蒼天のかけら 第十章 晦冥の牙
手玉の心配
クルトの手土産は、芋だった。
実家から大量に送られてきたのだと、相変わらずだるそうな様子で言った。
「二人の故郷は、近くですよね」
「ティピアの町ほどじゃないけどな、馬車があれば三日で帰れる」
そういえば小さな友人は、一晩馬車に乗れば帰れると言っていた。かなりの日数をかけて聖都まで出てきた自分とは大違いだ。
「ローグレストは中央棟だろ。まだ帰ってこねえのか」
「最近は日が沈まないと帰ってきません」
「本の虫も大概だ」
くすりと笑った。
本は開くこともしないと公言しているクルトには、ローグの有様が信じられないといった様子だ。
「今日はどうしましたか」
クルトの向かいに座り、冷茶を含む。
「ちょっとな、頼みたいことがあって」
「わたしに……?」
わざわざこんな暑い日に、相棒がいない時間を見計らってくるような話。まったく想像ができない。
思えば、クルトとこうやって話をしたことがなかった。
ユーリから愚痴のような悪口のような楽しい話を聞いていたので、クルトのことはよく知っている。いや、知っているつもりで今日まできていたらしい。
「さっきのはバト高士だろ」
「えっ、あ、はい」
興味津々で身を乗り出したのに、いきなり話題を変えられた。肩透かしである。
「大丈夫か。あいつが納得してると思えねえけど」
ぎくっとする。
「……誤解なんです。でも、全然理解してもらえなくて」
最近は、半ば諦め気味である。
絡みに絡んだ誤解の糸は、もはや縄となってしまって解ける兆しすら見えない。
「理解しようにも、状況が悪いだろ。カルデスの男はただでさえ束縛が強いって評判だからな」
しれっと言ったクルトは、いつも通りに頭を掻いている。
感情の赴くまま、そのだるそうな顔をじっと見る。
「……何だよ?」
「いえ、意外だなと」
クルトは色恋の話に興味がないものだと思っていた。ユーリが盛り上がっている時だって、面倒そうな顔をしていたはずだ。
「男の嗜みってやつだ」
背伸びをした返事がきた。頭の中で彼女が「似合わないのに」と言ったようだった。
でも、どこか変。
いつものクルトらしくない。
「それで、今日はどうしたのですか?」
変えられた話題の方向性を、ぐいぐいと引き戻す。
言いづらそうにしているから、なおのこと気になる。
「その……な」
口ごもり、冷茶のグラスを手にする。
あまり飲んでいる様子は窺えず、おかしさばかりが強調される。
眉間に気合を籠めて見つめることしばし。がりがりと大きく頭を掻いたクルトは、観念したように口を開いた。
「あのさ、悪いとはわかってんだけど、聖都についてきてもらえねえか?」
「聖都に、ですか」
気まずそうな、照れ臭そうな。普段とは大違いの態度である。
「ローグレストにはオレから言う。まあ、誤解なんて生まれねえと思う」
「いいですけれど。ユーリは駄目なのですか」
「それがなあ……。ユーリだけは誘えねえんだ。しきたりってやつでさ。うちの町の習慣でさ。女が使う品は、ほとんど男が用意することになってる。付き添いで別の女を呼んでもいいけど、そいつ自身が買いに行くのが駄目で……」
思わず、へえと声が漏れた。
「実は、間違えてユーリの手鏡割っちまったんだよ。早いとこ買いに行かねえとばれる」
何だ、そういうことか。
身構えていたのに、期待していたような大きさでなかったので、拍子抜けをした。
「いいですよ、お安い御用です」
言いづらそうにしていたから、もっとずっと大事なのかと思った。大きな出来事が続いていたから、想像だけが先走ってしまったようだ。
「すまん、助かる」
快諾しただけなのに、机に手をつけて頭を下げてきた。思わずあたふたとしてしまう。
「……そんな、大げさですクルトさん」
頭を上げてもらいたくても身体に触れるわけにもいかず。
宙で手を泳がせる。
「聖都で買い物するだけでしょう。これからも必要でしたら声をかけてもらってかまいません。わたしだけで都合が悪いなら、ティピアにも声をかけておきましょうか」
レニーにも、とは言わなかった。
彼女が買い物に同行するとは、ちょっと考えられない。かのご令嬢はきっと機嫌を損ねるだろう。
「いや、ティピアはいい!」
下がっていた赤い頭が、勢いよく跳ね返ってきた。
「いい」と言っているけれど、口ぶりは「まずい」の方向にある。
「サキだけで頼みたい。やっぱり無理そうか?」
