蒼天のかけら  第五章  邂逅の歯車


船中にて


 苛立ちを隠そうともしない背中を、小走りで追いかけていく。
 通路を少し行ったところで足が緩んだのを確認し、そっと息を吐いた。
「あの、バトさん……」
「黙ってついて来い。俺がいいと言うまで口を開くな」
 冷たい指令は、背中と同じように苛立ちで染まっていた。ただ、自分に向けられたものではないと知ってはいた。
 なので言われた通り、黙々と白のローブを追っていく。

 拠点から最も遠い物置きにバトが入って行ったので。自分も急いで入り込み、扉をそっと閉めた。これだけ距離を開けたということは、話を聞かれたくないのだろう。
 扉が閉まったのを確認し、バトは一つの真円を描いた。真術が展開するのを黙って見届けて、知らない気配をした真術にしばし見入る。この真術を通して見る外の世界は、うっすらと靄が降りたように思えた。
「"遮蔽の陣"だ。真円内で話している内容は外に漏れない。重ねれば姿も見えなくなるが、いまはこれで十分だろう」
 冷たい声音から苛立ちが取れたのを感じて、少しうれしくなった。
 理由のない感情のまま、忘れていた挨拶を思い出す。
「お久しぶりです、バトさん」
「ああ」
 返事と同時に、身体をこちらに向き直してくれた。放たれていた凍える真力が、徐々に静まっていき。そして真夜中の静寂が訪れる。
 深い青に濡れた前髪の合間から、冴え冴えと光る青銀が自分を見ている。

 "第三の地 サガノトス"を影から守る――青銀の真導士。
 "鼠狩りのバト"と呼ばれ。恐れられているこの人との再会が、こんなにも早くやってくるとは思いもしなかった。

 手で座れと合図されて腰を下ろした。同じように座り込んだバトは、ローブの下から紙の束を取り出し、床に並べていく。
 一つは海図だ。海を示しているくすんだ青色の上に、いくつかの線と文字が並んでいる。
「確約は忘れていなかったか」
「はい」
「気配は」
「ずっと先に淀んだ雲のような気配があります。襲撃の時も、雲の方向から害意が飛んできます。乗船直後から視えていましたので、ここまで近ければ見失いはしません」
「上出来だ。相変わらずの嗅覚だな」
 バトから貰った褒め言葉。胸に喜びの気持ちが生まれた。今日はずっと落ち込むことが多かったから、こうやって温かさを分け与えられると、大事に仕舞っておきたい気分になる。
「まずは状況を確認したいが、現状は逼迫しているように思うか」
「いえ。じわじわ近づいてきていますけど、いますぐという感じはないのです。先ほどの襲撃以降は、近くに害意も見えませんから……」
 言えば、自分をひたと見据えていた青銀の真導士が、強い肯きを返してくれた。
 自分の言葉を、そのまま受け取ってもらえる事実が心強い。いつの間に、こんなにも気力を削られていたのか。拠点から引き離してくれたことに、感謝しなければ。
「バトさんは、わたしを疑わないのですね……」
 つい、こぼしてしまうのは自分の心が弱いからだ。青銀の瞳が細められたのがわかる。相変わらず読みづらい人ではあるが、瞳の中に侮蔑の色がないことを確認して肩から力を抜く。
「お前の嗅覚は確かだ。すでに確認したことを疑い直してどうする」
「そうですね……」
「奴らに何を言われたかは知らんが、気位が高いだけの連中に引きずられるな。下らぬことでお前の気力を削られては適わん」
「はい、大丈夫です」
 腹部に力を入れながら返答をした。
 バトは広げた海図を指し示しながら、質問を重ねてきた。
 できるかぎり正確に答えれば、海図の上に真円だけを描いて何かを記していく。

「……なるほどな。この島が怪しいか」
 バトが指し示した場所には、粒のように小さな島が記されていた。
 背筋をそわりと何かが這っていく。おぞましい感触を覚えて、気づかれないよう息を整える。
「息を整えることを躊躇するな」
「は、はい」
 やはりバトにはお見通しだったらしい。無駄なことはしないようにと考え、今度はしっかり深呼吸をした。
「状況はだいたいわかった。任務に参加している真導士についても聞いておこう」
「はい。……ジーノ高士達からは聞いていなかったのですか?」
 拠点には三人で帰ってきていたから、ジーノが報告していないとは思えないのだけれど。
 深く意味を考えないまま質問すれば、苦い顔をされてしまった。
「俺があいつ等を信用するはずなかろう。報告ならお前から聞く」
 ……自分は、何て嫌な娘なのだろうか。
 彼らよりも自分を信用すると言ってくれた。その事実がうれしくてうれしくて堪らない。心細さを覚えていた胸に、熱い力が生まれて全身に広がっていく。
 ふわふわと高揚し膨れ上がっていく感情。舞い上がる途中で、ちくりと痛む場所があると気づいた。
 本当は、この感情を彼から貰いたかったのに。
 自分を大事にしてくれているのはわかっているけれど、わたしだって彼を――。

「何を呆けている。早く報告をしろ」
「あ、はい!」
 もう少しで何かがつかめそうで、つい深く自分の思考に沈んでしまっていた。
 考えを読まれているとは思えないが、気恥ずかしさで耳たぶが熱い。

