蒼天のかけら  第二章  鼎の道


芽生え


 サキは居間で、白イタチと睨めっこをしていた。
 向かいの席では、ローグが借りてきた書物を広げている。

 ヤクスは食事のお礼と謝罪を一通りして、いましがた帰ったばかりだ。
 帰りがけに、また来てもいいかと聞かれ、もちろんと返答しておいた。まだ人見知りは多少残っているけれど、ヤクスはそこまで怖い人じゃないとわかったので、次は大丈夫だろう。
 それに子供じゃないのだから、少しは慣れるべきだ。真導士の里で暮らす以上、人との関わりを避けて通れないのだから……。

 ここ数日の出来事は、初日よりもずっと辛いものだった。
 真力の低い"落ちこぼれ"。
 ためにならない"役立たず"。
 史上最大の真力を有する彼に、まったく相応しくないと、幾度きつい言葉で罵られただろう。
 すっかり落ち込んで、ローグにはとても心配をかけた。そしてまた無駄に謝って、何度か額を打ち据えられた上に、新たな規則を追加されてしまった。
 いまは自主的に反省期間を設けて、毎日ローグの好物を揃えている。

 彼との関係だけを考えれば、とても居心地がいい。
 周りを気にするなと言って、すべてから守ってもらっている。ローグには一方的に負担をかけていると思うのだが、彼はそれを苦痛であると感じていない様子だ。
 むしろ、もっと頼れと言ってくる。

 胸の奥に苦みがよみがえった。

 このままでは駄目だ。
 彼のやさしさに甘え続けていたら、自分は一生何もできない"役立たず"のまま。それでは相棒と名乗れないだろう。
 横目で彼を窺う。本に集中している彼は、一枚の絵のような世界を構築していた。
 ローグは……、こんな自分を信じると言ってくれた。
 気持ちに、応えたい。
 彼に相応しい相棒になりたい。生まれてはじめて抱いた夢は、強めの焦燥と、どこか甘酸っぱい気持ちを含んでいた。
 胸が苦しくなって、ついつい長めの息を吐く。

 自分の夢は、分不相応なのだろうか。
 夢の道を進もうと一歩前に出るたび、心に刺さる嘲笑と侮蔑を受ける。前方から受ける苦痛の風に押し返され、わずかに踏み出した一歩を戻るはめになるのだ。彼にふさわしい相棒になるという夢は、自分の宿命ではないということだろうか。
 だから女神からの恵みを受けられないのか。

 ……もしかしたら彼にもっと相応しい、他の誰かがいるのかもしれない。

 どうも、近頃の自分は少しおかしい。彼といる時間はとても多いのに、森で感じたあの寂しさが出てくる。彼が不在の時ならまだしも、一緒にいる時にも寂しい気持ちが湧いてくる。

(本当に……どうしてしまったのだろう)

「サキ」
 低い声に呼ばれて、思考の底から急いで浮上する。
「な、何でしょう」
「まだ落ち込んでいるのか」
 ああ、また失敗だ。心配かけまいとしているのに。困った。どうしてかいつも上手くいかない。
「それとも俺がいない間に、何か言われたか」
 黒い瞳に心まで覗きこまれそうで……大慌てで首を振る。彼の視線を逸らすにはこれが一番有効なのだと、ここ数日で学んだ。
「大丈夫です。あれからは何も言われていません」
 何せ必要に迫られないかぎり、外出をしていない。
 学舎と、あとは食料と日用品を取りに、倉庫へ寄るくらいだ。
「なら何を考えていた。そんな溜息を吐いて。俺にだけは、悩んでいることを話してくれと言っただろう」
 そうして、あの魅惑的な笑顔を向けてくる。
 一気に心音が高くなった。ローグは、もしかしてわかっているのだろうか。その笑顔を向けられると、サキはとても弱いということを。さすがは悪徳商人殿。まんまと手の上で転がしてくださる。だが、一緒にいるこの状態で「寂しいです」とは口が裂けても言えない。
 もごもごとした挙句、先ほどまで考えていたことを答えた。これなら本当に悩んでいたので嘘ではない。

「この子の名前を考えていまして」
 そう言って、睨めっこしていた白イタチを、ローグに向けてひっくり返した。白イタチはサキにされるがまま、大人しく両手に納まっている。ふわふわの尻尾が揺れていて実にかわいい。
 なるほど、と彼は納得してくれた。
「動物がそこまで好きとは知らなかったな」
「全部ではないですけど、小さい子なら好きです」
「名前の候補は上がっているのか」
「上がっているというより、決めかけている名前があって……」
 はっきりと言うには、少し気恥ずかしい。子供っぽいと自分でわかっている。
「どういう名前だ?」
 やはり聞かれた。この話の流れで回避できるわけがないのだけど。
「……ジュジュ」
「サキらしい」
 くつくつと笑う彼に、それはどういう意味ですかと問いたかった。でも、笑われても仕方ない部分があったので、問い返さぬまま黙り込んだ。
「言っておくけど、馬鹿にしていないからな」
「……絶対に嘘です」

 ジュジュというのは、神話に出てくる精霊の名前だ。青い花に棲むとされている。絵本にもよく登場するので、子供が好む名前でもある。
 宿命の道を歩いていた旅人は、道の途中で精霊ジュジュに出会う。二人で苦難を乗り越え。最後は悪い精霊の呪いで声を失くしてしまった、かわいそうなお姫様を助けてあげる、というお話だ。

「どうせ、わたしは絵本しか読めません」
 庶民で文字を難なく読める人は、半分いればいい方だ。読めなくても当たり前なのだが、ローグは難しい本をすいすい読めるのだ。何でもできてしまう彼に自分がどう見られているか、どうしたって気にしてしまう。

 本当に、最近の自分は変だ。

 拗ねた態度を取ったら、右手がぬっと近づいてきた。
「こら。勝手に考えを作るな」
 言いながら顔をしかめているが、目は笑っている。こういう時は謝れば間に合う。
「ごめんなさい」
「わかったようだな。ならばよかろう」
 彼はまるで慧師のように尊大に答えた。様になっていたので笑いがこみ上げてくる。本人も上手くいったと思ったらしく笑っていた。
 毎日のこの時間が、サキにとって貴重な宝物だ。

 募る寂しさを胸に仕舞い込み、ただ幸せな時を感じていた。

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