蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


雛のわがまま


 中央棟の一角にあるキクリ正師の居室は、派手派手しさこそ薄いが、高価な調度品で埋め尽くされていた。
 食卓も自分達の家にあるものとは雲泥の差だ。

 使い込まれて良い色合いになっている食卓を、男三人して陣取って、遅めの夕飯にありついている。
 夕飯の望みを聞こうと、わざと偉ぶって問うてきた正師に"風波亭"の仕出しを頼んでみた。無茶な注文かと思いきや、これはあっさりと願いを叶えられた。
 里の正師ともなれば、聖都ダールで顔がきくのだろう。
 おかげで"甘ちゃん飯"を回避できた。サキがいないと食事に困る。正師達の言う"しばらく"が、一体どれ位の期間を指しているか不明。その間中、ずっと胸焼けに悩まされるのかと恐々としていたけれど。この懸念については、どうにかなりそうだと胸を撫で下ろした。

 ついでに食べていけと誘われたヤクスと、食事に舌鼓を打つ。
 今回ばかりは贔屓をしてやろうと、秘蔵の酒まで出してもらった。最初こそは遠慮しながら。しかし、気がついたらかなりの量を二人で飲んでいる。
「なるほどなあ……。まさかそういう事態となっていたとは。なかなか油断のならぬ御仁だ」
 気安さなら里一番のキクリ正師は、話を聞いて呆気にとられたようになっている。
「落ち着いて構えていろと言われても、俺には無理です」
 今夜は徹底的に負の感情を吐き出してやる。
 正師が嫌な顔一つしないこともあり、先ほどからうだうだと愚痴を並べ立てている。意外としゃべる奴だなと笑われたが、もうどうでもいい。
「それにしてもさー。サキちゃんといつ会ったんだろうな。まだ何も答えてもらってないんだろ」
「……ああ。何がどうなっても答えられんと、謝ってばかりだ」
 話に聞き入っていた正師は、何を言っているのだ? と妙な顔になった。
「いえ、ですから。サキとあの男の接点が見つからんと」
「おいおい。お前にはちゃんと伝えただろう。いまさら何を言っているのだ」
 何の話だと眉根を寄せて、しばし思案する。
「サキが"暴走"を起こしたことがあったろう。真術が使えなければ里から出ることになるが、能力を証明すれば里にいてもいいと任務に向かわせた。あの時、同行したのがバト高士だ」

