蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


雛の憂鬱


「何故、あの男に預けたのですか――!!」

 その叫びは絶叫に近い。
 せっかく回復をはじめたばかりの真力が、執務室中に放出されてしまった。
 ぶっ倒れても知らないぞと思いつつ、横目で友を窺う。すっかり毒気が抜かれたローグは、やっとのことで軟禁生活から解放された。
 もういいぞと呼ばれ。慧師の執務室にやってきて、最初に聞いたのは彼女のこと。
 ちなみにオレは前もって聞かされていた。
 回復するまで内緒にしておくようにと言われたから、口を噤んでいただけだ。だからこうなることもわかっていた。
 女神から見放された黒髪の友人は、執務室に置かれている机を叩き、身を乗り出して慧師を問い詰めている。ばんばんと遠慮もなく叩かれている机が心配だ。高そうな机なのに、壊したらどうするつもりだろう?
 頭に血が上りきってしまっているローグの目の前には、相変わらず表情一つ変えもしない慧師が。
 その慧師の左右には、ナナバ正師とムイ正師が。机のこちら側には、ローグを宥めようと肩に手をかけているキクリ正師がいる。
 里の上層が勢ぞろいしているというのに、場にはとても緩やかな空気が流れている。
 かっかと火を噴いているのは、いまのところローグだけだ。
「呼び戻してください!」
「そういう訳にもいかぬ。いまは身を隠させる必要がある」
「では、ムイ正師に保護していただけばいい! 導士の世話は、正師がするのではなかったのですか!?」
「ムイは内勤の高士を束ねる役を負っている。此度の不祥事で第五部隊は解散。だが、四部隊で里を警護するのは不可能。いまは見回り部隊の再編を、何よりも優先させている」
「キクリ正師でもよかったでしょう!」
「キクリも男であろう」
「あの男と比べればずっと"まし"です!!」
 うわあ……。
 命の恩人である正師に向かって"まし"と言い切ってしまった。正師が笑ってくれているからいいものの。下手すればこれだけで懲罰房行きだ。
 はらはらしているこっちの心情なんて知りもしないローグは、また大きく机を叩いた。
「すぐ連れ戻してください。そもそも、娘と男を一つ屋根の下におくのは配慮がなさ過ぎる!」
「事態が事態ゆえ、最善策をとったまで。そう案ずるな。あれに任せておけば、サキの安全は約束でき――」
「できません! あの男は誰よりも危険です!!」
 ローグの勢いは止まらない。
 ここまで取り乱す姿はとてもめずらしい。
 オレですらめずらしいと感じるんだ。学舎での無表情しか知らなかっただろう正師達は、それはそれはめずらしそうにローグの様子を見守っている。
「ああ、もう埒があかん! ――ヤクス、行くぞ!!」
「へ? ど、どこへ」
「決まっているだろう! サキを探しに行くんだ!! 他の奴等にも声をかけて、手分けして探す」
「待て待て……、ローグレストよ。まだ誘操が残っているのではなかろうな?」
「残っていません。そこをどいてください」
「いけませんよ。慧師に対する非礼もですが……、本復して間もないのです。探し回れるほどの力があると思えません。今日は安静にしているべきでしょう」
 やんわりと。それでもしっかりと釘を刺してきたムイ正師。
 でも、彼女の言葉にぞっとしたのはオレだけだったらしい。血で満たされたローグにとって、もはや恐怖すらも足止めにならない様子だ。
「話を聞きなさい。あの御仁は……確かに人当たりが良いとは言えぬが、サガノトスでも指折りの真導士だ。お前も実力のほどは知っているだろう。今回の一件は、根は深いところにあるやもしれぬから警戒するに越したことはない」
 さすがに気になったのか。執務室から出て行こうとしていたローグが、足を止めてキクリ正師を振り返った。
「まだ残党がいると、そうおっしゃるのですか」
「……いや。直接の実行者は第五部隊の連中だろう。協力者はいない。これも先立って行われた下問で、明らかにされている」
 だが、と正師が声を張る。
「悪事の芽は刈りきれておらぬだろう」
 ローグがちらと視線を投げてくる。問われたから、聞いていないと首を振った。この話はまだ聞かされていない。オレも詳細はローグが回復をしてからと、回答を先延ばしにされていた。
「どういうことでしょうか」
 切り出した正師は、一度だけ慧師を振り返った。全員の目の前で、慧師が示したのは否定。

 知らずともいい――。

 気配が雄弁に語り、謎に満ちた霞の先への道が塞がれた。
 キクリ正師は慧師の答えに躊躇った様子だったが、すぐに表情を戻してしまった。
「お前達は、健やかに日々を過ごしておればいい」
 これにはオレもかちんときた。
 とても健やかに過ごせるような状況じゃない。
 いまの里の状況を。同期の連中が抱いている不安を。この人達は本当にわかっているのだろうか?
 そりゃあ里の上層から見れば、オレ達が騒いでいる事件などたわいないもんだろう。やれ真術だ、術具だと言っても大したことではないと考えることだってできる。それこそ外勤の高士達が負っている任務に比べれば、笑えるくらい軽い内容だと思う。
 だからといって、蔑ろにされては困る。
 術具で起こった騒動の時も、サキちゃんは死ぬような辛い目に遭っている。
 今回の件も加えると二度目だ。結果として助かっているからいいけれど、このままでは危険だと誰でも思う。
「慧師、とても納得できません。霧の件も色紐の件も……"生贄の祭壇"の件も、オレ達は十分関わっています。いまさら見なかった振り、聞かなかった振りをしろと言われても納得のしようがない」
「忘れよとは言わぬが、口を噤んでおれ。ローグレストもいまは己に専念せよ。しばらくはキクリの元で休息を取るよう。お前達の安全は、我が名に賭けて保障しよう」
「……俺もですか? もう真術は抜けましたが」
 どうしてだと訊くローグを引かせて、キクリ正師は退室を促す。
 話はこれで終わりらしい。

