蒼天のかけら 第一章 静白の門
はじまりの朝
樹木の合間から見えていた蒼天は、残酷なほど
彼女はただ独り立ちつくしている。
頼れる者はなく、その身を守る
遠くに見える紅の合間に、闇色の大きな影がゆらりと揺れている。
耳が痛い。
悲鳴のような耳鳴りが響き、頭を締め上げていく。
紅い空は見ているだけで悲しい気持ちになるのに、どうしても目が離せない。
逃げなくては
どこまでも走って
隠れて
決して見つかってはいけない
見つかったらきっと、きっと――
目を瞬く。
サキは自分が目を覚ましていると気づくのに、少し時間がかかった。
寝床の端で寝ていたらしい。 寝床の左の壁に、まるで寄り添うような形になっていた。丸く縮まっている身体を伸ばしつつ中央へ移動する。
仰向けになり、染みが多い木目の天井を見上げた。ランプは点けたまま寝ていたので、室内は明るい。窓掛けの隙間から見える空はまだ暗い。
夜は明けていないようだ。
いつもの夢。
何度見たかはもう忘れてしまったけれど、起きてしまえばいつものことだと思える馴染み深い悪夢。
目的地に到着した安堵からか、宿について早々に眠気に襲われ、昨夜は早めに休んだのだ。しかし、どうやら眠りは浅かったらしい。寝汗で夜着が冷えている。少々不快ではあるが、それでも眠らなければ。今日だけは、無理をしてでも儀式に出席する必要がある。
本当なら人が多くて賑やかなこの都には、あまり居たくはない。これが国家の行事でなければ、サキは村から出ようともしなかっただろう。
落ち込んでくる気持ちを、寝返りでごまかす。
とにかく寝てしまおう。そして儀式を終えて、できるだけ早くこの都から出ていこう。
もう村には帰れない。
この都の近くには、静かないい町がいくつかあるという。女の足なのでそう遠くまでは行けないが、隣町くらいなら歩いて行けるはずだ。
町の様子が良さそうだったら、そこで職を探してみようか。不安だらけではあるけど、落ちつく場所を見つけないと……。
胸に手を置き、眠る姿勢を整える。あの夢を見た後は、ここに隙間があるように思えてしかたない。
サキが再び眠りについたのは、窓掛けにうっすらと朝日が映りはじめた頃だった。
サキが知るかぎり、この大地には四つの大国がある。
その内の一つ、ドルトラント王国にある聖都ダールに着いたのは、昨日の夕暮れ時。この国には、商人達が荷と一緒に人を運ぶ"乗り合い"の馬車が走っている。
庶民が利用できる移動手段としては最も安価な足だ。サキは村から半月程かけ、その馬車を乗り継ぎ、ようやく都に辿りついた。片田舎の村から出てきたサキにとって、都は驚くほど騒がしい。誰も彼もが忙しなく動いていて、どうにも落ちつかない場所と思えた。
開けた窓から見える外の景色を眺め、人の多さに辟易しながらも出かける支度をはじめる。
昨日までは旅路の途中だったので、左側を前にし、男のように巻いていた薄緑の上着を元通りに戻す。都には聖都を守る兵士がいて、常に見回りをしている。だから女性らしい恰好をしても大丈夫なのだと、宿のおかみが言っていた。
そうは言っても、今日は歩くことも多いだろう。厚手の足布を履き、旅路でくたびれた革の長靴の中にズボンの裾を押し込み、革紐で括る。これが一番歩きやすいと、馬車で同乗した旅人が教えてくれたのだ。着衣を整え終わったので、髪に櫛を通し、真ん中で分けて三つ編みを二つ作る。
この国の女は髪が長い。長く伸ばした髪をちゃんと手入れすることが、良い女のたしなみとされている。もちろんサキの薄い金の髪も腰にかかるほどに長く伸ばしてはいるが、毎日三つ編みにした上で、きっちり頭上でまとめ、黒の帽子で隠している。
今日は特に、大勢の人が集まる場所に行く。
万が一でも帽子が取れて後ろ髪を見られてはいけないと、いつもよりも深めに被る。後ろ髪は、家族か恋人にしか見せてはいけないものだ。衆目にさらすような、はしたない真似はできない。髪でおしゃれができるのは前髪と、耳を隠すため出している左右一房ずつの
とはいえ貧しい村で育ったサキは、おしゃれをすることに慣れていない。
唯一持っている翠色の髪留めで、前髪を左に流して飾る。
鏡の中の自分は少し顔色が悪い。
やはり夜中に目を覚ましたのがまずかったのか、肌に血色がない。覇気の薄さをあらわしたような琥珀の目には、赤みが差していた。
ふうと息をつき、顔に手を添える。
儀式が終わったら、すぐ宿に戻ろう。今日すっかり休んでしまえば疲れがとれて、明日には出発できるはずだ。
開けていた窓を閉め、戸締りを確認して部屋を出る。
宿の受付には、昨日と同じようにおかみがいた。人懐こい顔のおかみは挨拶ついでに、儀式が行われる神殿までは地図がいらないと教えてくれた。同じ年頃の男女が、一つの流れに沿って歩いているから、外に出ればすぐにわかるという。
礼を言い、よどんだ気持ちを抱えながら宿を出る。
サキの気持ちとは裏腹に、空は雲ひとつない晴天だ。せめて穏やかな一日であって欲しいと願い、神殿に向かって歩き出す。
この日が。
この朝がすべてのはじまりだったのだと気づくのは――しばらく後の話。