蒼天のかけら  第五章  邂逅の歯車


船の再会


(バトさん――)

 呼び掛けようとして、意志の力で衝動を押し込める。
 駄目だ。きっと名を呼んではいけない。
 凍える真力を感じながら、その名前を胸の奥深くまで埋没させた。
 場に立っているだけで、周囲を凍りつかせるような気配を振りまいている男は、里の暗部を知り尽くした真導士。
 ……本人も、そして"淪落の魔導士"も同じようなことを言っていたではないか。
 彼の異名ともなっている特別な任務に、本来なら導士が随行することはない。完全黙秘を前提としている影の任務を受け持つバトと、一介の導士である自分が、知り合いであるのは不自然過ぎる。
 あの日にした、確約を違えてはならない。
 浮かんできた言葉を強く強く心に刻んで、きつく口を閉ざす。

 扉を開け拠点に入り込んだバトは、室内を一瞥し目を眇める。
 より険しくなる表情と気配に、ティピアの小さな悲鳴が聞こえてきた。
「お前達、ここで何をしている」
 拠点の入口付近にいた四人の高士。彼等を問い質す、凍えた声音。尋問と表現していいような冷徹な言葉に、ジーノ以外の高士が怯んだ。

「お久しぶりですね、バト高士。このようなところで貴方とお会いするとは……」
 同じ位であるはずのジーノは、バトに対してとても丁寧に声を掛ける。
 しかし、ジーノが紡ぎ出した丁寧な挨拶に、青銀の真導士が苛立ちの気配を強めた。
「御託はいい。何をしているのかと聞いている」
 凍える気配が強くなったのを察知したのか、ジーノが慌てて任務の詳細を伝えた。
「商船の護衛です。新人高士の育成と、導士達の実習とを兼ねています」
 ジーノからの回答を受け。険しい表情のまま、部屋の端で動きを止めている自分達を見渡す。視線が自分の上を通った。一瞬、確かにバトの眼差しを感じた。しかし、彼はそのままジーノに視線を戻した。
 どうやら、自分の判断は正しかったようだ。
 バトは自分に、黙することを望んでいる。

「商船の護衛だと。この海域を商船が通るとの連絡は受けていない」
「いや、そんなはずはありません。商船の申請は済んでいますし、里でもきちんと確認しておりますから……」
 ジーノは事実を証明をしようと、海図と一緒に一枚の書状を手渡した。無言でそれらを受け取ったバトは、何事かを確認してからジーノを鋭く睨みつける。
「やはりだ、この海域の海図ではないな」
 紙をひどくぞんざいに突き返しながら、苛立った気配を沈めるように手で前髪を掃う。
「何ですって?」
「確認しろ。大幅に南へずれているはずだ。いまこの海域に商船の航行許可は出ないことになっている。……高士が四人も雁首揃えて、何をやっているのだ」
「ずれているですって? さっき船長が、航海は順調だと言ってきたばかりよ」
 美しい形の眉をひそめたフィオラに、舌打ちが返る。
「いいからとっとと確認してこい、間抜けめ」
 容赦のない詰りを受けたフィオラが、怒りで頬を赤らめながら、足早に拠点から出て行ってしまった。バトはその姿を見届けることもなく、険しい顔をさらに険しくしてジーノに指示を出す。
「撤退の準備をしろ。新米の高士と導士を、この海域に置いておくことはできん」
「しかし……」
「何度も言わせるな。無駄口を叩いている暇があれば動け」
 言うだけ言って、バトは拠点から出て行ってしまった。

 残された三人の高士と導士達は、状況の変化を把握しようと努めているように見えた。
 高士達が何も言わない以上、導士は発言ができない。イクサが何かを言おうとして押し黙ったっきり、九人の導士達は壁際で立ち尽くす。
 混乱した気配が部屋に満ちていく。満ちる気配を感じつつも、自分だけが冷静に全員を見つめていた。

