蒼天のかけら  第七章  旋廻の地


儚い金


「どういう様子なんだ」
 ローグの家に向かう途中、意を決して尋ねてみた。黒髪の友人が、尋ねづらい雰囲気を醸し出していたので、この三日間ずっと聞きそびれていた。
 ようやくお呼びがかかったんだ。診察の事前情報くらいは入れておきたい。
 同居人から話を聞いておけば、患者がどういう対処をされているかがわかる。尋ねられたローグは、少しの間だけ沈黙を作っていた。でも、しばらくして観念したように口を開いた。
「熱はないんだ。むしろ少し低いくらいで……。疲れているのか、眠いと言っている。後は、背中が痛むらしい。寝過ぎのせいだと思う」
 聞いた内容は、緊急性がないとも受け取れた。それにしては口調が暗いのが気にかかる。
「ちゃんと眠れてないのかな」
 意味を含ませないように問う。
 おかしな雰囲気を出しているローグに、深く考えさせる質問をしない方がいい。あまりあてにはしてないけど、真導士の勘を信じてみよう。
「そうかもな。夢見が悪いようで……。気力が整っていないのか、眠っている途中で起きてしまう」
 ふうん……何で"眠っている時"のことを知っているのかな。
 追求はやめておこうか。惚気られでもしたら虚しくなってしまう。
「昼寝はしているのか」
 寝不足ならば、眠らせておけば大丈夫だ。寝つきが悪いと言うなら睡眠剤でも処方しよう。
 それで何とかなりそうだと思っていた。
「している。昼寝どころか一日中寝ている。」
「ええ?」
 間抜けな声が出た。一日中だって?
「朝から晩まで、ずっと寝ているんだ。時々は目を覚ます。けれど、いくらもしない内にまた眠ってしまう。調子がいいと食事を作ったりもしているが、油断すると炊事場で倒れている」
 「危なくてしょうがない」とぼやいたローグの口調は平坦だ。しかし、こいつが抱いている疑問がありありとあふれている。

 さすがに寝過ぎだ。

 眠りに眠れば、勝手に身体が起きるはず。
 真眼の使い過ぎといっても三日間ずっと寝ているのはおかしい。
 真力が枯渇したときは一日しっかりと休めば、それで回復すると座学で習った。サキちゃんの在り様は、知識と常識の枠から外れてしまっている。
「この三日、ずっとその調子か」
「……起きられなくなったのは三日前だ。眠いと言い出したのは十日ほど前。真眼の使い過ぎだと、本人も言っていたから気づくのが遅れた」
 淡々と話すローグに、むかっ腹が立ってきた。
「早く言え。素人判断するなよ。大丈夫だと勝手に判断して、本格的にやばくなって医者にかかった時はもう手遅れなんて、よくある話なんだぞ」
 まずいな。
 ローグとクルトの短気が移ったのかもしれない。真力が高い奴らが短気だと、周囲が無意識に影響される。ちゃんと自覚して少しは自重してもらいたいね。
「すまん……」
 判断の遅れに関して、反省はしているらしい。
 何事も丸抱えしがちな友人を横目で睨んでやった。商人気質だろうけど、手を広げて抱え込むんだよな、こいつ。
 道の分岐が見えてきた。角を曲がればローグの家が見えてくる。周りに家が少ない場所をわざわざ選んだらしい。
 いまのサガノトスで、人が少ない場所は危険だ。
 後ろに人の気配がないことを確認してから角を曲がった。
「何だ……」
 足を止めたローグが、訝しげな声を出した。
 ローグの家の前に、白の集団が陣取っている。遠目でも導士のローブを羽織っているのはわかる。でも、フードを被っているから顔が見えない。
 警戒を強めながら、静かな足取りで歩き出したローグに続く。里の中でフードを被るのは穏やかじゃあない。
 患者が寝ている家を騒がしてくれるなよと、心でつぶやきながら五歩近づいた。
 そこで白の集団が動いた。動いた拍子に、白の中から若草色と薄い金色がちらりと見える。
 あれは……。

「――貴様等!!」

 咆哮と共に、黒が駆け出した。
 駆けて行きながらも、真円を描いて精霊を集めている。
 攻撃の気配を察知したのか、集団がこちらを見た。そう、たぶん見たのだと思う。とんでもない現実にローグを援護しようと輝尚石を取り出した。
(何なんだ、こいつら……!)
 揃いの金の仮面が、ローグとオレを見ている。焦燥に煽られて黒の後を追いかけた。
 撤退をしようとしている集団。奴らが動いた拍子に、視界にまた鮮明な色が入り込んでくる。