 あまりに一方的。
 そしてあんまりな打ち切り方に、ローグと二人で不満たらたらな顔になる。
 重々しい音を立てて、執務室の扉が閉まった。
 ぴたりと閉まった扉が、何だかすごく憎たらしい。
 腹の虫が収まっていないだろう黒髪の友は、執務室の扉を睨めつけている。
 恋人を取り上げられた挙句、恋敵かもしれない疑惑を持つ人物に持っていかれ。当事者であるにも関わらず、一切の真相から締め出されたんだ。
 そりゃもうむかついているだろう。
「これで丸く治めたおつもりでしょうか……?」
「そうへそを曲げるでない。お前達の気持ちはわかっている。しかしな……なかなか難しいのだ」
 ちょっと困ったような顔をして、そのまま歩き出した正師の後を、もやもやした気持ちのまま追いかける。
「サキは、どうしても返していただけないわけですね」
「返す返さないではなく、しばらくお前とはいさせないということだ」
「……如何なる理由で」
 随分な話だと思いながらも、密かに安堵した。
 ちょっと前までのローグなら、この時点で大暴れしているう。巣食っていた真術は、きれいに抜けたようだ。
「今回の件で、お前達は否応なく注目を集めている。特にお前は元から注目されていた。その上、"青の奇跡"の噂も広まりつつある。第二、第三の不心得者が出ても不思議とは言えぬ」
「ローグが"青の奇跡"を有しているというのは、もう噂になってしまっているんですか」
「人の口に戸は立てられぬからな。史上最大の真力を持つ男が、新たな真術を編み出したとか。異形の魔獣を作り上げたとか、それはそれは大層な尾ひれがついて回っている。我々も警戒はしていたのだが……見回り部隊は盲点であった」
 すまぬなと、真摯な態度で謝られてしまい、ローグは不満を出しづらくなったようだ。
 諦めたような顔で、溜息を吐いている。
 とても見栄えのいい苦悩顔だと、どうでもいいことが頭に浮かんだ。

「誤解を解くわけにいかないんですかね。このままじゃローグが、ずーっと危ないままってことになりませんか」
「誤解を解くのも危なかろう。真実を明かせば今度はサキが危ない。サキが危ないならば、やはり相棒であるローグレストも危険だ。とはいえ"青の奇跡"は多数の者に目撃されているから、二人以外の誰かとすれば話に無理が出る。"青の奇跡"を有しているのはお前達のどちらか。そしてどちらが注目されても、必ず相棒が危険にさらされる。お前達はすでに一蓮托生ゆえ、最善策となれば、やはりこういう形になってしまう」
 二人を同じ場所で保護するより、別々に保護した方が守りやすく危険度が下がる。
 いまのところは誤解されていることもあり、ローグの方が危険である。身を隠させたとしても真力が大きいから見つかりやすい。里の外に出す案もあるにはあったらしいけど、何も知らぬ民を巻き込む懸念があり。中央棟で保護するのが適切だと、慧師が決定を下した。
 翻って、彼女の方は真力が小さいから隠しやすい。
 "青の奇跡"の真の保有者である彼女は、不心得者の手が届かないように隠せるだけ隠しておきたい。
 謎を解明するには時間を要する。それでも、噂が鎮静化するまでの間は身を潜ませる。その間中、秘密を守り、尚且つ少人数で、できれば単独で彼女を守り通せる者。これについてはバト高士が最上の適任者だとされた。
「バト高士は真力も高いからな。あの方の近くにいれば、それだけでサキの存在は掻き消える。不満は理解するが、これも考えた末の判断なのだ。不満も多かろうがいまは耐えなさい。かの御仁の元におくのは心配だろう。サキはおとなしい娘だからな。見知った相手とはいえ、心細く思っていることだろう。近々に私か、もしくはムイ正師に頼んで様子を見に……どうした?」

 話の途中から、教え子の雰囲気が変化したと気づいたらしい。
 先ほどとはうって変わって、どよどよと暗雲をただよわせているローグは、心底恨めしげな顔をして正師に言う。
「……せめて、いますぐにサキのところへ行っていただけないでしょうか」
「心配なのはわかる。ただ、いますぐはなあ……。そもそも私達も、二人がどこに身を隠しているかを聞かされておらぬから」
 この返答に、ローグは頭を抱えた。
 黄昏色の気配をただよわせ。「どうしてこうなる」とぼやく友の姿は、ちょっと前にも見かけたばかりだ。
「どうしたというのだ、ローグレストよ。……さてはお前、妙な想像をしているのではなかろうな。それこそ案ずる必要はないぞ。慧師の指令と期待を裏切るような真似はなさらないだろうが、まさにそれだけだろう。かの御仁は人嫌いで有名だからな」
 心配し過ぎだと、快活に笑い飛ばす正師に、暗雲まみれのローグがじっとりとした視線を飛ばす。
「人嫌いで有名ですか。では人嫌いで有名な男が、娘に装飾具を贈ってきていたとしたらどう思われます」
「……何?」
「わざわざ娘の家に訪ねてきて、どこかに連れ出した挙句、酒を飲ませて帰してきたらどう思われるのですか」
 暗雲に埋まったローグをまじまじと見て、それからこっちに「どういうことか?」と目で聞いてきた正師。
 オレができることは頷くことだけだった。

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