「無理ではなく……、えっと、理由でもあるのですか」
聞けばさらに「まずい」の表情を作る。
いったい何を隠しているのか。男の人は隠し事が多くて本当に困る。
誰も彼もが嘘をつかなければいい。全部を言わなければいいと、幼い頃に覚えさせられているのかもと思えてくる。
「いや、その……」
口ごもったクルトは、またグラスに口をつけた。
落ち着きを欠いた友人に、絶えず視線を送り続ける。
対するクルトはちらとこちらを見て。さらに冷茶を飲み。空になったグラスを置いてからまったく動かなくなり……。
「わかった、言う。言うからそれやめろって!」
ついに根負けしてくれた。
わかったならいいのだ。
挫けたクルトは、ちょっと恨みがましい視線を投げてきた。
「ったく、もっと大人しい奴だと思ってたのに。意外と肝が座ってるな」
勘弁してくれとぼやき額に手を当てた友人の頬が、心なしか赤く染まっている。
「なるべくなら今回の件は秘密にしておきたい。いろいろと障りがある」
「障り……」
「そう、障りだ。妙なしきたりが多いんだ。祭事も多いし。町長よりも神官よりも、巫女の権限の方が強い。サキの故郷に巫女はいたか」
「いいえ、いません」
そもそも、神殿がなかったので神官すらいなかった。
普通の町という概念が薄い自分では、クルトが言っている話がどの程度の"妙"なのか計れず。結果、ひたすら眉根を寄せるはめになった。
「町には神殿があって、神官がいて。そういう神職の連中が祭事を行っている。町の大きな部分は町長がいろいろと取り計らって治める。だろ?」
前半は想像だけだったので難しかったが、後半は村長のことを思い出してこくりと頷いた。
「うちの町は違うんだ。一番上に巫女がいて、その下で神官と町長が役割分担している。巫女っつっても八十過ぎたばーさんだけどな」
「変わっていますね」
男がすべてを決めるのだと刷り込まれてきた自分にとって、一番偉いとされる女の存在は珍しい。
「大戦前から祭事が多くて有名な町だったらしいぜ」
めんどくせえことばっかでな。
ぼやいたクルトの頬には相変わらず薄く紅が差していた。
着地点が見えない話から、答えを引き出したくてたまらない。一度聞き始めたら最後まで聞きたいと思うのが、人の心というものだ。
「祭事っていうのは、聖都でやっているのと違う。パルシュナの祭事も小さいものならあるけど、大体は町の泉を祭るんだ」
脈々と続いてきた祭事は、町の巫女主導で毎年行われている。
大戦後に一度だけ国が介入したことがあったらしい。
巫女ではなく神官に執り行わせて。それこそ聖都で行うような、パルシュナを慰め讃えるような大祭に変更させた。
町民の猛反発の中で行われた大祭は、ただ一度で終わりとなった。町の近くにある大きな橋が洪水で流されたのだそうだ。泉を讃えなかったからだと、町の誰もが口を揃えて抗議をし、国が折れるより先に神官が折れた。
なし崩し的に再開された祭事は、現在も続けられているのだとか。
「泉を……」
「変だろ。もっと変なのが鏡でさ。鏡っつーか映る物か。人の姿が映るものは全部、泉に浸す。特に町で生まれた女が使う物は、絶対に浸さないと駄目だ。しかも、男が用意する必要がある。町の女は、男を介した鏡にだけ触れていいって決まりがある」
言い切ってから、まためんどくせえとつぶやいた。
さらに話を聞けば、町の鏡を取り扱っている店が聖都に一軒だけあるのだそうな。面倒だと思っていても、しきたりだから守らなければという意思は強いようだ。
「不思議ですね」
「だろ? 他にも色々条件があって、その条件にティピアが引っかかってるんだ。詳しくは言えない。よその町の人間には伝えちゃ駄目だっていうしきたりが……」
しきたり、しきたりで縛られて、クルトが苦しそうに見えた。
深い事情があってのこと。理解ができたので聞きたい欲は飲み下すことにした。
「わかりました。一緒に買いにいきましょう」
苦しそうだったクルトの表情が、ぱっと明るくなった。
「そうか! いや、ほんとに助かる。悪いな、無茶な頼みで」
そしてやっぱり大げさだ。
この後、話はとんとんと決まり。明日、共に聖都へ下りることとなった。
自分としても軟禁状態から抜け出せるのがありがたく、クルトが帰った後、早速バトに報告を上げた。
呆れたような溜息と小言を頂戴したものの、許可だけは取りつけた。任務遂行だと大きく大きく背伸びをした時、部屋の隅にいた小さな子が心配そうに一つだけ鳴いたのだった。