 バトが今日あったことをすべて話せと言うので、時間をかけて一日の行動を追っていった。
 徐々に機嫌を悪くしていく、青銀の瞳を見ながらの報告。気が気ではなかったが……どうにかすべての報告を終えることができた。
「……だから高士は面倒なのだ。気位ばかり高くて使いものになりはしない」
 表情と同じような苦り切った口調で、バトはそんなことを言った。
 自分も高士ではないのかと言いたかった。しかし、これ以上は機嫌を損ねたくはないので、潔く飲み込むことにしてバトの言葉を待つ。
「だいたいにして"番"を引き離しての実習など、意味がなかろうに」
「そうなのですか?」
 驚きのあまり素っ頓狂な声が出てしまって、慌てて口を抑える。
「導士にとって初期の実習課題は協働だ。いまの段階で"番"を分けたら、協働の訓練にならん。それぞれの特性にあった鍛錬などは、一生を掛けて個人でやっていくもの。令師を気取ったのか知らんが、まったく愚かとしか言いようがない」

 では、自分達の一日はいったい何だったのだろう?
 いやな思いをたくさんしたのに、あれは全部無意味ということになってしまうのか。
 そんなの、あんまりではないか。
 沸々と出てくる感情を持て余して、ぎゅっと手の平を握り込む。
 これも修業だと信じていたのに。
 ちくちくとした荊によって流れた胸の血は、痛みは――本来負うべき必要がないものだったのだ。
 負の感情を抱いてはいけないとは思う。でも、悲しみと怒りが混ざったそれを、消し去る術が見つからない。せめて表に出さないよう蓋をして、身の内に留めておこうと決めて。きつく口を引き結んだ。
「サキ」
 ぐちゃぐちゃの感情を抱えたまま顔を見上げれば。青銀の瞳が、静かに冴えて光りながらこちらを見ていた。
「言いたいことがあるなら、吐き出せ」
「え……」
 バトからそんなことを言われると思っていなかったので、思わず口を開いてしまった。
「負の感情を抱え込むなと言っている。せっかくの察知能力を潰す気か」
「で、でも、バトさんにそんなこと……」
 そうだ。すっかり気安くなってしまったけれど、やはりバトは高士で、自分より上位の真導士だ。さらにはジーノがあそこまで言うほど、かなり特別な位置にいる人で……。そんな人に、自分の拙い感情をさらけ出していいとは思えない。
「吐けと言ったら、吐け。お前の気力を保つためなら労とは思わん。飼い犬の世話くらいはしてやるさ」
 ぱちり、ぱちりと目を瞬いてから、むっとした。
「何だ」
「わたしは犬ではありません……」
 先ほどの遠慮は、もう微塵も残ってなどいない。年頃の娘を動物に例えるのは、絶対に失礼だと思うのだ。
 むっとした顔のまま噛みつけば、バトは呆れた様な表情をした。
「鼻が利いて役には立つが、忠犬になるまでは手間暇がいりそうだな」
「バトさん!」
 思わず大声を出せば、冷笑を浮かべられた。
 いつもとは雰囲気が違うようにも見えた。だが、怒りに押し流されて注視するには至らない。
「またでかい声で吠える。散歩が足りないのか? 小屋には繋いでいないから勝手に遊べばいいものを」
「酷過ぎます! 自分が高士だからって、何を言ってもいいわけではないのですよ」
 すっかり犬扱いをしてくるバトを睨みつけていただけなのに、失礼な発言に対する怒りと、今日ずっと抱えていた感情が混ざって外に飛び出した。乗せられたのだと途中でわかったが、気づいた時にはもう遅く。鬱屈していた感情は、後から後から自分で呆れてしまうほど大量に流れ出して来た。
 吐き出し切った頃には、喉がからからで……。
 かなりの倦怠感と恥ずかしさも相まって。立てた膝に顔を埋めた状態から、上げられなくなってしまった。
「もう、終わりか? 高士を罵倒できる機会などそうはない。遠慮はするなよ」
「いえ……、もう十分です。ご迷惑をお掛けしました」
 しおしおとした声が情けない。
 手の平で転がされるとは、まさにこのことだろう。バトに反撃したくても、余地を一切見つけることができなかった。
「一つだけ、飼い犬に躾をしておいてやろう」
 犬扱いはやめてくれないらしい。怒りの壺が空になっていたので、反撃はしなかった。
「持った感情を否定するな。気力を損ねるのも問題だが、お前にとってはさらに大きな影響が出る」
 まともそうな話に思えて、勘に導かれるまま埋めていた顔を上げた。
「お前の場合、予見する気配のあり様が、感覚と感情で表わされている。感情を否定すれば、拾った気配すら否定することになりかねん」
 思いもよらなかった事柄に、息を飲み込んだ。
「つまらん、下らんと自分の中で蓋をするな。誰にでも垂れ流していいわけではないが、相手を選んで吐き出しておけ。お前の力を知り、必要としている者なら気配を拾って活用するだろう。……それが出来ぬ者なら捨て置けばいい。その者の限界ゆえ、お前が気にする必要もない」
 バトは言い淀むこともなく、さらに続けた。
「人に対しての感情は特に鋭敏になれ。不快感や嫌悪感は大事にするがいい。時に、博愛を推し進めてくる奴もいるだろう。そんなもの神官にでも任せておけばいいのだ。第一印象は決して忘れるな。お前の本能が、お前にとっていい者か悪い者かを判断した結果だ。何よりも自己の判断に重きをおけ」
「はい……」
「忘れるなよ、お前は俺が認めた力を持っている」
「はい、わかりました」
 素直な返事に満足したらしいバトは、真術の展開を解いた。

「さて、不快な連中の面でも拝みに戻ってやろう。俺が居ぬ間に、また面倒を起こされては適わんからな」

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