 バトが来た。
 そして……暴言に近い口調ではあったが、明確な警告を高士達に告げたのだ。この海域はかなり危険な場所なのではないか。あの人の任務はすべて、里の中ですら他言ができない完全黙秘を前提としている。そのバトが船に現れたのだ。
 そうだとすれば、先ほどの襲撃は――。
「ジーノ!」
 焦った様子のフィオラが、部屋に駆け込んできた。
「大変よ、誰もいないの!」
 色を失った相棒の言葉に、ジーノの目が見開かれた。
「船長室に、船長も副船長も……それと航海士の姿もないわ! 船員は残っているけれど、誰も海図を持っていないって」
「……何だって?」
 フィオラが確認してきた船の現状が、とても空虚に響いていく。
「襲撃があってから、姿が見えなくなっているらしいの。海に落ちたのではないかって、海上を捜索しているけれど、まだ見つかっていないわ」
 突きつけられた現実に、緑の真導士はきつく目を瞑った。
「やられたな……」
 苦渋を滲ませながら吐き出された台詞は、真導士達の勘に働きかけていく。
「あの、これはいったいどういう……?」
 辛抱を切らしたアナベルが、その意味をジーノに問うた。
 焦りながら。しかし、芯の部分で落ち着きを保っている熟練の高士達とは違い。彼女はすでに、平静を保てなくなってきている。
「どうもこうも、我々は罠に嵌められたということだ」
「罠ですって?」
「さっきの襲撃と、消えた船長達は繋がっているということよ。目的なんてわからないけれど、危険な海域に誘い込まれたのは確かね」
 妖艶な気配をすっかり失ったフィオラが、不快感を露わにして強い言葉を吐き出す。
「冗談じゃないわよ、こんな……。よりによって、あの男が充てられるような任務地と被るなんて!」
「フィオラ、それ以上は口にするな」
 二人の会話を聞いて、熟練の高士達はバトの任務を知っているのだと理解した。
 対照的に。何もわかっていないだろう新米高士達は、青ざめながら棒立ちになっている。
 ジーノとフィオラは互いに見つめ合い。何かを確認しているようだった。誰にも明かせない内容を、真術に込めて相棒に送っているのだろう。
 見ている者の緊張を高めていく沈黙。
 虚しい沈黙を終わらせたのは、青ざめながらも何故か鬱憤を溜め込んでいたセルゲイであった。
「あいつ。あの男は何者なのです?」
 ぎざぎざに尖った声音は、バトへの反発を隠そうともしていない。
 矜持の塊のような男にとって、青銀の真導士の存在が不愉快だったのだろう。自分を含めた四人の高士を、格下の導士達の前で侮辱したと。そのように受け取った歪な心は、いまにも爆発しそうなくらいに膨れ上がっている。
 爛々と光る木蘭色の瞳に、ざらついた予感を覚えた。よくない……光だ。

 相棒から視線を外した緑の真導士は、全員を近くまで呼び集めた。
「よく聞け。導士である君達には酷なことだが、非常事態が発生したため実習を取りやめることにする。これからの方針を検討し決定するまでは、拠点で待機をしていてくれ。決して拠点から外に出ることはないよう固く命ずる」
 導士達からの返答を確認して、三人の高士に指示を飛ばす。
「フィオラは俺と一緒に来てくれ。セルゲイとアナベルは導士達とともに待機。不測の事態があれば、生存を最優先とし状況に対応しろ」
 ジーノの指示を聞き、アナベルが唇まで白くなった。そして、いまにも泣きそうな声でこう聞いた。
「生存を最優先って、そんなに状況が悪いのですか……?」
「気力と真力を整えろアナベル。高士となった以上、任務中の甘えは許されない。サガノトスの名に恥じぬよう努めろ」
 そんなと囁いた声は、黙殺された。
 震えて怯えるアナベルを横目に。自分は一人、黙々と気配を追っていた。
 海の向こうでわだかまっている、不穏な色の雲。そこに何かがある。けれどまだ危機の兆候は聞こえてこない。
 まだ……。まだ猶予がある。

「それから全員に伝えておくべきことがある。意識をこちらへ。聞き逃しや聞き洩らしをしてはならない。導士であったとしても、この件に関して寛大な措置はないと思え」
 部屋の中にあった大気の糸が、ぎりぎりと締め上げられていく。
 隣にいるヤクスが姿勢を正した。
 あれ以降、口を聞いていないローグの気配も、徐々に高ぶってきていることだけ感じ取れた。
「状況が変わった。任務について完全に黙することを命ずる。里に戻っても内容を口外してはならない。任務終了をもって任務自体を忘れること」
 身体がぴくりと動いてしまった。
 聞き覚えのある内容。絶対の力を持った指示が、一月前の出来事をなぞっていく。
「任務内容とは、船に来てからのすべてだと思え。指示された内容。それぞれの役割。そしてこの場にいる全員の存在もだ。船には誰も乗らなかったし、お前達は誰にも会わなかった。それを事実として叩き込め」
 誰かが息を吸い込んだ気配がする。大気が張り詰め過ぎて、追うことがとても難しい。布が擦れる音がして、視界の右の方で白がちらついた。
「質問をしてもかまいませんか」
 静かに手を挙げたイクサの声は、平素と変わらないように思える。
 視線だけで承諾を伝えたジーノに、柔らかな声が問い掛けた。
「例外はないのでしょうか。例えば慧師からの下問があった場合も、黙秘をしなければなりませんか」
「いや、それは回答することを許される。慧師、そして正師からの下問があった場合のみ、事実を語っていい」
「承知しました。もう一つだけよろしいでしょうか」
「言え。この場で解消しなければ次はない」
「先ほどの方は高士ですよね。彼のことも黙秘の中に含まれますか? 我々の任務とは別件のようにお見受けしましたが。そちらも黙秘するべきでしょうか」
 イクサの的を射た質問に、ジーノが目を細めた。
 一度だけ静かに目を閉じた緑の真導士は、いままででもっとも硬質な声を出した。

「全員、以降の質問を禁ずる」

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