 白のローブにべっとりとついた赤。

 距離を縮める過程で、その出所が薄い金の近くであると把握できてしまった。
 金の仮面を被った奇妙な集団が、ローグの真術を迎え撃つべく構えたのが見えた。真眼を開いて、真力を解放する。この距離ならば正確に描ける。
 仮面共の足元に円を描いた。光が立ち昇り、真力を飛ばした感触に触れる。
 正鵠だけに許された奇跡。
 他の系統の真導士には説明がしづらいけど、真力には感触があるのだと知っていた。
 自身の真円が消失したことに驚いた仮面達は、血を流しているお嬢さんを大地に放り投げて逃げ出した。
 サキちゃんが大地に叩きられる寸前。旋風が彼女を巻き取っていく。高く舞い上がった身体を、友人が大切そうに抱き止める。
 急いでローグの前に回り込み、サキちゃんの容体を確認する。
 以前、寝込んでいた時と同じように、後ろ髪を布で覆い、一まとめにして右肩に流している。顔色は白く、布を銜えさせられている唇に血色が浮いていない。
 細い首筋には、不似合いな赤が流れ出ていた。白い肌と若草色の夜着を、鮮血が汚している。
 手布を傷口にあてた。きつく抑えつければ、じわりと血が滲んできた。

「早く家に……!」

 慌ただしく彼女を家に運び込み、長椅子に座らせる。患部を心臓より高くしておきたかったので、意識を失っている彼女の身体を、無理やり起こしておく。
 癒しの輝尚石で治療を急ぐ。
 出血がひどくて消毒をしている余裕などなかった。手布の上から輝尚石をあて、治療と止血を同時に行う。
 出血が減ったことを確認して手布を取る。赤い筋は残っているが、血があふれて流れるほどではなくなった。白い首に、赤い線だけが刻まれている。明らかに刃物で傷つけられた鋭利な傷口。つい眉を顰めた。
 あいつら。年頃のお嬢さんに、何てことをしてくれたのか。
「ヤクス、どうだ……」
「もう大丈夫だ。完全に塞がるまで待てばいい」
 自分が出した返答に、安堵の吐息は出てこなかった。
 輝尚石をサキちゃんにしっかりとあてつつ、ローグの顔を窺い見る。怒りに猛った眼差しは、彼女の口と、手首に巻かれた拘束具を見据えていた。
 気配を激情に染めながらも、丁寧な手つきでそれらを取り去っていく。
 戒めを解かれたサキちゃんの表情は、苦痛を感じていないかのように穏やかだ。そうであればいいと考えたオレの願望が、幻覚を見ているだけかもしれない……。

「ぅ……」
 小さな呻き。
 もどかしいほど時間をかけて開かれた琥珀。焦点が合わない瞳に神経が尖る。
「サキ!」
 勢い込んで、治療中の患者を奪おうとする腕を弾いた。
 いまは丁寧に対応してやれない。後でいくらでも苦情は聞いてやるからと、診察を優先させてもらうことにする。
「サキちゃん、わかる? 痛いところは無いかな」
 まぶしそうに細められた両目から、苦痛の訴えは出ていない。
「ヤク、スさ……」
 よし、意識は大丈夫そうだ。
 血の色が濃い個所を触診してみたけれど、首筋以外に怪我はないようだった。
 流れた血が、夜着の皺に溜まり込んだだけらしい。
 一通りの確認を終えてから、微動だにしないまま様子を見ていたローグに、彼女の身体を預けてやる。
 その後の光景は、見ると目の毒だからさっさと背を向けた。勝手知ったる二人の家。お邪魔虫は一時退散するとしよう。
「ごめんなさい……」
「何で家を出たんだ。あれ程、一人で家を出るなと言っただろう」
「ローグの声がして……。両手が塞がっていて扉を開けられないって言われて、つい……」
 声、ね。
 蠱惑の真術で、他者の声を真似るものがあったような。使いこなせるようになれば、姿も真似られるという真術。
 名前は何だったかね。
 手布に付いた血糊を洗い落としながら、不確かな知識を探索する。
「俺はそんなことを言わない。何を言われても絶対に扉を開けるな」
「はい……。あ、汚してしまいましたね」
 消え入りそうなか細い声が、何を申し訳なく思っているかわかった。
 患者の負担を軽くしてあげようと、炊事場から話しかける。
「真導士のローブは汚れに強いから大丈夫だって。水で洗えば落ちるよ。それより、気分が悪かったりはしない?」
「ええ、大丈夫です」
 大丈夫と言ってはいるが、声に元気がない。サキちゃんは普段から、ユーリちゃんのように元気あふれる声という感じじゃないけど。いまは心配になるほど細くなってしまっている。
 うーん、これが眠り病の症状かな。

「じゃあ、着替えてきちゃいなよ。血がついてるの気持ち悪いでしょ」
 実家では、患者の着換えを手伝ったりもした。
 でも、さすがにサキちゃんはまずい。
 いま現在、怒りを沸騰させているカルデス商人が、絶対に黙っていない。

 はい、そうしますと返事をして、自室に戻る姿を見送った。
 儚い印象を持つ友人の気配が、あまりに薄くなっていることが気掛かりだった。

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