毎度毎度ダールで買い物というのもつまらんな。ここは一つ、他の町に行ってみるのもいいだろう。
そういえば……と。
ついいましがた、適当に丸めた手紙を振り返る。
二番目の手紙に書かれていた町。聖都から近く、聖華祭に並ぶほど有名な祭を催している町の名前。
花祭りのルーゼ。
花姫の伝説が生まれた町で行われる、一年に一度の祭は。ちょうどいまの時期ではなかったか?
日付を確認しようと、分厚い手紙を取り出して紙をめくる。
出てきた日付は明後日。都合が良いことに次の日は休みだ。座学を終えて出掛けて行っても十分間に合う。休みの前日ならば、時を気にせずゆっくりと楽しめるだろう。
里の外なら、ギャスパル達を忘れていられる。久しぶりに二人で、解放感を味わいに行くとしようか。