 思わず目を瞠る。
 確かに、話だけなら聞いていた。
 あの時はそれどころではなかったから、頭にほとんど残っていない。そうか、そういうことかとやっと腑に落ちた。
「慧師がかの御仁にサキを任せたのは、その点も考慮されておるのだ。天水が"暴走"を起こすことは稀だが、"青の奇跡"を有しているのであれば合点がいく。……滅多なことはないと思う。しかし、いざという時に相応の対処ができる者に任せるのがいい。"暴走"を止めるには卓越した腕が要る。咄嗟の対応を成すには経験が要る。バト高士の実戦経験数は、サガノトスの中でずばぬけているからな」
「サキがまた、"暴走"を起こすと思っているのですか」
「最悪の想定は常に持っておくべきだ。さて――」
 空いたボトルをいずこかに飛ばしたキクリ正師は、食卓の向こうで腕を組んだ。
 正師の動きに合わせて、こちらも姿勢を正す。
「もうわかっていることだろう。お前は今日から監視という名目で保護されることとなる」
 どちらでも同じように聞こえる。
 まあここは聞き流そう。
「座学での繰り返しになるがな、やはり"里抜け"は真導士にとって大罪なのだ。他の真導士の手前、何の罰もなければ規律が緩む。これは決して看過できぬ。ローグレストは懲罰房入りの上、私の元で直接指導を受ける運びとなった。……よいな」
 歯切れ良く返事をしてみたものの、これはヤクスに向かって喋っていると判断した。
 口裏を合わせておけよとのことだ。
「サガノトスの正師は少ない。普段ならばできぬ対応なれど、たまたま外出禁止令が出ており。雛達の世話をしなくとも済む期間に事が起こった。実に都合がいいことだが、これも女神のご加護だろう」
 くいと景気よく上がった眉毛を見る。
 キクリ正師は蠱惑の真導士と聞いた。けれど、とても朗らかな人だ。系統別の性格診断などあてにならん。
「サキは否と言えぬ娘ゆえ、ローグレストの強引さに巻き込まれた」
「……結構、言う時は言ってきますが」
「泥ぐらい男が被らんでどうする。あちらに靡かれても知らぬぞ」
 う、と詰まった自分の横で、ヤクスが笑っている。
 いつか覚えていろよと、記憶の台帳にしかと追記しておく。
「巻き込まれたついでに森道で怪我を負い、中央棟で療養している。しかし、なんとも加護が薄い娘で、事件に巻き込まれたのは今回で三度目。心細さもあったのか、どうも床を上げられずに幾日も過ごしているようだ。人見知りが強いことも相まってムイ正師の居室で、静かに休むことを望んでいる。時折、ヤクスが診療に行っているようだが、それ以外の者とは会いたがらないと聞く」
 真実と嘘を織り交ぜた脚本は、すでに用意されていた。
 あとは自分達が飲み込むだけ。
 すっきりとはしないけれど、反発しても意味はないだろう。感情と利益を量りにかけ。利益に傾いたのを確認してから、ゆっくりと頷いた。
 一時の腹立たしさとサキの安全ならば、断然後者が優先される。
「外出禁止令は明日にでも解かれる予定だ。学舎はまだ再開せぬが、他の施設は再開する。ダールへの"転送の陣"も今夜中に敷き直される。人が動けば口を塞ぐことが難しくなる」
 わかっているな、と念押しされ、二人して神妙に返事をした。
「お前にとっては踏んだり蹴ったりだろう。しかし、ここは耐えなさい。なあに、雛の悪戯なら毎年のように起こっている。風物詩のようなものであるから、誰も大して気にはせんよ」
「簡単におっしゃいますが、損ばかりを蒙るのは喜べません」
「だろう、だろう。ゆえに今夜は存分に飲んでよいぞ。私の酒蔵を飲み干しても構わぬ」
 言って、また一つボトルを卓に出した。
 真導士は本当に便利だ。
「酒もうれしいですが、もっと実利があるものの方がうれしいですね」
「……お前、本当にあのローグレストか? 学舎では猫を被っていたようだな」
「そうですよ、正師。こいつの毛皮かなり分厚いから、脱がすの大変なんです」
「なるほど、毛皮か。夏になってやっと脱ぐ気が起きたか。汗疹でもできたのだろう」
 適当なことを言う友人を睨めつけておく。
 悪乗りする正師も正師だ。本当に里の要にいる人物なのかと疑問を抱く。

「今回のことで少しは信用を回復できただろうか。里は真導士を守り導くためにある。すべてを信じよとは言わぬ。ただ、我々を頼ってくれてもよかろう」
「……見回り部隊が敵に回っていたんですよ。その状況で中央を信じろと? あのまま連れ去られていたら、どんな目にあっていたか。誰だとて逃げ出すのが普通でしょう」
「まったく面目もない」
「それから……奴等はうちの扉を開けました。キクリ正師の姿は真術で再現できるでしょうが、真力も再現ができるのですか」
「いや、不可能だ。実はな、扉を開けたのは私の真力だったのだ」
 聞けば、キクリ正師はかつて見回り部隊に配属されていたとのこと。
 部隊の活動用にと造り溜めていた輝尚石がいまだ破棄されておらず、今回の件で悪用されたと答えてくれた。
「古巣ゆえ、悪用されることもあるまいと思っていた……。ムイ正師が大掃除をしてくれるらしくてな、お任せすることにしている」
 正師の胸に去来しているのは虚しさだろうか。
 見回り部隊の悪行は、里の上層に打撃を与えたのだと、そう思った。
「お前達は騙されずに済んだようだな。サキが気づいたのか」
「話術で引っかけただけです」
「なかなか太い奴だ」
「褒めていただくのもいいのですけれど……」
「こらこら、正師に商売っ気出してどうするんだよ。妙なところでずうずうしいな」
「損ばかり引き込んでいては験が悪い。ここらで利益を出さんと売れる物も売れなくなりそうだ」
 ヤクスとのやり取りと見ていた正師が、快活に笑う。
「見上げた商人根性だ。まあ、お前には苦労をかけてしまったから、私でできることなら何かしよう」
 だがな、と加えてきた正師の顔は、学舎にいる時のそれだ。
「甘やかしはしない。丁度いい機会ゆえ、お前には真術の手ほどきをしよう。それだけの真力だ。座学で得た知識を生かすにも、同期相手ではやりづらかろう。他に希望があれば言ってみるがいい」
 可能な範囲で頼むぞと、笑いかけられる。
 一瞬、笑い返そうとして、ふっと考えが過ぎった。

「では、ぜひお願いしたいことがあります」

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