蒼天のかけら  おまけ・バトときのこ


おまけ・バトときのこ


「どうか……しましたか?」
 気まずい沈黙に我慢ができず、おそるおそる声をかける。

 任務から帰ってきて、ある程度の時間が経過している。それなのにバトの放つ真力が冷たさを帯びていた。
 おかしい。
 帰ってきた時は何ともなかったのに。
 凍える気配をまとったバトは、無言のまま卓を睨みつけている。
 視線の先には一枚の皿。
 副菜として出した、野菜ときのこの炒めものが乗っていた。
「バトさん……」
 呼びかけてみれば、横目で視線を返してくる。しかし、しばらくするとまた皿を睨みはじめてしまう。
 何がこの人の琴線に触れたのか、皆目わからない。
 さっきまでは普通だった。むしろ機嫌はいい方だった。ここ三、四日は、任務から帰っても気配が落ち着いていたし。表情だってそこまで硬くはなかった。

 ちょうど夕飯の支度をしている最中に帰宅したバトは、早々に湯を浴びて楽な格好でくつろいでいたのだ。
 帰ってきた時も……大丈夫だったはず。
 頼んでいた食材も持って帰ってきてくれた。
 基本的に任務以外の事柄に、労力を使わない人ではある。しかしいまは、自分を保護するという任務も負っている。
 頼みごとも任務内に組み込まれているらしく、外に出る以外であれば願いは叶えてもらえる。それに食材の手配はバトがしているのではなく、コンラートがしてくれている。だから、手を煩わせてはいないと思うのだけれど……。
「今日の任務、大変だったのですか」
「いいや」
 端的で簡潔なお返事である。
「えっと……」
 冷たく輝く青銀に、立ち向かっていくのは勇気がいる。
「その、お気に召しませんでしたか」
 高級店を馴染みにしている青銀の真導士には、自分の食事が合わないのか。
 ……まあ、あれほどの料理はそうそう作れないけれども、味付けを酷評されたことはいまのところない。昨日も残さず食べてくれていた。
 変だなと思いつつも、念のためにと聞いておく。
 聞けばまた「いいや」と返ってきた。

 どうしたものか。

 淡々と時間だけが流れていた日々の上、いきなり不穏の雲がただよってきた。
 正直なところ。答えの予想はついている。ただ、それを口に出していいものかと悩んでいるだけなのだ。
 悶々と悩みながら皿を見て。バトを見て。虚空を眺めてから覚悟した。

 ええい、聞いてしまえ。

「バトさん。嫌いなものがあるのですか」
「……いいや」
 長い間が、自分を正解へと導いた。
 驚いたことに青銀の真導士にも好き嫌いがあるらしい。副菜の材料は青菜と玉葱ときのこのみ。
 青菜類は昨日の食卓にも乗せた。そして玉葱は朝食のスープに入っていた。
 ということは――。
「きのこ、除けましょうか」
 伝えたところでバトに迷いが出た。そうとう注視しなければ見つけられないささやかな動揺。水一滴が引き起こす程度の、わずかな真力の波紋と気まずい沈黙が、何よりも雄弁に答えを語る。
「……これは何だ」
「はい?」
「だから、これは何かと聞いている」
 指し示した先には、やはりきのこ。指すのも嫌なようで、表情が険悪になりつつある。
「えっと、きのこですが」
「それはわかっている。どういった種類なのかと聞いている」
「種類ですか。ただの"花もどき"です」
 いたって普通の。
 どこにでも売っているありふれたきのこ。花が咲き誇るような形をしているが、れっきとしたきのこ。
 塩をまぶして焼けばつまみにもなるので丁度いいと思ったのに。この調子では、別につまみを用意する必要がある。
 残念に思っている自分を置き去りに、バトは腕を組んで熟慮しだした。

 ――まずい。
 これは長くなりそうだ。

 青銀の真導士は考え出すと止まらない。
 放っておいたら夕飯が冷めてしまう。怖いだとか、申し訳ないだとかの考えは脇に追いやり、必死になって名前を呼ぶ。
「と、とにかく食べませんか。足りなければ後でもう一品作りますから」
 言いながら炒めものの皿を回収し、バトから遠ざけようとして……いきなり手首を掴まれた。
「何か」
「置け」
「でも……」
「いいから置け」
 強く言われてしまい、おどおどしながら皿を元の場所に置きなおす。
「一つだけ聞く」
 皿を睨み続けているバトが、厳しい口調で問う。まるで任務中のような声音のため、ついつい背筋が伸びてしまう。
「そこらで採ってきたものではないな」
 奇妙な質問だ。
 しかし聞いてきている当人は大真面目。なのでこちらも真面目に答える。
「ええ、いつもの籠に入っていたものです」
 コンラートが用意した食材は、どれもこれもいい品質で、文句のつけようがない品々である。
 もちろんバトの口にも合うはずだ。
「そうか……」
 納得したのか、何なのか。
 おもむろにフォークを握り、皿からすくって一口食べた。何だ、食べれるのかと再び驚いて、バトの顔をまじまじと見た。
 食べたと喜んだのも一瞬のこと。
 食べている最中、やたら険しい顔をしているものだから気が気でない。
 険しいを通り越して、厳しい顔つきになったバトは、皿を睨んだまま黙々と食べ続けている。
 仕方なしに、鬼気迫る光景の真向かいに座る。
 こっそりと、こっそりと……。それこそジュジュよりも小さくなって食事をする。



 この夜ばかりはとても食べた気がおきず。真夜中に炊事場へと向かうはめになった。
 炊事場で物音を立てぬようパンをかじりながら、きのこの取り扱いだけは注意しようと、心に誓ったのであった。

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